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在星日本人の強い味方、 シンガポール日本人会の歴史

来星してすぐの頃、現地にいる先輩日本人からまず教わることの一つに「シンガポール日本人会」があるのではないでしょうか。日本人会は1915年に発足し、2015年に創立100週年を迎えた日本人コミュニティーの中心的役割を担う組織です。事務局によると、2017年2月20日時点での正会員数は約5,500人(日本国籍保持者)、他に約400人の会友(日本人以外の会員)が登録しており、法人会員も765社に上る世界中に点在する日本人会の中でも大規模です。会員は英語表記のThe Japanese Association, Singaporeの頭文字を取り、JASの愛称で親しまれています。

 

近年では2014年のチンゲイ・パレードにて、日本人会チームがチャンピオンになった。パレードで今では欠かせない存在になっている

 

創立100周年を迎えた今振り返る、日本とシンガポールの歴史

シンガポール日本人会の前身に当たる青年会が発足したのは、戦前の1909年。目的はシンガポールで横行する誘拐・密航師などに対抗するためでした。現在は約8割の日本人が企業派遣で来星しますが、当時そのような日本人は3割程度しかいないエリート。残り約7割の貧しい境遇から抜け出すために職を求めて来星していた日本人と価値観が合わず、数年で自然消滅してしまいました。

 

その後1912年には、来星してきた日本人家庭らの声もあって日本人学校が開設されます。これに伴い必要になったのが学校の維持、管理に責任を持つ運営母体でした。教員を雇い、土地や資金を取得するにも個人では不可能です。そこで1915年に日本総領事館(現在の日本大使館)や企業派遣者などが集まり、シンガポールにおける日本人社会を代表する機関として、日本人会を結成しました。

 

戦前の日本人倶楽部。場所はSelegie RoadとWilke Roadの交わる角に位置していた。1926年8月に日本人倶楽部が建物を購入し、日本人会が倶楽部の建物の中に事務所を持った
戦前の日本人学校の講堂内の様子。1919年にウォータールー・ストリートの土地を購入し、1921年に小学校校舎を竣工した

しかし、これも長くは続きませんでした。理由は1941年に始まった太平洋戦争です。開戦を前に異変を感じ取った日本人が徐々に帰国し始め、日本人会の存立も難しくなって2度目の自然消滅を迎えます。開戦後シンガポールに残っていた日本人はインドへ送られ、抑留生活を強いられるなど厳しい状況に置かれました。終戦の1945年には、当時シンガポールに残っていたほとんどの日本人は強制送還され、シンガポール国内の日本人はごく少数になりました。

それから7年経った1952年、総領事館が再度設置されます。1955年には戦後初めて、日本企業にシンガポールでの会社開設の許可がおり、商社や銀行を中心にシンガポールへ進出しました。そうして日本人が徐々に増え始めた1957年、シンガポールで公的な役割を担う日本人組織が再度必要となり、3度目の日本人会が発足しました 。

 

時を同じくしてシンガポールの国土開発も進みます。少しずつ日本人も受け入れられ始めていた1961年、事件が起きます。イースト・コーストで大量の遺骨が発掘されたのです。この遺骨は太平洋戦争中に日本軍によって虐殺された華人たちのもので、高まりかけていた日本人への受け入れ感情は消え、シンガポール国民に戦争中のおぞましい記憶を呼び覚ますことになりました。日本に対して5000万Sドルの賠償金が要求されるなど、シンガポール国内での排日運動は激化し、在留日本人家族は生命の不安を感じるほどだったそうです。この問題は1966年、日本政府がシンガポール政府に無償2,500万Sドル、低金利借款2,500万Sドルを支払うことで決着しました。

 

シンガポールと日本の友好関係が改善、新しい時代の幕開け

その後、2国間の関係は改善します。当時のシンガポールはイギリス軍の撤退に伴い、高い失業率に悩んでいました。国土も狭く資源もありません。経済成長や就業機会の確保には海外から人、モノ、金を呼び込み、国を立て直す必要がありました。そのためには若者たちへの教育が必要だとされ、英語力の強化や近代産業に対応できる基礎技術力の習得に力を入れ始めました。

 

そこで声がかかったのがドイツ、フランス、そして日本でした。当時すでに技術大国としての地位を確立していた日本は、技術学校の建設や技術移転を要請されました。この援助はシンガポールが先進国と認められる1996年まで続き、日本人会の会員も大いに貢献しました。また日本人会は、社会貢献活動やスポーツ・教育支援活動などにも力を入れてきました。2002年8月には日本人会のボランティア団体の一つが、大統領から直々に「大統領社会奉仕活動賞」を授与されています。この賞は社会貢献活動を行う個人、団体に贈られる賞としてはシンガポールで最も名誉ある賞で、外国人の社会人団体としては初めてでした。

 

今回の取材に応じてくれた、杉野一夫シンガポール日本人会特命顧問は「シンガポール日本人社会百年史」を完成させたばかり。「先人たちはとても苦労しながら今日の友好関係を築き上げてきた。この歴史を多くの日本人に知ってほしい」と話します。現在シンガポールで生活する私達は、後に続く日本人のためにも歴史を伝え、友好関係を維持・発展させていく義務があるということでしょう。