AsiaX

チャンギ巡礼、苦境を生きた捕虜たちを知る

スクリーンショット 2015-07-02 12.34.15

チャンギ空港のさらに北、シンガポール日本人学校小学部チャンギ校にほど近い一帯は、第二次世界大戦の暗い時代をこの地で過ごした人々のことが今に語り継がれています。

 

 

第二次世界大戦前は、香港からニュージーランドまでのイギリス連邦諸国 を守る英国空軍の基地として、イギリス人を中心に外国人が多く住んだ地域でした。シンガポールが旧日本軍により陥落し、その占領下(1942年〜1945年)昭南島と呼ばれた間、チャンギにはイギリス人やオーストラリア人を中心に民間人および兵士が捕虜(Prisoners Of War/POW)として収監されました。チャンギ刑務所に4,000人、旧兵舎には5万人の捕虜がいたといいます。

 

歴史を未来に語るチャンギ博物館

現在のチャンギ博物館は、チャンギ刑務所横から2001年に移設され、中庭にある簡素な礼拝堂は、捕虜たちがチャンギ刑務所の中で祈りを捧げたチャペルのレプリカ。チャンギ刑務所の現在の囚人たちによって1998年に再建されました。オリジナルのチャンギ礼拝堂は、終戦後解体されて現在はオーストラリアの首都キャンベラにあります。

 

 

チャンギ博物館は、国籍を超えて第二次世界大戦という苦難を経験した全ての人に捧げられています。旧日本軍占領下の過酷な環境の中を生き抜いた人々の様子がインタビューや手紙を中心に赤裸々に語られ、重労働、餓え、感染症に悩まされた日々や、特に華人らへの旧日本軍による数々の暴行の様子も展示に含まれます。また、チャンギの捕虜たちの多くが「死の鉄道」と呼ばれたタイと当時のビルマをつなぐ泰緬連接鉄道の建設現場に送られ、終戦近くにコレラやマラリアに病み劣悪な環境を生き抜いて痩せこけた姿になってチャンギへ戻ってきました。その壮絶な状況も目の当たりにするでしょう。

 

 

後半、病から奇跡的に回復した捕虜が描いた壁画や、市民の捕虜による愛する家族を思い紡いだキルトの複製を見ることで、収容中、捕虜たちが生きる希望や士気を維持した逞しさを感じずにはいられません。また、当時の日本人の中にも人道的な行動をとり英雄として名を残した人々の紹介も。見学中締め付けられる胸中が、ふと救われる気持ちになります。

 

 

「私たちは忘れない」、「今を平和に生きています」

礼拝堂や博物館のメッセージボードに残された言葉には、積年の思いや平和への感謝が込められています。

 

 

チャンギ博物館では、関連会社と共同でバスツアーを企画しており、博物館、チャンギ刑務所、チャンギ海岸、セララン兵舎跡など3時間ほどかけて、知識豊富なガイドとともに回ります。このツアーには、いわば巡礼のためにシンガポールを訪れたオーストラリアやイギリスなどからの捕虜たちにゆかりある遺族や退役軍人が多く参加してきました。

 

 

「日本人は幼少からサムライ精神をたたき込まれ、国のために命を捨てるのが潔いと教えられていた。旧日本軍が連合軍捕虜を酷使した理由は、多くの人命を救うためとはいえ、徹底的に戦わずに白旗を上げ、国や家族を侮辱した連合軍兵士たちは罪深い存在で、どうにも受け入れられなかったからなんです」と、ガイドのクェック・ジューリンさんは言います。

 

 

戦後の現代史を積極的に学ぶ機会の少ない我々日本人は、どういう見解を述べることができるでしょうか。歴史を事実として受け止め、謙虚に平和について考えさせられる場所です。