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時代を受け入れて1世紀。エメラルドヒルの佇まい

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シンガポールを代表するファッション地区、オーチャード・ロードの一角にエメラルドヒルはあります。旧イギリス植民地時代にビジネスで成功したプラナカン(マレー半島に渡った中国人と地元女性夫婦の子孫)たちが多く暮らした場所で、1920年前後に建てられたチャイニーズ・バロック様式と呼ばれる2、3階建てのテラスハウスが軒を連ねて数多く残っています。エメラルドヒル・ロードとオーチャード・ロードの交差点付近は、テラスハウスの外観を活かした個性的なバーが並んで賑わいますが、80mほど奥へ進むと今でも市民が暮らす居住区があります。西洋風の洒落た化粧しっくいや窓枠、また中国語の扁額(へんがく)などを掲げた外壁が美しく、20世紀前半の古き良き時代を偲ぶ街並みが見られます。

 

プランテーションが高級住宅街となるまで

この一帯は、旧植民地政府の郵便局長だったウィリアム・カッページが1837年から所有し、クローブ(丁子)のプランテーションを経営したのが始まり。その後、栽培の失敗や倒産などにより、13へクタール以上の広大な土地は地主を変えながら分譲されました。1901年にエメラルドヒル・ロードが敷かれてからテラスハウスが建ち並ぶ住宅地となり、数軒あった大型のバンガロー(一軒家)は道路整備や学校設立のために壊され、今に残るものはありません。
シンガポールの一流校ラッフルズ・インスティテューションの元校長R.W.ヒューレットの名をとったヒューレット・ロード、旧植民地政府高官のチャールズ・ジェイムズ・サンダースにちなんだサンダース・ロードの付近も開発され、高級住宅街としてのエメラルドヒルになっていきました。1990年代以降、周囲に高級コンドミニアムの建設が進む中で、保存地区に指定され、地価は現在まで上昇の一途をたどっています。

 

 

優雅なプラナカンの暮らしは、ピントゥ・パガーの向こうに

間口が狭く、奥行きの長いテラスハウス。エメラルドヒルのテラスハウスは、大きいもので3階建て、約550平方メートルも床面積があります。やや閉鎖的だったプラナカンの豊かな暮らしは、実は家の中にありました。西洋の調度品やじゅうたんなどをふんだんにしつらえ、裕福なニョニャ(プラナカンの女性)たちは、ダイヤモンドに金細工、手の込んだサロンクバヤを身にまとい、ゴシップ談義や刺繍裁縫に耽る優雅な生活を送っていたといいます。
その様子が良くわかるのが、シンガポール人作家のステラ・コン原作の『Emily of Emerald Hill』という芝居。裕福なプラナカン家族の女主人エミリーが主人公の一人芝居で、1984年の初演以来7ヵ国17都市で上演されています。孤児となり不幸な少女時代を送ったエミリーは、エメラルドヒルのガン家の後妻として嫁ぎ、大邸宅で華やかな生活を送ります。その一方で、4人の子供が巣立つに従い孤独を増す姿が浮き彫りに。戦前の女性が生きた、限られた世界をも垣間見られます。ステラ自身も、エメラルドヒルに暮らしたプラナカン名家の血筋で、オベロンと呼ばれた大きなバンガローに暮らした祖母のイメージをエミリーに映したといいます。

 

 

エメラルドヒルは、繁華街の至近にありながら静かで快適な住環境があり、先代からテラスハウスを引き継いで暮らす家族のほか、外国人にも人気です。
この地の住人であるリーさんは、現在自宅テラスハウスのインテリアを大改装中で、日本製のウォシュレットからエレベーターまでを設置しつつ、祖先の愛した家の外観は最大限忠実に補修する予定だそう。「更に100年、この歴史的遺産を子供たちへ伝えていけるように」。オーチャード・ロードのネオンを近くに見ながらも夕暮れが似合うどこか懐かしい場所です。