プラナカンと呼ばれる、南洋華人が築いた美しい邸宅で、華麗な文化、独特の生活様式が継承されていました。
典型的なプラナカンの家 ババハウス
プラナカンとは「地元で生まれた子供」という意味のマレー語で、中国大陸からマレー半島に渡って財を築き、地元のマレー人女性と結婚して子孫を繁栄させたストレーツ・チャイニーズ(南洋華人)の人々のことです。彼らは16世紀ごろ、まずマラッカでコミュニティーを形成し、そのうちの一部がペナン、そしてシンガポールに移住してきました。プラナカンの男性をババ、女性をニョニャと呼ぶところから、ニール・ロードにある邸宅はババハウスと名付けられました。ここは現在シンガポール国立大学が管理するミニ博物館となっています。内部には中国の神様を祀った神棚があり、マザーパールをあしらった螺鈿の家具や、天蓋のあるベッドがそのまま保存されていて、富裕なプラナカンの人々の暮らしを彷彿させます。
プラナカンはもともと中国系の人々ですが、マレーやヨーロッパの人々と結婚した人もいますし、また貿易商を営んでいたことから、外国の影響を強く受けており、邸宅内には中国製の陶器や額縁が飾られ、ヨーロッパから輸入されたランプシェイドやガラス製品があり、中東のものと思われる絨毯が敷かれており、東西の物資が集まってきた港町・シンガポールの融合文化が見られます。
プラナカンの骨董品を展示 ザ・インタン
もともとプラナカンの人々が多く住んでいたジューチャットにあるザ・インタンも、テラスハウスを改造したもので、家の主のプライベート・コレクションが展示されています。
この邸宅に今も住み続けているアルヴィン・ヤップ(Alvin Yapp)さんは18歳の時にプラナカンとしてのアイデンティティーに目覚め、骨董の家具や陶器、ビーズのサンダルや装飾品、ケバヤと呼ばれるブラウスやバティックなどを集め始めました。今、それは家の中にさりげなく置かれ、生活の中に溶け込んでいます。
圧巻は階段にずらっと並べられた琺瑯びきの花瓶とティフィン。お弁当箱として使用されていたティフィンは、丸いお重をいくつか重ね、ハンドルを付けたものです。もともとヨーロッパで使われていたらしいのですが、マレー半島にも伝わってティンカットとも呼ばれ、さまざまなデザインのものが作られました。ヨーロッパ風のパステルカラーに中国風の花模様、そしてマレー語、さらにタミール語の文字が刻まれたティフィンは、シンガポールの多民族文化を象徴するようなお弁当箱です。
それらのアンティークに囲まれて日々を過ごすアルヴィンさんに、シンガポールのプラナカンの特徴について尋ねると、しばらく考え込んでいました。服装や料理に、マラッカ、ペナン、シンガポールのプラナカンはそれぞれ趣向が少しずつ違うと言います。ただ、プラナカンがシンガポールで繁栄した時期は20世紀前半頃のほんの30年から40年。どんな違いがあったか、今それを検証するのは難しいそうです。
「裕福なプラナカンの中でもアジア大陸最南端のプラナカンはもっともリッチになったと言われてますが?」という記者の質問に、アルヴィンさんは笑いながらこう答えてくれました。「それはシンガポールがマレーシアより豊かになったからそう見えるのでしょう。プラナカンは少数民族なので、地域ごとに比較することはできないと思う」。
銀食器を磨きながら、7代目のババとして生きるアルヴィンさんはギャラリーのような家の中を見回しました。