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太陽の下で掘り出し物探し。スンガイ・ロード「泥棒市場」

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小さい島国ながらも、積極的な経済の開放政策により世界中の商品が簡単に手に入るシンガポール。街を歩けば、数えきれないほどのモールがそびえ立ち、冷房の効いた館内にはブランド品がずらりと並びます。そんなシンガポールの整然としたイメージから一線を画すのが、ブギスとリトルインディアの間にあるシンガポールで最大にして最古のスンガイ・ロード・フリーマーケット、通称「スンガイ・ロード泥棒市場」です。しかし、MRTの新路線開発が進むにつれて2011年に市場の規模は縮小し、ジャラン・ベサー駅完成予定の2017年以降その存続が危ぶまれています。

 

掘り出し物を探そう

毎日午後1時から7時まで、屋根はなくとも天候に関わらず年中無休のスンガイ市場。家賃が高いシンガポールで、ここはなんと場所代が無料、店の場所は早い者勝ち。もちろん置いてある品物の値段も破格です。訪れる男性たちに交じり、若い女性や観光客の姿もチラホラ見られます。露店主はすでに定年退職をした男性が主で、20〜30年前からここで商売をしている人も多くいるそうです。

 

 

26年前から店を出しているコウ・アクーンさんは、70歳になった今も、毎日この場所で中古のレコードを売っています。市場の今昔について、「前までもっと大きくて忙しかったんだよ。最近はイマイチだね」と陽によく焼けた顔をくしゃっと崩して苦笑します。

 

 

古着、時計から電気コードなど、売られている商品は店によってまちまちで、路上に広げられたシートいっぱいに無造作に置かれています。レシートは存在せず、交換や返品はもちろんできないため、ここでの買い物は一発勝負。照りつける太陽の下、混雑した露店での掘り出し物探しは予想以上に体力が必要です。

 

 

市場の歴史―盗品からヴィンテージへ

1930年代にロチョー川沿いで小さな商売拠点として始まったこの市場。昔は盗品が売られていた事から、「泥棒市場」という愛称がつきました。第2次大戦中の日本統治下時代には、多くの人が安価な日用品を買い求めに訪れてにぎわったとか。その後、中古品やヴィンテージと呼べる骨董品なども売られるようになり、大人気のフリーマーケットへと成長を遂げます。

 

 

その後都市化の波が大きく進んだ1970年代、市場を形成していた露店の多くが政府の施設内に移転し、市場は次第に衰退していきました。一方で、80年代に入ると、どこからともなく露店がかつての場所に戻り始め市場が再開。その後も周辺地域の開発によって、幾度となく存亡の危機に見舞われましたが、時が経つと必ず同じ場所に戻ってきては再開し、今なおその場所で続いています。

 

 

近年の大きな変化は2011年7月、MRTの新駅工事でエリアが半分に縮小したこと。露店のサイズは1平方メートルに制限され、店の数も大幅に減少。以前は400以上の店で賑わっていた市場も、現在は約280店程になってしまいました。

 

 

先の見えない市場の行方

駅が完成する2017年以降のスンガイ市場の将来は、現時点では知らされておらず、歴史ある市場の存続が危ぶまれています。中古レコード屋のコウさんは、政府がどこか移転先を探してくれるだろうと楽観的に話しながらも、「皆ここが大好きなんだ。もし無くなったら本当に悲しいよ」と寂しそうに言います。

 

 

常に未来を追うシンガポールの中でも、いまだ混沌とした香りが漂うスンガイ泥棒市場。すぐ隣で急速に進む開発工事を背に、強い日差しの下でにぎわう市場を歩いていると、まるでシンガポールの歴史の移り変わりを見ているようです。