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大英帝国随一のモダンなターミナル「旧カラン飛行場」

シンガポールでの飛行機の初飛行は今から100年前の1911年3月16日。それから20年ほど経った頃、当時水上機が使用していたセンバワン飛行場も、商用機や軍用機が使用していたセレター飛行場も手狭になったことから、より大きな飛行場の建設が海峡植民地総督のセシル・クレメンティ卿によって1934年に計画されました。町の中心にほど近く、水上機にも対応できるカランが飛行場建設に最適な場所として選ばれ、湿地帯だったカラン一帯の埋め立てを行うところから工事が始められました。

旧カラン飛行場のターミナルビル。アール・デコ調のシンプルな建築スタイルは、1930年代当時にはかなり斬新だった。

1937年6月12日、クレメンティ卿の後任で海峡植民地最後の総督シェントン・トーマス卿の下でシンガポール初の商用飛行場、カラン飛行場が開業しました。ターミナルビルには円筒形でガラス張りの管制塔が建物の中心部に配され、1930年代に建築においても流行していたアール・デコ調の幾何学図形をモチーフにしたデザインが施されました。無駄な装飾を排し、シンプルで機能性を追及したそのモダンな建築美から“大英帝国随一の飛行場”と賞賛されたといいます。女性初の世界一周飛行挑戦中だったアメリカ人パイロットのアメリア・イヤハートも開業したばかりのカラン飛行場に立ち寄り、奇跡のように素晴らしいと称えたとか。当時シンガポール~クアラルンプール路線の料金は、片道30ストレーツ・ドルでした。

第二次世界大戦中の1941年12月から翌1942年1月にかけての日本軍によるマラヤ・シンガポール侵攻の際は、爆撃により敷地内にも大きな損傷を受けました。後に日本軍が接収し、長さ5,500フィート(約1,676 メートル)のコンクリートの滑走路が建設されて、戦争中は多くの軍用機がここから飛び立って行きました。

終戦後、商用運行が再開され、飛行機の大型化に伴って延長された滑走路はマウントバッテン・ロードを越えて現在のオールド・エアポート・ロードにまで達しました。飛行機が発着する度にマウントバッテン・ロードを通行中の車は長い信号待ちをする羽目に。更なる滑走路の延長も困難であったことから、1951年に新たな空港の建設が決定され、1955年8月、パヤレバに新空港が開業すると同時にカラン飛行場はその幕を下ろしました。

飛行場の敷地入り口にあるゲート。70年以上風雨に晒されてきた歴史を感じる。

1994年に改修された際に復元された飛行場のエンブレム。

 

 

飛行場の面影を残した“オールド・エアポート”

ターミナルビルの中央部にある管制塔への階段。すっきりとしたデザインで今見てもモダンな感じ。

飛行場としての役割を終えた後も、カラン飛行場は多くの建物や施設がそのまま残され、ターミナルビルはシンガポール人民協会(People’s Association)本部として60年代初頭から2009年まで使用されていました。また、他の建物をシンガポール・チャイニーズ・オーケストラが使用していたほか、敷地の一部が中古車展示場として使われていたこともありました。

周辺の住宅地にもオールド・エアポート・エステートやカラン・エアポート・エステートなどの名前が付けられ、飛行場だった頃の名残が見られます。かつて滑走路だったオールド・エアポート・ロード沿いにMRTサークルラインのダコタ駅があり、その近くにダコタ・クレセントという名前の道がありますが、これもカラン飛行場にゆかりがあるもの。1946年6月、ダコタ(Dakota)の名称で知られる英国王室空軍所属のダグラスDC-3機が悪天候の中カラン飛行場で事故を起こし、搭乗していた20人全員が帰らぬ人となってしまいました。道にその名が付けられたのは、歳月が流れてこの悲しい出来事を知る人が少なくなったとしても空の安全が守られ続けるように、という願いがこめられていたのでしょう。

旧カラン飛行場の未来形“オールド・エアポート・スクエア”

西ウィング棟に隣接する格納庫内の採光窓。ところどころ破れているが、外光を受けて光る様はステンドグラスのよう。

現在旧カラン飛行場は、5月15日まで開催中のシンガポール・ビエンナーレ2011の会場のひとつになっています。ターミナルビルはもちろん、正面玄関前の細長い庭園や、かつて各航空会社のオフィスが入っていたウィング棟、格納庫などに世界各国のアーティストによる現代美術作品や、地元シンガポールの小中学生が描いた絵などが展示されています。

ちなみに、英語で飛行機の格納庫を意味するハンガー(hangar)は、元々は北部フランスの方言で「家畜小屋」の意味。格納庫の製造メーカーであるREIDsteel社のウェブサイトでもその呼び名の由来が紹介されています。ビエンナーレ開催期間中に訪れる方は、“ハンガー”内に展示されたドイツ風納屋の作品をお見逃しなく。

旧カラン飛行場は、2008年に発表された都市再開発庁(URA)のマスタープランによると、これから10~15年かけて再開発される「カラン・リバーサイド」の一部である「オールド・エアポート・スクエア」として生まれ変わる予定です。ナショナル・スタジアム跡地に建設予定のスポーツ・ハブや既存のインドア・スタジアムなどと共にエンターテイメントやライフスタイルを提供する場になるとのこと。ターミナルビルやウィング棟、格納庫などの建物自体は保存されますが、その用途はこれまでとも全く異なったものになりそうです。