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華麗なる映画館キャセイ・ビル The Cathay

マレーシア出身の裕福な中国人ロック・ワントー(Dato Loke Wan Tho)氏が世界の有名な映画を上映するために建てたキャセイ・ビルは、シンガポールで最古の高層ビルです。

旧キャセイ・ビル時代からのエントランスは永久に保存される。

 

場所はオーチャードとシェントンウエイの中間あたり、MRTドビーゴート駅近くで、マウント・ソフィアの丘を背負っています。建設当時は当地で最も高いビルで、カランの空港に着陸する飛行機はこのビルを目印にしたそうです。

しかしそのどっしりとしたコロニアル風のビルは数年前、丹下建築事務所の設計によって再建され、当時の面影は、エントランス部分とその領袖の花びらをイメージした外壁に残されているだけ。その部分は文化財として永久保存されることになっています。

旧キャセイ・ビルの外観。

 

マレー語や中国語の映画が上映され、ホテルは映画俳優や外国人客で賑わった

1939年に完成し映画館として営業を始めたキャセイ・ビルは、当時公共の場でエアコン設備のある唯一のビルだったそうです。ゆったりとした肘掛けのある座席、ゴージャスな雰囲気のキャセイ映画館では数多くの映画が上映され、中でも中国語の映画では日本人俳優も出演した『香港の夜』や『Sun, Moon and Stars』などに絶大な人気がありました。

マレー語の映画もマレーの幽霊ポンティアナ(Pontianak)が登場するホラー、あるいはコメディータッチの作品が次々と上映されたということです。1950年代からはビルの一部がホテルに改造され、ヨーロピアンの観光客、また映画俳優や女優らが大勢宿泊するようになり、中華レストラン「キャセイ」(現在も営業)やバーはセレブリティーの集まる華やかな社交場となっていました。

映画や美術、写真を愛したロック・ワントー氏はここで多くの映画を紹介し、またキャセイによる映画制作にも力を注ぎました。しかし1964年、台北で行われたアジア映画祭に出席した氏は台湾国内を移動する途中、航空機事故に遭い、志半ばで亡くなられたということです。

栄華を極めたホテル時代のレストラン。

クラッシック映画の女優さん。

日本軍のプロパガンダがこのビルから放送された

キャセイ・ビルが映画の上映を始めてまもなく、シンガポールも太平洋戦争の影響を受けました。1942年、日本がシンガポールを占領した時、日本軍はこのビルも占拠して軍政のプロパガンダ放送を行ったということです。シンガポール人の多くはこの放送を聞かず、英国放送協会(BBC)のニュースを密かに聞いていた、とはこのビルのそばにあるモニュメントに記録されています。1945年には日本軍の降伏を受け、キャセイ・ビルはマウント・バッテン将軍の司令部となりました。

戦争の混乱期、映画の上映もままならなかったキャセイですが、戦後しばらくして落ち着きを取り戻してからは、前述したようにホテルとしても栄華を極めたのでした。

キャセイ・ビルの前にある太平洋戦争時代を伝えるモニュメント。歴史を語る遺産として再建後も残されている。

再建された新キャセイ・ビル75周年記念を祝う

創設者ロック・ワントー氏亡き後、親戚の女性メイリーン・チュー(Meileen Choo)氏によって彼の遺志が引き継がれ、ビルの創設55周年には「CATHAY」という本も発行されて、キャセイの歴史とシンガポールの映画史の詳細が数多くの写真とともに記録されました。

この本は現在、ビル内にオープンしている「Clique」というコンセプト・ショップで販売されています。またビル2階にはギャラリーもあり、こちらにはキャセイ・オーガニゼーションがその昔映画制作に使った道具、またロック氏が収集していた本、氏が遺した数多くの写真、特に趣味だった鳥の写真などが展示されています。

しかし莫大な予算のかかる映画制作は、1996年に公開された「アーミー・デイズ(Army Daze)」を最後に中止となり、外国映画の配給に専念しています。

当ビル内の「ピクチャー・ハウス」では、社会派映画や単館で上映されるような外国の映画も上映しています。現在「キャセイ」で上映されているのは中国正月特別映画の「リトル・ビッグ・ソルジャー(Little Big Soldier)」(ジャッキー・チェン監督)。今年半ばには会社創立75周年記念のさまざまなイベントがこのビルの中で行われる予定です。