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シンガポールとインドの歴史を辿る旅へ インディアン・ヘリテージ・センター

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リトル・インディアの街並みに馴染むインディアン・ヘリテージ・センターの外観。
(写真提供:インディアン・ヘリテージ・センター)

数千年も前から、インド系の人々は貿易を通じて、東南アジアに言語や宗教、民族コミュニティの統治方法をもたらしてきました。シンガポールの国名も、「シンガプーラ(ライオンの町)」というインドのサンスクリット語が由来となっています。近年ではシンナサンビ・ラジャラトナム元シンガポール第二副首相をはじめ、政界でもインド系住民が大いに活躍。インド系住民は昔も現代も、中華系住民、マレー系住民とともに、シンガポールの文化や政治に様々な影響を与えています。しかし、チャイナタウン・ヘリテージ・センター(Chinatown Heritage Centre)やマレー・ヘリテージ・センター(Malay Heritage Centre)は存在しても、インド系住民の歴史に焦点を当てた常設施設はありませんでした。シンガポールが発展した背景に、インド系住民の存在も欠かすことはできないとして、シンガポール国立博物館やプラナカン博物館を運営するナショナル・ヘリテージ・ボード(National Heritage Board)が施設の創設に向けて動き出し、2015年5月、ついにリトル・インディアに「インディアン・ヘリテージ・センター(Indian Heritage Centre)」が完成しました。

南アジアとの貿易が、シンガポールを変えていく

400点以上の展示物が公開されている施設内。中にはインド政府から記念として贈られたものもある。

東南アジアと南アジアとの歴史は、現存している美術品などを調べると今から2,000年前の1世紀にまで遡ることができます。当時は仏教やヒンズー教にまつわる石像のほか、古代インドのラーマーヤナやマハーバーラタという叙事詩と関連性を持つ芸術作品などが数多く流通していました。
何世紀にも渡って広範囲な交易が続きましたが、大きな変化が訪れたのは、アジア各地で英国の植民地化の動きが強まった19世紀初頭。特にシンガポールは、マレー半島の先端にあり地理的な条件が良いことから中継貿易港として発展し、アジア全体の貿易が拡大されました。するとインド南部のマドラスや東部のコルカタなどからも多くの人々がシンガポールに流入するようになり、インド系住民の数が増加。コミュニティの多様性も増し、インドの言語、宗教、衣服や食といった文化が、シンガポールで定着していくようになりました。
20世紀に入ると、シンガポールに移住したインド系コミュニティと、インド本土との経済関係はより一層深まり、反植民地主義者の間で本国への帰属意識が高まりました。移民にタミル語を話すタミル人が多かったことから、タミル語による新聞やラジオ放送などが登場。インド系の政治的影響力も大きくなっていきました。

 

 

デザインも発想も楽しい、進化した文化センター

インド系社会を年代別で冒険するRPGゲーム。グラフィックの質も高い。

 

インディアン・ヘリテージ・センターでは、これらの2000年前から戦後までのインド系の人々にまつわる歴史を、5つのテーマに分けて紹介しています。各展示室には、それぞれ最先端の技術を駆使したシステムを導入しているのが特徴です。大きなスクリーン映像でインド系社会の歩みを紹介するシアター、スマートフォンのアプリを使用して特定の場所をかざすと展示品の細かい部分まで確認できる3Dのバーチャルガイド、過去と現代のインド系住民の生活の様子を比較できるRPGゲームなどが用意されています。また、モダンでデザイン性に溢れた施設の外観にも注目です。外から見える入り組んだ階段は、インドの有名な観光地であるチャンド・バオリの井戸階段をイメージしているとのこと。
「当施設を通して、インド系住民の歴史をたくさんの人たちに知ってもらうのはもちろん、私たちの歩みを次世代の子供たちに伝えていく教育機関としても利用していきたい」と話すのは、アシスタント学芸員のマルヴィカ・アガルワルさん。今後はイベントや展示物を充実させるだけでなく、学校へ赴いて講演を行ったり、インド系コミュニティの絆をより深める機会を作ったりしたいと語っていました。
シンガポールの歴史を語る上で、決して欠かすことのできないインドにルーツを持つ人々の存在。彼らはこれからも様々なバックグラウンドを持つ他のシンガポール国民とともに、シンガポールを進化させる大きな力となっていくことでしょう。

 

今回ツアーを担当してくれたマルヴィカ・アガルワルさん。無料ガイドツアーは英語とタミル語で行われており、中国語やマレー語は今後導入予定。日本語も現在検討中とのこと。