「ブキバトの慰霊塔 1942年、日本軍は『昭南忠霊塔』の建立を連合軍捕虜に命じた。日本軍戦死将兵を祭るこの慰霊塔は、先端を円錐状の銅で覆った高さ約12メートルの木造の塔であった。また捕虜らは英軍連合部隊戦死将兵の霊を弔う高さ約3メートルの木造の十字架を昭南忠霊塔のうしろに建てた。『昭南忠霊塔』は1945年、連合軍がシンガポールに上陸する前に日本軍によって取り壊された」。
これはブキバト・ヒル(Bukit Batok Hill)の小道に続く階段上にある、記念碑に刻まれた碑文です。
ブキティマの戦闘後に建てられた慰霊塔
その後3年間、日本はシンガポールを占領し、その間植民地として昭南島と呼びました。しかしそれは1945年に終焉を迎えます。連合軍が反撃を開始し、再びシンガポールに上陸する前、日本軍は自らの手でこの昭南忠霊塔と十字架を破壊しました。残されたのは参道とそこに続く階段だけです。階段を上りきったところにあった慰霊塔も十字架も痕跡はありません。慰霊塔に収められていた戦死兵たちの灰は日本人墓地に移されたということです。
ブキバト・パークの緑の中にひっそりと佇む長い階段。今その中央には本を開いた形の銅製の記念碑が見られます。この記念碑は1981年、歴史資料としてシンガポール政府観光局と国家遺産庁によって建てられたものです。碑文は冒頭に記したように日本語でも書かれています。
昭南島時代の資料を展示する旧フォード工場
今年は日本軍占領70周年。昭南忠霊塔跡地やマックリッチ貯水池(MacRitchie Reservoir)奥にある昭南神社跡地など、島内に残された戦跡を訪ねるツアーが不定期で催行されています。中でもこのフォード工場博物館はアッパー・ブキティマ・ロード(Upper Bukit Timah Road)沿いにあって行きやすい場所のひとつです。その裏の丘、ロロン・セスアイ(Lorong Sesuai)に位置する昭南忠霊塔跡地と併せて一度は訪れておきたい場所です。