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貝の白壁とステンドグラス「St. Andrew’s Cathedral」

今から25年前、マウント・ソフィアの丘の上からは、マリーナ湾の向こうに浮かぶリアウ諸島の島々を望み、その海と空を背景に、シンガポール最古の教会のひとつ、セント・アンドリュース・カテドラルの尖塔と十字架が見えたものです。そんな景色は今や多くのビル群に遮られてしまいましたが、教会の凛とした佇まいに変わりはありません。教会とその庭は急成長を遂げたシンガポールの最も変化の激しい場所にありながら、ビジネス街の影響をうけることなく、静かで落ち着いた趣きを保っています。1823年にスタンフォード・ラッフルズ卿によって指定されたラッフルズ・シティにセント・アンドリュース・カテドラルは建築されました。そのゴシック調の建物は外観の美しさもさることながら、内装の白壁に映えるステンドグラスに、信者でなくても神聖な光を浴びせられたような感動をおぼえます。

4枚の大きなステンドグラスと、その隙間を埋めるエンジェルを描いたステンドグラス。それぞれの絵に意味がある。
紋章をさりげなく挿入した3枚のステンドグラスは、シンガポールの歴史を語る貴重な美術品だ。

 

紋章を刻んだ東の窓と福音書の著者を描いた西の窓

礼拝堂の正面(イーストポーチ・東の窓)には細長いステンドグラスが3枚あり、繊細な模様が描かれています。ブルーを基調とした明るい色合いのステンドグラスですが、よく見ると、3人の有名な人物の紋章が、まるで模様の一部のように描かれています。中央の小窓は近代シンガポールの創設者・スタンフォード・ラッフルズ卿の記念として奉献されたもの。また、北の窓は1823年から26年までシンガポール総督を務めたジョン・クロフォード卿、南側の小窓は1843年から55年まで同じくシンガポール総督を務めたウイリアム・バタワース少将を記念するものだそうです。シンガポール開拓史に名前を刻む3人の紋章がステンドグラスの上方に組み込まれているのです。

礼拝堂後方(ウエストポーチ・西の窓)には4枚の釣り鐘型ステンドグラスがあり、こちらには中世の油絵のような人物画が見られます。彼らは福音書の著者たちで、向かって左からマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人です。よく見るとそれぞれ人、ライオン、牛、そしてワシを伴っています。エゼキエル書(旧約聖書)とヨハネの黙示録(新約聖書)に登場する動物たちで、イエス・キリストの性格を象徴しているそうです。人間としてこの世に生を受けたイエス・キリストは、ライオンのようにすべてを治める王者の資質を持ち、人に仕える牛のような奉仕の心とさらにワシのような神性さを兼ね備えていた、とされます。聖書のストーリーを理解して、このステンドグラスを眺めると、絵の中の人々や動物たちが語りかけてくるように思えるでしょう。

東のステンドグラスも西のステンドグラスもイタリア人のアーティストによって丹念に描かれ、海を渡ってシンガポールに運ばれたものなのです。

クリスマス前夜に眺めてみたい、教会の建物。

 

マドラス・チュナムによる永遠の白壁

太陽光が差し込むと、礼拝堂のステンドグラスはいっそう輝きを増すようです。そしてガラスを彩る蒼、碧、紅、黄色がたった今塗られたばかりのように際立ちます。それは教会内の雪のように純白の内装のせいもあるでしょう。礼拝堂の壁や柱は何百年たってもその白さを保ち、釘を打ち込むこともできないほど硬くコーティングされているのですから。焼いて粉にした貝と卵の白身、砂糖、そして水を混ぜた特殊な材料で最後の仕上げ塗りが行われています。昔からインドで行われているこの伝統的な手法はマドラス・チュナム(Madras Chunam)と呼ばれており、マハラジャの宮殿にも使われています。教会の建築に携わったインド人労働者がこの手法をセント・アンドリュース・カテドラルの内部塗装にも応用したのでしょう。砂浜で集めた無数の貝を打ち砕き、卵を一つ一つ割って塗料を作った人々の作業を思い浮かべながらこの広い壁を眺めると、埋め込まれた貝殻の白さが目に染みてきます。そしてステンドグラスを通して差し込んでくる太陽の光が、屋外よりも教会の中でより強く感じます。

アジアの人々によって造られた白亜の壁に、イタリアン・ルネッサンスのステンドグラスが嵌め込まれたセント・アンドリュース・カテドラルの内装は、まさに東洋と西洋の融合を象徴する芸術と言えるのではないでしょうか。

聖歌隊のコーラスは、礼拝堂の中で。