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やきもののルーツ「龍窯」との邂逅

ある日、友人との会話の中で「シンガポールにも登り窯がある」と偶然聞きました。そもそもシンガポールで陶器が生産されていることさえ知らなかったことから、ぜひ見てみたいとさっそく訪ねてみることにしました。

ジャラン・バハル・クレイ・スタジオの龍窯。数日前に火を入れたところで、窯の焚き口から灰をかき出す作業を行っていた

 

訪れたのは、シンガポール西部のジュロン地区、南洋理工大学(NTU)のキャンパスに程近いジャラン・バハル・クレイ・スタジオ(Jalan Bahar Clay Studio)。なだらかな傾斜に沿うように全長43メートルの窯がありました。その長い形や窯焚きの際に煙が出る様から、山を登る龍になぞらえて「龍窯(りゅうよう)」と呼ばれる窯です。英語ではドラゴン・キルン(dragon kiln)。日本で現在も見られる連房式の「登り窯」や、古墳時代から江戸時代以前まで主流であった「穴窯」のルーツでもあります。龍窯の歴史は古く、中国江西省の遺跡で発見された龍窯は3000年以上前の殷代後期のものとされます。

シンガポールに龍窯による製陶技術が持ち込まれたのは1900年代に入った頃。中国からの移民によってもたらされました。1960年代頃までは、マレーシアやジュロン地区に多かったゴム農園で使用される陶製カップの需要が高く、最盛期には2週間に1度は窯焚きが行われていました。やがて合成ゴムの登場により1960年代後半には天然ゴムの生産が減少、シンガポールの製陶業も影響を受けて徐々に衰退していきました。1970年代、人々の生活が豊かになるにつれて花びんの需要が高まり、製陶業も一時期盛り返しましたが、マレーシア、中国、台湾などから低価格の商品が市場に流入、ジュロン地区の都市再開発とも重なって製陶業者の多くは廃業を余儀なくされました。

焚き口の煉瓦を外して中を覗いてみると、オレンジ色の美しい炎がゆらめいて幻想的

スタジオの周囲は自然豊か。後方の小路は、クリーンテック・パーク開発作業に携わる人たちの通り道になっている

 

シンガポールに現存する龍窯は2つ。いずれもジャラン・バハル地区にあります。ひとつはThow Kwang(陶光)Industryが保有しているもので、1980年代の製陶業の衰退とともに使われなくなっていましたが、ここ1、2年ほどは地元の陶芸家らが中心となって毎年のように窯焚きが行われています。

もうひとつが、ジャラン・バハル・クレイ・スタジオの龍窯。シンガポール独立前の1958年に作られたもので、当時の工場の名前「源発(Guan Huat)陶器廠」からGuan Huat Dragon Kilnと呼ばれていました。1980年代半ばに操業停止して以降、しばらくは陶光の龍窯同様ほとんど使われなかったのですが、2000年にシンガポール政府観光局の中に龍窯保存プロジェクトが立ち上がり、窯および屋根の修復が行われました。その後、陶芸の振興と芸術教育のための施設として国からも承認され、2006年11月にジャラン・バハル・クレイ・スタジオとしてオープンしました。

現在、地元シンガポールをはじめ世界各国の陶芸家がスタジオに常駐し、作品制作に励んでいます。薪をくべて焼成する昔ながらの製法は重労働で、火加減を見るために何日も徹夜したりと決して楽なものではないのですが、表面に付着する灰によって生み出される色や風合いの妙にひかれて、龍窯にこだわる陶芸家達が集まって来ています。学校や一般向けの陶芸教室が行われる時にはスタジオの陶芸家たちが講師役として登場することも。また、毎月第1土曜日に開催されるオープンハウスでは、一般の人もやきものづくりに挑戦したり、陶芸家のデモンストレーションを見ることができます。

現在ジャラン・バハルの一帯は「クリーンテック・パーク」という、環境技術の研究開発機関が集まるビジネスパークの建設が予定されています。2030年完工予定という壮大なプロジェクトで、第一期の工事が今年7月から本格化します。自然に囲まれ、シンガポールの歴史を見守ってきた2つの龍窯の周辺は、これからまた大きな変化を迎えることになりそうです。

敷地内のオープンスペースには、陶芸家達によってスタジオの龍窯で焼成された作品が展示されている