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作家の感情に触れ、自分ごととして捉える。アートから歴史を学ぶ「ナショナル・ギャラリー・シンガポール」

草間彌生展に沸くナショナル・ギャラリー・シンガポール。その常設展スペースには、ピカソなどメジャーな作家の作品があるわけではありません。すべてローカル作家作で、絵の題材や背景に列強国の影が見え隠れするなど、東南アジア諸国の歴史を知るためのエッセンスに富んでいます。1940年代、英国統治下にあったシンガポールの様子は?米国統治下にあったフィリピンは?画家の目線を通して語られる、各国の当時の姿。歴史をアートから紐解く面白さを体感し、さらにギャラリーの建物を巡る歴史についても学ぶべく、シティ・ホール地区へ。

 

その時、いったい何が起きたのか
歴史本には書かれていない、人びとの感情

敷地面積6万4,000平方メートルを誇る建物内に並ぶのは、美術館が所蔵する19世紀以降に制作された約8,000点の作品から選ばれた作品群。これらは大きく東南アジア諸国とシンガポールの作品とで分けて展示されています。一説によると全館を網羅するには3日はかかるとのことなので、象徴的な作品をピックアップして見てみましょう。

 

まずは東南アジア・ギャラリーに展示される、インドネシアを代表する画家ラデン・サレの〈Forest Fire〉。1820年代から絵画を学びに欧州を周遊したサレ。この作品は遊学を終える直前に描かれた母国の景色で、当時の宗主国オランダの国王に贈られたもの。火が放たれた森、崖淵へと追われた動物の姿に、観賞者は、植民地統治のなか、西洋に学んだ絵画技術で自分らしい表現を模索する彼の葛藤を想像します。

 

高さ3mの大作、ラデン・サレ〈Forest Fire〉(1849)

 

続いて、フラ・ソララクリキットによるタイ国王、ラーマ3世の肖像画。ラーマ3世が没した1851年当時、タイ王族は公に姿を見せてはなりませんでした。そのため彼の治世を記念し、欧州の肖像画の伝統に倣って肖像画を描かせることになったのは、没後60年が経ってから。ラーマ3世の姿を知る人の記憶を基に完成させざるをえず、果たして彼が本当にそのようなビジュアルだったか定かではない点にも面白さがあります。肖像画文化がもたらされたことも、タイ文化史における変化です。

 

フラ・ソララクリキット〈ラーマ3世の肖像〉(1916)。「ラーマ3世はこんなビジュアルだった」という伝承をもとに描かれた
シンガポール芸術の先駆者の一人として親しまれている、ジョージェット・チェン(張荔英)の自画像と、彼女の夫の肖像画

 

シンガポール・ギャラリーで注目すべきは、チュア・ミア・ティ(蔡明智)による〈NATIONAL LANGUAGE CLASS〉(1959)。イギリス統治を終えたシンガポールは、自国のアイデンティティを模索し、その第一歩として、マレー語を公用語に制定しました。テーブルを囲み、マレー語で学んでいるのは、中華系の人びと。黒板に書かれた「名前は?」「どこに住んでいる?」というセンテンス。こと多様な人種が暮らすシンガポールにおいて、「国」を形作っていく難しさを考えさせられます。このようにアートには各時代の社会の複雑な現実と、そのなかで生きた作者の思いが込められています。その感情的な部分に触れることで歴史を自分ごととして捉えやすく、解釈しやすくなる。これこそアートから歴史を学ぶ魅力です。

歴史的建造物を保存するために
飛び出した大胆発想

ナショナル・ギャラリー・シンガポールで忘れてはならないのは、建物自体にも歴史が刻まれているということ。とはいえ、建物の話をする前に、まずはシンガポールの文化政策について触れておきましょう。

 

経済開発を優先してきたため、「文化の砂漠」と揶揄されることすらあったシンガポールが文化政策に乗り出したのは、1989年のこと。文化芸術評議会のレポートに基づき、初めて長期計画が策定され、1991年からインフラの整備が始まりました。同ギャラリーの構想が発表されたのは、2005年。注目を集めたのは、旧市庁舎と旧最高裁判所、並んで建つこの2つの建物を利用するという点でした。

 

1929年に竣工した旧市庁舎は、シンガポールの独立宣言がなされた場所(日本軍が降伏調印式を行った場でもあります)。また1939年に竣工した旧最高裁判所は、コリント式円柱を用いたイギリス統治時代の名建築。ともにシンガポール国民にとって馴染みの深い建物ゆえ、取り壊しは避けたい……。ホテル案なども浮上したそうですが、舞台芸術の拠点であるエスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイと双璧を成す、ビジュアルアートに特化した、アートとカルチャーの拠点を創設することに。

 

構想発表から10年をかけて完成したこのギャラリーは、2棟を繋げた造りの大胆さで話題を呼びました。3階、4階同士に橋を渡し、建物間にあった駐車場スペースを掘り下げ、地下も合体。この掘削作業の際、建物が崩れぬよう、建物を吊って支えながら作業を行ったのだそう。ところどころリノベーションは施したものの、天井や柱などはなるべくもとのままを生かした設計に。こうして保たれた旧最高裁判所建物ロビーには、1937年に埋められたタイムカプセルが今も眠っています。掘り出すのは西暦3000年。あと950年以上、この建物は国民の心に寄り添い続けていくのです。

 

2つの建物は同じフロアでも高さが異なるため、3階、4階同士をつなぐブリッジは、やや斜めになっている

 

館内はとにかく広い。レストランやカフェがたくさんあるのは、丸一日かけてゆっくり楽しんでもらいたいからだそう
元の姿をそのままにと、リニューアルは最小限に。旧最高裁判所の床はゴム素材だったため騒音が激しく、マーブルの大理石に変更