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シンガポールの街を走り続ける、昔ながらの乗り物・トライショー

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自転車と日本の人力車の台をくっつけたような形の乗り物、トライショー(trishaw)。中国語での表記は「三輪車」。その字の通り、3つの車輪が付いています。

 

 

トライショーの元になったのが、2つの車輪が付いた台を人が引っ張るリクショー(rickshaw)。リクショーは、元を辿れば明治維新を迎えた日本で1868年に完成したとされる人力車です。江戸時代まで長らく人を運ぶ手段として利用されていた駕籠(かご)よりも速く、馬よりも人件費の方が安かったことから、人力車は東京を中心にまたたく間に普及しました。

 

 

人力車は便利でかつ低コストな乗り物として中国へ広まり、さらにそれが中国からの移民によって東南アジアやインド、アフリカにまで広まっていきました。日本語のジンリキシャが中国でジンリクショーと呼ばれ、さらに短くなってリクショーと呼ばれるように。1880年代にはシンガポールにもリクショーがお目見えしていたようです。

 

アジアで生まれた和洋折衷の乗り物

人力車より少し前、1861年にフランスでペダルを前輪に取り付けたタイプの自転車が開発され、その後1879年には後輪にチェーンを繋いだタイプがイギリスで開発されるなど、ヨーロッパで発達した自転車が19世紀末から20世紀にかけてアジアにも広まりました。やがて、その自転車とリクショーを融合し、リクショーよりも少ない労力でより速く移動できる3輪の乗り物が作られました。東南アジアの多くの地域では、客を乗せる台の前に人が漕ぐ部分があるタイプが多かったようですが、ベトナムやインドネシアでは人が漕ぐ部分が台の後ろにあるタイプが普及。フィリピンでは人が漕ぐ部分と台が横並びになっているタイプが広まりました。

 

 

リクショーが進化した3輪の乗り物の呼び方は、ペダル・リクショー、サイクル・リクショーなど各地でさまざま。シンガポール、マレーシアなどでは、“3つの”という意味の英語の接頭辞トライ(tri)とリクショーを合わせたトライショーの呼び名が定着しました。

 

 

トライショーがシンガポールに入ってきたのは1914年。当時15台以上のトライショーが登録されていたようです。ただしこれらは国外へ転売されていったため、シンガポールでの本格的な普及は1920年代に入ってから。トライショーの漕ぎ手は、中華系の移民たちが最初に就く仕事のひとつでもありました。

 

生活に欠かせない交通手段から観光の目玉へ

約半世紀の間、トライショーはシンガポールの人々にとって重要な交通手段のひとつでした。独立前の1960年頃には約9,000台のトライショーが庶民の足として活躍していたようです。しかし、経済の発展とともにバイクや自動車にその座を譲り、トライショーは徐々に減少。現在ではその数100台ほどを数えるのみで、そのほとんどが観光客向けとなっています。

 

 

生活の中の交通手段ではなくなったとはいえ、長らくシンガポールの人々に親しまれてきたトライショーが姿を消し始めていることを惜しむ声は多く、しばしば新聞の投書欄やブログなどに掲載されました。シンガポール政府観光局もシンガポールの歴史を伝える重要な乗り物としてトライショーの保存に力を入れるようになり、事業として運営する企業を公募。2010年にトライショー・アンクル(Trishaw Uncle Pte Ltd)が認可を受け、ブギスにあるアルバート・モール・トライショー・パークを拠点としてトライショーの運営を担うようになりました。

 

 

トライショー・アンクルでは、漕ぎ手に負担の少ないバッテリー搭載型のトライショーを導入。原型はそのままに、モダンなスタイルのトライショーを走らせています。ツアーは1回あたり30〜45分、ブギスやリトルインディア、シンガポール・リバー沿いなどを回ります。タクシーやバスよりゆっくりとしたペースで巡りながらシンガポールの街中の景色を楽しめると観光客にも好評。2011年には自動車レースのF1シンガポール・グランプリで来星したドライバーが、ファンとの交流イベントでの移動にトライショーを利用して話題になりました。

 

 

トライショーはその姿や形を少しずつ変え、進化しながら、今日もシンガポールの街中を走っています。