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ローカルフードの代名詞、チリクラブの初代の味を探る

「シンガポールといえばチリクラブ」と言われるほど、日本でもすっかり有名になったチリクラブ。米国ニュース専門放送局『CNN』の「世界の美食トップ50」調査で今年も堂々の35位を獲得し、世界的にも名を知られるようになりました。発祥については諸説ありますが、元祖のひとつと呼ばれるチリクラブの、その生い立ちについて掘り下げましょう。

 

チリクラブは大体1キロ前後から100グラム単位でオーダー(時価)。現在はスリランカのストーンクラブやアラスカクラブなど種類も選べる。

 

「蒸し蟹には飽きた」
父の一言から始まったレシピ開発

時代は今から約70年前、1950年前後に遡ります。当時イーストコースト・ベドックの海岸沿いに住んでいたローランドさんと両親は、休みの日になると丘を越えてビーチへ行き、海辺の浅瀬でカニを捕って来ては蒸して食べていたそうです。といっても、当時のシンガポールの砂浜で捕れるカニは400グラムほどの小ぶりのもの。美味しい食べ物に目がない父親が「蒸しただけのカニには飽きた。何か味をつけてくれないか」と言い出します。そこで母親のCher Yam Tiam(徐炎珍)さんは塩やコショウをまぶしてみるなど、工夫をいろいろこらし始め、ある日、ケチャップとチリで味付けしたところ、父親が大絶賛。大のお気に入りの味になったそうです。また、それを近所の人にも配ったところ評判となり、店を構えて売ってはどうかと勧められたのだとか。

 

キッチンの様子。真ん中に立つのはローランドさんの父、その左手で料理をしているのが母。右の赤いズボン姿が弟子入りしたローランドさん。親子3人が写る貴重な写真。(写真提供: ローランドさん)
514イーストコーストロードのビーチ沿いで始めたお店。目印の灯油ランプが灯され、多くの客で賑わう店内。(写真提供: ローランドさん)

こうして1950年、昔は砂浜だった現在のTemasek Secondary Schoolがある場所で、母親がチリクラブを売り始めます。店といっても砂浜にプッシュカートとテーブルが2つ、そして椅子を並べただけの簡素なもの。店名はなく、灯油ランプが灯っているのが開店中の目印でした。父親は役所勤めで当時の法律上、店の手伝いが許されていなかったため、切り盛りはすべて母親の仕事。店のライセンスが取れておらず、取り締まりの対象となり、一生懸命作ったせっかくのチリクラブを没収されたり、罰金を科せられたりと開店当初は苦労をしたそうです。それでもあきらめることなく少しずつ場所を移動しながら店の営業を細々と続け、6年経った1956年、ライセンスを取得し、514 East Coast Road、現在Tong Gardensが建つ辺りに店を構えました。椰子の木がそびえ立つ砂浜のビーチに店を構えたことから、父親が店名を「Palm Beach」と命名。「スコールが降ると、店の客が雨をしのぐために食べ物の皿と飲み物を持って屋根のある所に集まり、誰も文句を言うことなく、のんびりと食事と会話を楽しんでいました。本当にいい思い出です」とローランドさん。店の経営も順調で夫婦で店を切り盛りするようになり、ローランドさんも店を継ぐために修行に入ります。

ローランド氏へ託されたバトン
母の想いを胸に、再発進

そんなローランドさん一家に転機が訪れたのは1985年。引退を考えた両親が店の名前を売却し、ニュージーランドへ引っ越すことにしたのです。ニュージーランドで起業も考えたローランドさんですが、シンガポールに単身戻ってきます。そして2000年、念願のレストランを開店させます。店名は昔のお客さんが分かるように「ローランド」と自身の名前にし、看板には自分の顔を描きました。埋め立て工事によりイーストコースト一帯が開発されたため、昔と同じ場所というわけにはいきませんでしたが、海が見える、昔ながらの古き良き時代を彷彿させるような場所をセレクト。レシピは母親が誰にも渡すことなく、大切に保管しておいたオリジナルのもの。

 

口コミでローランドさんが戻って来て店を始めたとの噂を聞きつけた、昔ながらのお客さんたちが徐々に訪れるようになります。そして17年経った今では世界的にも有名なアスリートや、政治家なども足繁く通う、ローカルの人々に愛されるレストランへと成長しました。

 

ローランドさん。レストランに来たお客さんと話をするのが楽しみで、店頭にも顔を出す。
母から受け継いだオリジナルのレシピで作ったClassic Black Sauce Prawns(S$24)。

内装はあえてモダンにせず、母の教えを守り、昔の古き良き時代を彷彿されるものにこだわっている。馴染みのお客さんで賑わう店内。

「お客さんには心を込めて接すること。観光客用に値段を上げたりするようなことはしない。真面目に正直に、一生懸命やっていれば、お客さんはやって来る」という母の教えを守り続けていると言います。初代レシピには卵が入っていなかったそうで、「トラディッショナル」と注文すれば昔のままのチリクラブが楽しめるそうです。チリクラブのソースを付けて食べる中国の揚げパン・マントウは、元はフランスパンを使っていましたが、お客さんの嗜好に合わせて現在のものに変えたとのこと。

 

「シンガポールのチリクラブ」と一口に言っても、店によってソースの味が異なり、店それぞれが、独自の「これぞ」という味を打ち出してしのぎを削っています。さまざまな店のチリクラブを試してみて、自分ならではのお気に入りの味を探し当てるのも、楽しみの1つ。今後もチリクラブの新しい店がオープンして今までにないチリソースを開発し、私たちの舌を驚かせてくれるかもしれません。ですが、今一度、トラディッショナルを味わってみるのはいかがでしょうか。