AsiaX

ユーラシア大陸最南端の国境「コーズウェイ」

「国境」という言葉にはノスタルジックな、そして旅情をかきたてる響きがあるのではないでしょうか。国境を越えると、向こう側には未知の生活空間や異文化が広がっているような気がします。そこにはパスポートやビザを検査する移民局があり、ものものしい国境警備が常駐し、さまざまな国籍の人々が往来している。でもシンガポールとマレーシアを結ぶコーズウェイの入り口に立つと、そうしたドラマティックなイメージや優雅な異国情緒は吹き飛んでしまいます。雪崩のように押し寄せる車、トラック、そして無数のオートバイ。ここは交通渋滞の激しい道路であり、世界でもっとも忙しい国境のひとつなのです。

ジョホール側から望むコーズウェイ。食料品や生活物資が陸路で毎日マレーシアから運ばれて来るため、大型トラックも多い。

1キロメートルの土手は1923年に完成

4年にわたる工事を経て90年前に造られたコーズウェイは、独立以前に建設されたものですから、完成当時は国境ではなく州と州を結ぶ道路でした。ジョホール水道のほぼ中央を細く埋め立てて造った道路は堤防のようなもので、1998年に完成したセカンド・リンクのような橋ではありません。つまり、マレーシアとシンガポールは、厳密に言えば陸続きです。とはいえシンガポールが島として認識されていることに変わりないし、ユーラシア大陸の最南端は、ジョホール州のタンジュン・ピアイということになっています。そしてコーズウェイはユーラシア大陸最南端の国境なのです。

コーズウェイは国境としての役目を担う前、1942年に一度、日本軍の進軍を防ぐため一部を切断されたことがあり、その後、日本軍によって修復されています。また民族運動が激化した1964年には一時通行止めになったこともあるそうです。歴史に翻弄されたこの道路の両側に検問所が設置され、正式に国境となったのは、シンガポールが独立した46年前のことです。

さらに1,056メートルの道路には水のパイプラインも併設されており、文字通り、シンガポール人にとってのライフラインともなっています。パイプは3本あり、2本はマレーシアからの水の供給に使われ、もう1本は精製後の水をシンガポールからマレーシアへ運ぶために使われています。

移民局の入っている通関の建物は近年改築され、手続きはスムースになった。

シンガポール側から見たコーズウェイ。数年前まで車道脇に歩道があって、徒歩で渡ることができた。今は歩いて渡ることは禁止されている。

朝晩は通勤ラッシュ生活のために国境を越える

一日に30万人もの人々が往復する日もあるというコーズウェイは、朝晩の通勤時間には渋滞となります。マレーシア側から毎日職場や学校へ通う人が大勢いるのです。シンガポール・ドルで得た収入はマレーシア・リンギに換えると2倍以上になるからです。そんな経済格差が国境超え通勤に拍車をかけてきました。毎日通勤・通学する人々にはスペシャルパスが発行されますが、他にもこの国境を頻繁に利用する人が大勢いるわけです。その膨大な数のパスポートをチェックするために大きな役目を果たしているのが日本の技術によって開発された指紋認証システムです。コーズウェイの移民局はこのシステムを世界で最初に導入した場所なのです。この機械が導入されてから、イミグレーションの通過が劇的に早くなりました。

コーズウェイの手前でシンガポールのイミグレーションを通過して出国手続きをし、コーズウェイの向こう側ではマレーシアの入国手続きをします。空いていればその間わずか20分ほど。ただしハリ・ラヤや旧正月前には、この国境を通過するのに数時間を要することもあります。普段シンガポールに住んでいるマレーシア国籍の人々がいっせいに里帰りするからです。

国境を越えればそこはモスクの祈りが響き、サロンをまとったマレー人女性が歩くのどかな国、という印象はいまやすっかり薄れてしまいました。イミグレーションのビルからはエスカレーターでまっすぐシティー・スクエアのショッピング・センターに連結しており、そこはシンガポールとほとんど変わりない店が並ぶ場所となっています。マレーシアらしい雰囲気を感じるには、旧市街やコタ・ティンギなどに足をのばす必要があります。郊外へ行けば、マレーの村落カンポンもあれば、水上家屋の並ぶ漁村もありますし、アピアピと呼ばれるホタルも見られます。

シンガポールからは国境を越えてドライブ旅行やゴルフに出かける人々もいますし、シーフードを食べるという目的だけで出かける人もいます。コーズウェイは両国を分けるボーダーではなく、人々の暮らしを支える架け橋になっているのです。

もともとひとつの国だったマレーシアとシンガポール。自由に行き来できる今、国境の意味とは何か。コーズウェイを通るとそんなことを考えます。