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世界最小の“ドレイン(下水溝)キャット”「シンガプーラ」をめぐる不思議な物語

純血種では、世界最小とギネスブックに認定されているシンガポール原産の猫「シンガプーラ(Singapura)」をご存じでしょうか。

 

フランスから来たムーンウォーカー君はカメラも臆さない社交的な性格。一般にシンガプーラの平均寿命は11~15歳だという

 

「大人になっても雌の平均体重は2キログラム台という小柄な体格と、“犬みたいな猫”といわれる人懐っこさで甘えん坊な性格もあって、愛猫家の間では“小さな妖精”と呼ばれています。また、繁殖が難しい猫であることから希少性の高い猫種のひとつで、シンガプーラのトップブリーダーも世界に20人程度とあまり多くありません」

 

そう語るのは、米国に本部を置く血統認定機関 ・ CFA(the Cat Fanciers’ Association)でブリードカウンシルとして品種のスタンダードの見直しなどに携わる高瀬郁代さんです。

 

日本のトップブリーダーでもある高瀬さんの猫ミリヤちゃんは2016~2017年期のCFAジャパンリジョンでベストキャットに輝いた。シンガプーラが勝ち抜いたのは初のことだという

 

美しいセピア色のティッキング(1本の毛に異なった色の模様がある被毛)がシンガプーラの特徴で、1965年頃にはこれに似た毛並みの猫たちがシンガポールの街中で確認されています。シンガプーラの祖先とされるこの猫たちは、当時から珍しい存在だったわけでなく、厳しい陽射しや雨風をしのぎ、ネズミを捕まえるために街中のドレイン(下水溝)に棲むごく普通の猫でした。

 

石油関係の仕事でシンガポールに駐在していたアメリカ人のメドウ夫妻が、“ドレインキャット”と呼ばれていたこの猫を「シンガプーラ」として1970年代始めに世に送り出したのが、世界中で認知され始めたきっかけです。なかでもトミー夫人はシンガポールで見つけたティクル、ピュセ、テスを含めた猫5匹を1975年に母国であるアメリカへ連れ帰り、繁殖をスタート。彼女が育てた猫たちは米国ですぐに注目を集め、シンガプーラは1979年にTICA(The International Cat Association)、1982年にはCFAと世界的な血統認定機関に、シンガポール生まれのナチュラルブリード(自然種)として認定されます。

 

今年4月、シンガポールのキャット・ショーに登場した際、2頭の容姿が似ていることは専門家の間でも非常に注目されたという

繁殖の難しさや検疫の厳しさなどから
故郷であるシンガポールには1頭のみ

アメリカで話題になったこの猫の存在をシンガポール政府も放ってはおきませんでした。1991年に当時のシンガポール観光局(STPB: the Singapore Tourist Promotion Board)が「living national monument(生きる国碑)」としてマスコットに採用すると、シンガプーラはまたたく間に店頭の観光ポスターやTシャツ、カップといった土産物のアイテムなどに登場。生まれ故郷でも脚光を浴びることになります。

 

マリーナベイ地区にある名門ホテル、フラトンホテルシンガポールの前に架かるカベナ橋のたもとには、親猫と戯れる子猫の像がありますが、これは当時、シンガポール観光局がキャンペーンの一環としてシンガプーラをモデルに造ったもの。当初は15体設置されましたが、盗難などにより今は3体しか残っていないとのことです。

 

シンガポール川のカベナ橋のたもとにあるシンガプーラ像

 

実のところ、2006年のある調査でシンガプーラの頭数は世界に5000頭前後と発表されていますが、その後の推移は定かでなく、ここシンガポールでも認定されているシンガプーラは現在1頭しかいないといいます。その飼い主であるチャング・ローさんのもとを訪れてみました。

 

「実は、うちには今年2月にフランスから輸入したシンガプーラのほかに、もう1頭の“シンガプーラ”がいます。ヌガーと名付けたこの猫をベドック界隈で偶然見つけた時は、本当にびっくりしました。野良猫だったヌガーとシンガプーラの見た目がそっくりだったからです。それだけにシンガプーラが自然種であるというメドウ夫妻の話には信憑性を感じますね」とチャングさん。ブリーダーでもある彼は今後、故郷であるこの国でたくさんのシンガプーラが育つことを願っているといいます。

 

「人と猫が暮らす環境作りにも努力したい」と語るチャングさん
地元猫だった雌のヌガーちゃん(左)と血統付きの雄のシンガプーラ・ムーンウォーカー君(右)

シンガポールのドレイン(下水溝)から登場し、時には歴史の表舞台に立ちながら、国境をまたいで今も多くの人々を魅了し続ける世界最小の猫・シンガプーラ。明日の朝、少し足をのばして街中を散歩してみたら、この“小さな妖精”があなたの姿をドレインの隙間から覗いているかもしれません。