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コピとエスプレッソのある懐深い街歩き。ティオンバル地区

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シンガポールのデザイナーやクリエイター達、また欧米の若い駐在員などが今暮らしたい街としてその名を挙げるのがティオンバル地区。チャイナタウンやオーチャードエリア至近ながら昔のままの下町風情に溢れ、今やトレンドを発信する人々が集まるティオンバルの魅力を探ります。

 

1930年代、「美人窝(メイレンウォ)」とも呼ばれたアップタウン

シンガポール人の80%が暮らすシンガポール公団住宅(HDB)は、現在シンガポール島内全域にありますが、ティオンバルの公団住宅群はシンガポールでも最も旧いもののひとつ。HDBの前身となる英国植民地政府下のシンガポール改善財団(SIT)が、イギリス人の建築家などを招いて1930年代に設計しました。この界隈にある、4、5階建てのSITの公団住宅をみると、曲線が多用されたストリームライン・モダンとよばれるアール・デコ様式の外観で、建物の間にゆったりとした芝生の敷地があるなど、高層でマッチ箱風の典型的なHDBのデザインとは異なる、独特のいい雰囲気があります。

 

一般市民が近代的な生活を営むためのモデルとして設計されただけあり、庶民の台所であるウェットマーケットを始め、暮らしに必要な雑貨店、飲食店、病院なども集められ、戦前より一大コミュニティーが形成されました。最初にこの公団住宅に入居できた人たちは、中流階級以上のブルジョワ層が多かったのと、多くの財閥のビジネスマン達が愛人たちを住まわせていたことから、美女が多く住まう場所、「美人窝」という異名も取っていたそうです。今では、新たに高層のHDBやコンドミニアムが立ち並び、住民も増え、エレベーターすらない従来の公団住宅には、その雰囲気を好んでか、外国人も多く暮らすようになりました。

 

コピにカヤトースト、それともエスプレッソにクロワッサン?

現在、歴史的建造物として保存地区に指定されている、ティオンバル・ロード、センポー・ロード、ヨンシアック・ストリート、チョンポー・ストリートに囲まれたエリアには、今でも雑貨店や工具店、お粥や醸豆腐の有名店などが軒を並べています。ところが、この2年程の間に、新しい世代のショップオーナ−が増えて、少しづつ様相が変わってきました。昔からの生卵の販売店は、フランス人のシェフが率いる「ティオンバル・ベーカリー」になり、裁縫用品の問屋だった店は、こだわり焙煎のコーヒーを出す「オレンジ・ティンブル(オレンジ色の指ぬき)」に変わりました。

 

ティオンバルの居心地の良さに目をつけて店を開いた若手の先駆者のひとり、「ブックス・アクチュアリー」のオーナーのケニー・レックさんは、「去年家賃の高騰に見舞われ、クラブストリートから移転しました。昔ながらの日々の暮らしがあるティオンバル界隈が気に入っています。ただ、痛感しているのは何事もバランスが大事だということ。最近新しい店やオフィスが旧いテナントに代わって入居し始めたことで、ここもトレンディな地域となり、家賃の高騰などに繋がらなければいいんですが」といいます。

 

この界隈の住人に限らず、あらゆる世代や人種が集まるティオンバルは、以前からその忙しない人通りが絶えることはありません。コピを飲んで話し込む生粋のティオンバルの住人や、朝粥の有名店目指しわざわざ足を運ぶシンガポール人達も、よりすぐりのコーヒー豆を自家焙煎していれたエスプレッソを出すカフェやシンガポール随一と評されるクロワッサンのあるベーカリーといったチョイスの多様化を、むしろ時代の流れとして平静に受け入れているように見えます。無論、通い慣れた店がそこにある限りにおいてといえるかもしれませんが。

 

古き良きものが体感できてこそのティオンバル。ここでは、住人同士が声を掛け合う日常もまだあります。レトロな風景と情緒に触れながら、セレクトショップやカフェを巡ってのんびり歩いてみると、新しいシンガポールが見えてくるでしょう。