西はアフリカから東はフィリピンに至るまで、海で繋がった領域に暮らす人々は、広義ながら皆マレー民族だ、とマレーへリテージセンター(MHC)のアシスタントディレクター、ノサリーン・サレイさんは言います。長い歴史を持つ彼らは、海の民として陸で暮らさなかった人々や、漁業や海上貿易に携わっていた人々が大半で、アンダマン海や南シナ海にある港町には、自然とマレー人の家族が相当数暮らし、シンガポールも、その港町の一つだったのです。
カンポン・グラム、「グラムの木のある集落」
その後、サルタンであるフセインのためにイスタナを建て、周囲の広大な土地をサルタンのものとしました。そしてこの地はカンポン・グラムと呼ばれ、1840年代に完成した典型的な英国コロニアル風建物の旧イスタナこそ、現在のMHCの建物です。
20世紀の初頭、勢力の衰えとともにサルタンはシンガポールでの公式な地位を失い、建物と土地の所有権も植民地政府に帰属し、規模も縮小されました。第二次世界大戦中の日本の占領下時代、マレー優遇政策がとられる中で、サルタンの親戚筋が多くここに移り住みました。
1990年代にアラブストリート界隈の再開発がすすみ、1999年4月にシンガポール政府がイスタナ・カンポングラムをマレーヘリテージセンターとして再開発することを発表。当時、サルタンの血を引く80名もの家族がここに住んでいたそうです。
有形無形のマレーの世界を丸ごと体感できる場所
旧イスタナの建物では、マレーの家屋の風習に習って靴を脱いで上がり、まずは2階の展示室へ。マレー民族が分布する地域を示す巨大な地図と、19世紀以降のシンガポール市街地の変遷がわかる展示があります。隣のシンガポールにおけるマレー民族を紹介する展示室に進むと、シンガポールの国宝とされるサルタン一族の宝物などが間近に見れたり、人々の伝統的な陸上のライフスタイルや、ブギスハウス(水上生活者の家)、メッカへのハッジ(巡礼)、海上貿易の様子などが続きます。
階下へ下りると、近代以降の彼らの文化面での活躍が紹介されています。印刷会社が集まり戦後まで出版の中心を担ったカンポン・グラム、1920年代まで大衆の娯楽だったマレーオペラ、そこから発展した映画産業、また、国歌を生んだ著名音楽家ズビル・サイドなど、インタラクティブな展示を通して、驚きと共にその豊かな芸術性を垣間みれます。
「国内外から訪れる人々がマレー民族への理解を深め、マレーのルーツを持つ人には、自分の民族に誇りを持つ機会となれば。MHCは、アジアにおけるマレー文化を伝承するリーダー的機関となることを目指しています」とサレイさん。イスタナ時代が今に蘇ったような堂々たる佇まいのMHCは、マレー特有の懐の深さと温かみを持って、多くの人々を迎え入れていくでしょう。