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シンガポールに残る最後のカンポンを訪ねて

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「バレ・カンポン(Balek Kampong)」。マレー語で、バレは帰る、カンポンは村を指し、帰郷を意味します。カンポンという言葉が親しみを持って今に使われる所以です。
1965年の建国後、シンガポールはコンクリートの高層住宅であるHDB(公営)団地の建設が破竹の勢いで進められ、今では国民の8割が暮らしています。そのHDB団地ができる以前、多くのシンガポール人は、郊外の簡素な家々が集まったカンポンと呼ばれる集落に華人もマレー人も隣り合わせで暮らしていました。隣人はそれぞれ助け合い、子供たちは集って外で遊び、戸に鍵をかけることもなく皆が行き来して、日々のんびり暮らしていました。そんな当時の面影を残したカンポンが、ホウガン地区のロロン・ブアンコック(Lorong Buang Kok)にあります。

 

カンポンをそぞろ歩いてタイムスリップ

シンガポール最後のカンポンといわれるロロン・ブアンコックの集落は、1956年に一帯の土地を華人の薬商人スン・テオクーン氏が購入、現在は娘のスン・ムイホンさんら家族が所有しています。サッカー場が3面入るほどの大きさの土地に、40世帯あった往時に比べると数は減り、今は27世帯が暮らします。未舗装の道路、庭や垣根の外に茂るマンゴー、ランブータン、バナナといったフルーツの木、我が物顔で闊歩する犬や猫たち。シンガポールではほとんど見られなくなった電信柱に空で交差する電線。トタン屋根の木造平屋が並び、その色合いや屋外に施したどこか懐かしい装飾を見ていると60年代の映画セットにでも迷い込んだような気分になり、我々が知るシンガポールの日常とは違うペースで流れる時間を肌で感じられます。
スンさんは、地主として住民から借地料を毎月集めます。長年の物価上昇やインフレを度外視した金額で一戸当たり月6.5〜30Sドル。
暮らしはいたってシンプルで、不自由なこともあるはず。以前、ある新聞記事に3,300万Sドル相当の不動産価値があると書かれたものの、この地を手放すつもりはないとのこと。「この特別な場所が、次世代に引き継がれてずっと守られていくよう望むばかりです」。

 

今に生きるカンポン精神に触れる

近所に暮らす人々が声かけあって助け合う「カンポン精神」の慣習をこよなく愛するスンさん。カンポンに暮らして58年間、一度もここを離れたいと思ったことはなく、馴染みのカラフルな花々、動物たちに囲まれてのんびり暮らせる場所はここ以外にないしね、と笑います。近年薄れゆくカンポン付き合いと裏腹に、観光ガイドに連れられた海外からの観光客、ドキュメンタリー映画やテレビ番組を見てやってくるシンガポール人の若者などが多数訪れるようになりました。「父がこの土地を残してくれたお陰で、いろんな国の人たちに出会うことができてうれしい」と、カンポンの語り部の役もスンさんが担っています。
一方で、排水が悪く豪雨が続くと洪水が起こる地域でもあり、村ごと浸水することが過去に何度もありました。2006年に政府が1,000万Sドルをかけて排水システムを築く策を検討しましたが、当時28世帯が暮らすのみの地域に費用対効果が悪いと取り下げられたことも。また最小限の下水施設など衛生面の問題もあり、立ち遅れている部分があるのも否めません。
スンさんの家の前に、大きなサガの木がありました。「この実は『相思豆』といって、100個集めて好きな人にあげると恋の願いが叶うのよ、持って帰りなさい」と、袋一杯のサガの実をお土産に頂くことに。この日、カンポンを離れてHDBで暮らす9歳の甥っ子がスンさんを訪ねてきており、少し照れながら「また来てね」と言いました。懐かしく温かい気持ちになれるカンポン、その精神と共に長くロロン・ブアンコックにあり続けてくれることを願うばかりです。