シレーは、キンマ(コショウ科のつる性植物)の葉で石灰ペースト、ビンロウジ(ヤシ科の植物の実)などを包んだもの。材料や道具を収納する高価なシレーセットは、その家の格を表す家宝とされ、プラナカンの人たちの間で大切な役割を担ってきました。
勧められたシレーを断り、縁談をさりげなく辞退
同性の来客をシレーでもてなすことは、プラナカン女性にとって大切なたしなみの一つ。シレーを勧めることは、友好や同意、歓迎の意の表現でもありました。
特にシレーが象徴的に用いられたのが、婚礼にまつわる場面です。たとえば、男性側の関係者が女性の家に出向いて縁談をもちかけるとき。本題である縁談には決して触れず、女性の母親にシレーを勧めます。このとき、女性の母親がシレーを受け入れたら「縁談をお受けします」という意味に。逆に「今日は歯が痛むので……」などと断られたら、「このお話は遠慮させていただきます」というサインなのだそうです。
12日間続くプラナカン伝統の結婚式の最終日、花婿側の家族から結婚が正式に認められると、花嫁は父親から贈られた自分のシレーセットを持って婚家に赴きました。
まれに、12日の間に「我が家にふさわしい嫁ではない」と判断されてしまう場合もあったようです。このような場合、シレーセットが婚礼ベッドの上や人目につく場所にひっくり返して置かれ、破談の印となったとか。
シレーは、プラナカンの女性として生きる上で欠かせないコミュニケーションツールだったことが伺えます。
シレーセットには、場を浄化し家族を見守る、という意味もありました。結婚の各儀式ではシレーセットが傍らに置かれ、引っ越しの際には家族より先にシレーセットを新居に入れるのが習わしだったといいます。
もちろん、家に女性が集まってカードゲームに興じる際などに、嗜好品としてシレーを口にすることも。シレーを噛むと口の中が赤く染まるので、赤い唾液を何度も吐き出さなければなりません。唾を吐き出す壺には、美しいプラナカン陶器が多く用いられました。
えぐみや苦みとともにさわやかな香りが広がる
しかし、シンガポールにも噛みタバコを体験できる場所がいくつか残っています。その一つが、MRTシティホール駅近くの「ペニンシュラプラザ」です。
「リトル・ヤンゴン」の異名のとおり、ミャンマー系の店が立ち並ぶ館内を3階に向かうと、鮮やかな緑のキンマの葉を広げる噛みタバコの販売店がありました。
キンマの葉に液状の石灰を塗り、ビンロウジ、タバコの葉、カルダモン、ライムなどを包んで巻いてもらうと、3×2センチほどの噛みタバコが完成。口に入れて噛んでみると、強烈なえぐみや苦みとともにさわやかな香りが広がり、しだいに舌がスーッとしびれるような感覚が。唾液だけでなく、舌も赤褐色に染まります。
使用後もしばらく続く独特の高揚感、爽快感。口元を赤く染めながらゲームに熱中したというビビック(年配のプラナカン女性)たちが、少しだけ身近に感じられました。