物流の担い手が船だったころの19世紀、マレー・アーキぺラゴと呼ばれていたアジア〜オーストラリア間のインド洋から太平洋の西にかけて、トンカン(TongKang)という木製のカラフルな船が無数に行き来していました。これは20トンほどの荷物を積載できる程度の小船で、特徴としては前と後ろの舳の形が同じで全体的に丸みを帯びたものです。櫂や竿で漕いだり、大型船とロープで連結して牽引していました。長距離の移動には向きませんが、大型船から埠頭への荷物運搬、あるいは多島海の浅い海、海から川への移動には小回りのきく便利な船でした。トンカンはこの地域だけではなく、地中海から紅海、南インド、そして南シナ海まで広い海域にわたって活躍していたと言われます。
シンガポール川の主役
貨物船は古代ローマから
この小型船の船体には赤、青、黄色の極彩色のペンキが塗られ、そのデザインはなかなかエキゾティックなものでした。トンカンの出自を辿ると、ヨーロッパの影響が見られるインドのマドラス海岸で使用されていたドーニ(Dhonis)に原型を見ることができます。ただドーニの場合は漁船として使われていたことが多かったそうです。モルディブの多島海にもたくさんのドーニがさまざまな目的で使われていました。さらに遡るとドーニの原型はアラブ地域のドウ(Dhow)と呼ばれていた船で、これはもともと古代ローマや古代ギリシャの時代に地中海でも活躍していた船なのです。
これらの船はその使用目的や持ち主によって、いろいろなデザインが施されてきました。広い海でも目立つように原色で塗られているのが特徴ですが、シンガポール川を行き来していたトンカンの舳の両脇には丸い目が付いています。その目がさまざまな色に塗り分けられており、船の種類がわかるようになっていたようです。たとえば船の持ち主が潮州省出身の人なら目の周りを赤に、福建省出身の人なら緑に染めていました。船の目が持ち主の素性を表していたわけです。
1819年から1983年までの160年以上にわたって、トンカンはシンガポールの港、川になくてはならない存在でした。しかしその後、港のシステムや先端技術の導入により、このような船は必要がなくなり、トンカンはその役目を終えたのです。川からは船が消え、倉庫街は改装されてレストラン街に姿を変えました。現在シンガポール川にはトンカンの最後の2艘が残されているのみです。
ジンを飲みながらノスタルジックな夜を