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スパイスの壺・小印度「Little India Arcade」

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オーチャード・ロードを南に下り、セレギー・ロードを経てローチョー運河を渡ると風景は一変して、活気あふれるインド人街(リトルインディア)に入ります。左側はシンガポール最大規模の市場であるテッカ・マーケット、右側には黄色いショップハウスのリトルインディア・アーケード。ここがインド人街の入口であり、またこのエリアの象徴的な場所でもあります。中心となるセラングーン・ロードに面した、アーケードの入口から小印度の世界へ足を踏み入れると、ムンバイやデリーの街の一角に迷い込んだような気分を味わえるでしょう。

 

19世紀初めに形成されたインド人コミュニティー

東インド会社から派遣されたスタンフォード・ラッフルズが、シンガポールの開発を始めたのは19世紀初頭のことでした。同時に多くのインド人が労働者として移住してきました。植民地時代初期は今のチャイナタウンに近い所に住み始め、中国人労働者たちとともに建設現場で働いていました。

 

 

開発が進むにつれインド人の人口は急増し、たくさんの牛を放し飼いにするため、もっと広い場所が必要となり、シンガポール川の西側、現在のドビーゴートあたりからローチョー地区、そしてセラングーン・ロード周辺に移動したそうです。その後も主に南インドのタミール・ナドゥ州から貿易商人や技術労働者、さらにはテーラーや食堂経営者などさまざまな職業のインド人がシンガポールに来て暮らすようになり、中心のセラングーン・ロード沿いには多くの家や商店とともに、シンボルとなるヒンズー寺院も建設されました。

 

 

リトル・インディア・アーケードの建物が建てられたのは1913年です。コロニアル・スタイルのがっしりとした2階建て建築で、当時数多く建設されたショップハウスのひとつです。一般的には1階が商店やオフィス、二階が住居や倉庫として使われていました。

 

 

しかしここに住んでいた人々も1960〜1970年ごろに次々と建てられた政府公団住宅HDBに移り住み、このあたり一帯は商業地区として発展しました。リトルインディア・アーケードはその後、ヒンドゥー基金局(Hindu Endowments Board : HEB)の管理のもと、大規模に改装されて1994年に美しくよみがえりました。

 

インドの伝統文化を継承し、手工芸品を販売

アーケード内にあるインドのスイーツの店、金細工の店、アクセサリー・ショップ、サリーやパンジャブ・スーツといったインドの伝統衣装の店は、今も地元のインド系シンガポーリアンに親しまれています。ミラーを張り付けたジュエリー・ボックスやペーパー・マルシェと呼ばれる色鮮やかな工芸品はお土産の定番です。ヨーロッパからの観光客がパシュミナやショールを選んだり、ブラス(真ちゅう)を嵌め込んだ木工製品を買い求めています。

 

 

地元の小学生たちも社会見学に訪れ、インド文化に触れています。魔除けのために使われるビンディ(またはプッティ)というシールを額の真ん中に張ってみたり、ヘナと呼ばれる植物染料で手や足にボディ・アート(インスタント・タトゥー)を描いてもらったりしています。

 

 

クジャクの羽を振り回して遊んでいる子もいました。アーケードの周囲にもインド人街は広がっています。

 

 

ジャスミンの花輪を造っているストール、店先でミシンを踏むインド人テーラー。路地裏を歩いてみれば、今も占い師やストリート・バーバー(床屋さん)が商売をしています。あちこちの店から流れてくるボリウッド音楽、熱気とともに漂う香辛料やギー油の匂い。昔路上に並んでいたスパイス入りの大きな麻袋や、アーユルヴェーダの薬専門店などはいつのまにかなくなってしまいましたが、お祭りのような喧騒と、インド系の人々のパワーは今も健在です。リトルインディアという名のとおり小さなインド人街ですが、いつもその力強さに圧倒されます。