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熱帯綺羅

2013年8月19日

変わることのない名門ホテルの風格「ラッフルズ・ホテル」

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スクリーンショット 2015-07-02 12.22.26白亜の美しい壁とコロニアル様式の堂々たる佇まいが印象的なラッフルズ・ホテル。ホテル名の由来ともなったスタンフォード・ラッフルズ卿のシンガポール上陸から70年近く経った1887年12月に開業しました。

 

 

当時、英国領海峡植民地の中心地であり自由貿易港として急速に発展していたシンガポールに目を付けたのは、ペルシャ(現イラン)出身のアルメニア人、マーティン・サーキーズとティグラン・サーキーズの兄弟。1869年にスエズ運河が開通し、ヨーロッパ〜アジア間が船で往来しやすくなったことから、旅行でアジアを訪れる人々も増えることを見越して、アジアに超一流ホテルを建てることを考えたのでした。

 

 

サーキーズ兄弟は、1885年、貿易中継地として栄えていたペナンでイースタン・アンド・オリエンタル・ホテルを開業。1901年にビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)にもストランド・ホテルを開業しています。これら2つのホテルは、ラッフルズ・ホテルと同様、100年以上経った今日も名門として知られるホテル。サーキーズ兄弟の先見の明には驚くばかりです。

 

世界恐慌、第2次世界大戦を乗り越えてきたホテル

 

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「ラッフルズ・ホテルは、開業した時はわずか10室のバンガローだったんですよ」と語るのは、ラッフルズ・ホテルに40年以上勤務するレスリー・ダンカーさん。開業から10年ほどの間に2階建てのパーム・コート・ウイングやビリヤードルームなどが次々と建てられました。3階建てのメイン部分が完成したのが1899年で、20世紀初頭に、ほぼ現在の形になりました。南国風の高い天井やベランダと、ヨーロッパ風のデザインが調和したコロニアル様式の建物は、たちまち欧米からの旅行客にも人気に。これまでに世界的に著名な作家や映画監督、アーティスト、さらにはエリザベス2世をはじめヨーロッパ各国の王室関係者なども多数滞在しています。

 

 

正面玄関前の通りの名前「ビーチ・ロード」が示唆するように、ホテルは当初海岸近くにありました。埋め立てにより現在は海岸線から500mほど離れていますが、かつてはホテルの目の前に海が広がっていたのです。

 

 

ラッフルズ・ホテルにとっての最初の大きな危機は1931年。世界恐慌のあおりで経営が悪化し、破産。ホテルは何とか存続し、1933年に設立された新会社の下で経営再建されました。しかし第2次世界大戦中の1943年、日本軍がシンガポールを占領すると名前を「昭南旅館」と変えられ、軍幹部の営舎となってしまいました。

 

 

終戦後しばらくは、解放された連合国軍捕虜の帰国前の宿泊施設として使用され、その後本来のラッフルズ・ホテルとして再び宿泊客を迎え入れるようになりました。シンガポールが自治州となった1959年以降、政府主導で観光促進策が進む中、ラッフルズ・ホテルはその歴史と名声で観光客誘致にも一役買いました。

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