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屋台街のシンボル「ラオ・パサ・ホーカーセンター」

シンガポールの食べ物の歴史をホーカー(屋台)抜きに語ることはできません。ゴザの上にお菓子や乾物を並べたり、小さな台の上にコンロを置いて煮炊きしたり、あるいは自転車や人力車で手作りの食べ物を運んだりしていた人々が、やがて屋台や仮店舗を設置し、そうした簡易食堂が一箇所に集まった場所“Village”がホーカー・センターと呼ばれるようになりました。今から20数年前まではそんな屋外のホーカー・センターが島のあちこちに点在し、裸電球の下で屋台食を食べる風景が日常的なものだったのです。

高層ビル群の中で異彩を放つオレンジ色のラオ・パサ・フェスティバル・マーケット。

 

魚市場だったラオ・パサ100年以上の歴史を刻む

金融街の中心部に八角形の屋根を擁する「ラオ・パサ・フェスティバル・マーケット」があります。ここはその昔「ウェット・マーケット」と呼ばれる魚市場でした。前身はテロック・アヤ(Telok Ayer)マーケットで、シンガポール川南にあったのですが、スタンフォード・ラッフルズが1822年にマーケット・ストリートの南端に移動させたそうです。そこは中国人やインド人の移民が船を降りてシンガポールに上陸する場所でもありました。魚を卸す場所としては便利だったのでしょう。そして1838年、シンガポールの多くの主要な建物を手掛けた建築家、ジョージ・コールマン(George Coleman)が八角形の屋根、入口には洒落た柱を配した建物を市場のためにデザインしました。これは周囲の環境を配慮し、またいずれは中心街として発展する場所にランドマークとなるような建築物を建てたかったからだといいます。1894年にはさらにジェームス・マックリッチー(James MacRitchie)が八角形の構造はそのままに、ヴィクトリア調のアイアンフレームを採り入れインテリアを一新しました。建築材はスコットランドのグラスゴーからわざわざ運んだものです。魚市場としてはなんとも贅沢な造りだったと言えます。

戦後、シェントンウエイ周辺は高層ビルが次々と建てられ、国際的な金融街に発展したのはご存知のとおりです。魚市場ではなく、オフィスで働く人々が食事のできるホーカー・センターに衣替えをしよう、という案はごく自然なものでした。海側にあった屋台の多くがここに移動し、1973年、ウェット・マーケットからモダンで清潔なフードセンター、オフィスワーカーの台所に変身、同時にナショナル・モニュメントに認定されました。

英国調アイアンフレームが支える屋根には天井扇が涼しげに回っている。

炭火焼のサテーの香ばしい匂いが流れる、夜のラオ・パサ。

ベスト・ファミリー・エクスペリエンス地元の味の競演

1986年から89年には3年の月日と680万Sドルの予算を費やして大改修が行われ、1996年には400万ドルを投じてさらに改装されました。近年はシンガポール・フードフェスティバルのさまざまなイベントを展開する場として知られ、センター中心部ではライブ・コンサートが行われ、また建物の外に並ぶサテーの屋台は夜中まで賑わい、夜更かしシンガポーリアンの社交場として、地元の人々にも外国人観光客にも親しまれています。シンガポール政府観光局のアンケートでは、ミッドナイト・サパーも楽しめるという理由で、トップ・テン・べスト・ファミリー・エクスペリエンスのひとつにも選ばれたとのこと。料理研究家のバイオレット・ウーン(Violet Oon)さんも「ランチとディナーだけでなく、ラオ・パサは朝食からティータイムのアイテム、スナックやデザートまで充実したホーカー・センター」とPRに一役買っています。

カヤトーストや飲茶、プラタとカレーの朝食、ホッケンミーやチキンライスのランチ、アイスカチャンやチェンドルのデザートといったローカル・フードはもちろん、ウエスタンや和食までが集うラオ・パサは、シンガポールのホーカー・フード・カルチャーが進化してゆく場所として、これからも多くの人々の胃袋を満たしてくれることでしょう。

昼時ともなれば、周囲のオフィスから大勢の人々がこの入口をくぐって行く。