AsiaX

下町の風物詩「Bird Singing」

植民地時代に建てられたショップハウスや4階建ての政府公団住宅(HDB)が連なり、そこだけ1960年代にタイム・スリップしたような町並みが、ティオンバル(Tiong Bahru)には残っています。この街を歩いてみると、ウェット・マーケットで食料を買出し、近所の人々と一緒に「肉骨茶」の店でバクテーの朝食を食べ、コピ・ティアムでコンデンス・ミルク入りのコーヒーを飲んで寛ぐ、という地元の人々の暮らしぶりが見られます。以前あった中国寺院は跡形もなく消えてしまったけれど、マーケットの前に立つ大木の根元には供物台があって、そこにパイナップルが供えられ線香から細く煙がたちのぼっています。ショップハウスの一部は改装されてブティック・ホテルになっていたり、ギャラリーやカフェがオープンしている一角もありますが、太い円柱やアーチ型の窓が昔を物語っています。そしてどこからか聞こえてくる鳥の鳴声――。

鳥たちはお互いの歌を聴いて美声を競い合う。

マタ・プテの羽の色は黄緑、お腹が白く、首のあたりはオレンジ色。手のひらにおさまるくらいの小さい鳥だが、その声は遠くまでよく響き渡る。

「籠を下ろしてしまうと歌うのをやめてしまうけど、今日は撮影に協力してあげるよ」とチョーさんは自慢の鳥籠を持ってくれた。

 

半世紀以上も続く鳥の鳴声コンテスト

日曜の朝早く、ティオンバルの街を訪れると何十羽、ときには何百羽もの鳥のさえずりが、まるでコーラスのように聞こえてきます。その鳥たちが集まっているのはティオンバル・ロードとセン・ポー・ロードの角、リンク・ホテル横の広場です。鳥籠を吊るすためのフックが天井の梁に設置されており、その数は数百を数えます。ここでは毎年一回、「バード・シンギング・コンテスト」なる鳥の鳴声コンテストが開催され、参加する鳥の数は天井を埋め尽くすほど。そして毎週日曜日に鳥たちはここで歌のレッスンを行うのです。

バード・シンギング・コンテストの常連で、この道50年の大ベテラン、チョー・チェンホア(Chow Chen Hua)さんは、初めて自分の鳥を飼いはじめたときはまだ10代の少年だったそう。それ以来、ティオンバルでバード・シンギングを趣味として暮らしてきました。前回のコンテストでは、今訓練中の4羽の鳥のうちの1羽が6位に入賞しました。コンテストに参加する鳥は4種類いますが、もっとも数が多いのはマタ・プテ(Mata Puteh)という鳥だそうです。マタは目、プテは白という意味のマレー語で、まさに日本語名のメジロです。ただ、日本のメジロより小さく細めで、チョーさんによれば、メジロより歌が上手ということです。

マタ・プテはタイ、インドネシア、マレーシアなど東南アジア各国のジャングルで広く見られますが、マレーシアの鳥に美声の持ち主が多いとか。耳をすますとピピッピー、ピピピピピー、ピッピキピッピキなどリズムもトーンもバリエーション豊かで、しかも鋭く高い声の鳥もいれば、柔らかい声の鳥もいて、ソプラノ歌手だったりメゾソプラノ歌手だったり、と特徴があるわけです。もっともバード・シンギングの鳥は雄だけ。そしてなぜか飼い主も中国系の男性ばかり。

バード・シンギングは市内数箇所で行われていますが、もっとも歴史が古いのはティオンバルです。

日曜の朝、ティオンバル・マーケットは食料や花、日用品などの買い物をする人々で賑やか。

バード・シンギングの斜向かいにある、古いタイプの政府公団住宅(HDB)はウォーク・アップ式(エレベーターなし)。住人は意外にも外国人やアーティストが多い。

大切なのは飼い主の愛情

鳥の飼育にはかなり投資している、と飼い主たちはみな自慢げに話します。たとえば鳥籠は中国に特注することもあり、高価なものは数千ドル。専門の職人が1年もの歳月をかけて仕上げるのです。質の良い竹を使って、ところどころに象牙の装飾も組み入れており、中国の神様や龍、鳥、花など細かい細工は芸術品といえそうです。中にある水や餌の小さな容器にも素敵な絵が描かれています。

バード・シンギング・コンテストには鳥の飼い主だけでなく、美声の鳥を買い求める人々も来場します。過去には優勝した鳥を1万ドル以上の値段で引き取っていった人もいたそうです。

「でも私は自分の鳥を売ったりしません。鳥はとても繊細な生き物なので、飼い主が変わるときれいな声が出なくなることもあるんですよ。ただ籠に閉じ込めておくだけではだめ。籠から出して散歩させたりもしますよ。愛情を込めて育てることが大事なんです」と手塩にかけた鳥たちを眺めるチョーさん。仲間たちと一緒にお茶を飲みながら、鳥の鳴声に耳を傾ける日曜の朝はきっと至福のひとときなのでしょう。