数十年前にはシンガポールにもピューター工場がいくつもありました。その時代を知る、今やシンガポールで唯一のピューター工場を持つ地元企業がフェニックス・ピューター(Phoenix Pewter Pte Ltd)です。
ピューター製品へのニーズの変遷
フェニックス・ピューターが設立されたのは1980年。その頃シンガポールでピューター製品の買い手は主に外国人観光客でした。同社のスティーブン・タンさんによると、1980年代から1990年代にかけては特に日本人の団体観光客に人気でした。「1人が購入すると、みな同じものを求めるので、特定の商品がまとめて売れてしまう。店から補充の注文が入って慌てて届けに行ったこともよくありました。飾り皿や置き物などが人気でした」。
その後1990年代後半から2000年代の主な買い手は中国人の団体観光客。「彼らも、1人が購入すると、やはりみなが購入しようとするのですが、他の人が選んだものと別のものを求めていました。置き物などより実用的なマグカップなどが人気でした」。
最近では、国籍を問わずさまざまな国々から訪れる観光客がピューター製品を購入していますが、その数はピーク時に比べるとかなり少なくなっているようです。
シンガポールで最後のマイスターたち
現在、大量生産品はタイの工場で生産。シンガポールの工場では、企業や政府機関が特別な機会に作る記念品や、各種スポーツ大会の賞品などのオーダーメイドに対応、金型からひとつひとつ職人が手作りで製作します。同社のピューターは、スズ97%、アンチモン3%の合金。スズにアンチモンを入れる手法は18世紀のイギリスで開発され、ブリタニアメタルとも呼ばれます。
この工場にある機械のほとんどは自社開発。例えば、飾り皿の縁の研磨で使用する機械は、皿を固定して高速で回転させますが、皿を何かで掴む構造にすると傷ついてしまいます。そこで、同社では機械の内部から強力な力で皿を吸引して機械に固定しています。この機械を設計・製作したのは実はスティーブンさん。5名いる職人はみな熟年世代で、うち3名はスティーブンさんの兄達。「金型作りから製品の仕上げまで一連の工程をすべて自分達でできる技術力があったから、今も生き残っているんだと思います」。
今のところ同社の後継者は未定。「細かい手作業で楽な仕事ではないので、自分や兄の子供達もやりたがらないんです。工場からも職人がどんどん減って、今じゃ機械の数の方が多いぐらい」。それでも自分達の手で生み出すメイド・イン・シンガポールのピューター製品を少しでも長く作り続けられるようにと、新たな市場開拓にも奮闘中。シンガポールで最後のピューター・マイスターたちの挑戦はまだまだ続きます。