遡ること、20世紀初頭のシンガポール。イギリス人のトーマス・S・ラッフルズが東インド会社の一拠点としてシンガポールを見い出してから一世紀を経て、東西を繋ぐ海峡貿易は栄え、シンガポールには世界中から商人や旅人が訪れました。また、マレーシアやシンガポールの大農園の経営者やイギリス帝国の軍人も多く滞在していました。そんな人々のとっておきの社交場として愛されていたのがラッフルズホテル。着飾った紳士淑女が日夜集い、旅人は欧州航路の長い航海の疲れを癒し、熱帯夜にしばし華やいだ雰囲気を楽しんだといいます。後世へ長く親しまれているカクテル、「シンガポールスリング」がホテル内にあるロングバーで誕生したのは、ちょうどそんな時代でした。
記録によると、ロングバーのバーテンダーだった海南島出身の中国人Ngiam Tong Boon(厳崇文)が、1915年にシンガポールスリングを考案したとあります。人前でアルコールを嗜む事が適当とされていなかった当時のご夫人方のために、ピンク色のまるでジュースのようにも見えるこのカクテルを編み出しました。ラッフルズホテルの前のビーチロードの向こう側はその名の通り浜辺でしたから、そのカクテルの色は、ホテルから眺めるトワイライトも彷彿とさせます。ジンベースのカクテルなので、当時は「ジンスリング」と呼ばれていました。甘くて爽やかなフルーツの味わいのこのカクテルは、この気候にも最適だったせいか、男女を問わず多くの人々に愛されるようになりました。「ラッフルズホテル、あらゆる東洋の神秘に彩られたところ」と絶賛した小説家のサマセット・モームも、その著書の中で海辺から吹く夕風にあたりながらホテルでジンスリングを楽しんだ、と記述しています。
シンガポール発のシティ・カクテルとして、今やその名を世界に知らしめるシンガポールスリング。国内外を問わず、どこでも楽しめるようになりましたが、オリジナルを目当てにラッフルズホテルを訪れる人は後を絶ちません。今でもホテル全体で、一日に2000杯ものシンガポールスリングの注文があるといいます。考案者のNgiamは、そのオリジナルのレシピを誰にも知られないように、小さな金庫にしまっていました。シンガポールスリングと銘打つカクテルの味わいがその場所によって異なるのは、門外不出のレシピだったため、記憶とイメージをもとにアレンジされたせいかもしれません。ホテル内の博物館には、そのNgiamの小さな金庫と、1936年にロングバーに立ち寄った旅行者が、バーカウンター越しにそのカクテルのレシピをバーテンダーにたずね、こっそり伝票に書き記してもらったメモが展示されています。
ロングバーでかっちりと制服を纏った現在のバーテンダーは、壁に飾られた小さなNgiamの写真に目をやりながら、「当時とてもクリエイティブだったNgiamの心意気を継ぐべく、シンガポールスリングのレシピは当時のままに、新たなオリジナルカクテルも創作しています。」と話してくれました。そんな会話をはさんで久しぶりにシンガポールスリングをオーダーすれば、口当たりの良さとは裏腹にしっかり効いたアルコールも手伝って、心地よく往事にタイムスリップするひとときが楽しめるはず。