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ノスタルジックな風景に今も人が通う街「ブキパソ景観保存地区」

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シンガポール川の南西部に生まれたチャイナタウンは、旧英国東インド会社のトーマス・ラッフルズ卿とフィリップ・ジャクソン大尉が1823年に民族ごとの居住区を定めた独自の都市計画のもと形成されました。この地域は、クレタアヤ、テロックアヤ、タンジョンパガー、アンシャンヒル、そしてブキパソの5つの地区に大きく分かれます。
ブキパソ地区はチャイナタウンの南西側にあり、MRTアウトラム・パーク駅沿いのニューブリッジ・ロードとそれと並行して走るニール・ロードをつなぐブキパソ・ロードとケオンサイク・ロードの一画を指します。この界隈はイギリス本国の影響を受けたコロニアル様式の建物と東南アジアで多く見られるショップハウスが混在し、独特の雰囲気を醸し出す街並みがみられます。

 

華人の有力者が集ったブキパソ・ロード

 

今ではその面影を見ることはありませんが、以前この一帯には多くの陶窯があり、マレー語で“花の陶器”という意味を持つ“Pasoh”にちなんで地名がついたそうです。ブキパソ・ロードには1895年に設立されたシンガポールでも最も古い社交クラブのひとつ、Ee Hoe Hean Clubがあり、以前から華人の有力者や富裕層が集う界隈だったことが伺えます。この会員制クラブはシンガポール国内でのビジネスの発展はもちろんのこと、1911年に中国で起きた辛亥革命にも関与したといいます。また1937年に勃発した日中戦争では、中華民国を支援するための海外拠点として必要な物資を供給したり、人道的支援を行ったりするなど大きな役割を果たしました。
建物の前には現在も高級車が乗りつけ、会員制クラブとして活動を続けています。また、周辺のコロニアル様式の洒落た建物には、ブティックホテル、和食やフレンチの高級レストランが店を構え、新旧がうまく共存しながら今でもどこかハイクラスな雰囲気を保っています。

 

中華系移民の生活基盤を支えたケオンサイク・ロード

 

一方、再開発が進むニューブリッジ・ロードからニール・ロードに向かってケオンサイク・ロードを歩いて行くと、50階建てのHDB(公共住宅)ピナクルが前方上空に広がります。そして、通りの両側には間口の狭いショップハウスが立ち並び、地元の人が通う昔ながらの情緒溢れるコーヒーショップやレストランも点在しています。また、一昔前までは歓楽街であった名残が今もあり、入口に番地だけが掲げられた建物が数軒建っています。
さらに、この辺りには地縁や同姓をもとに華人の移民たちが集まった互助組合的な組織、“幇”(ぱん)から成る同郷会館があちこちに見られます。時代が変わり、このような機能がほとんど必要とされなくなり、会員の高齢化が進む現在では、会館の建物であるショップハウス1棟の1階部分を飲食店などに貸し出し、2、3階部分を会館とするケースが多いようです。
そんな中で、ニューブリッジ・ロードに面した岡州会館は、清朝末期まで広東省にあった岡州に縁のある人々が集う会館で、現在も建物全体を組合として使用している珍しい存在です。一階部分を占める大広間には大きな机と重厚なイスが何脚も並べられ、当時の様子を現在に伝えています。2階には所狭しとライオンダンスに使われる道具が並べられ、旧正月などでの晴れやかな舞台を待っています。また屋上ではダンサーと思しき若者が体力作りに励むことも。現在も互助組合として機能しながらもその歴史と今を一般公開している貴重な会館です。

 

 

昔ながらの風情と役割を兼ね備えたショップハウスにお洒落なバーやレストランが融合し、独特の美しい街並みに仕上がったブキパソ地区。1989年にはチャイナタウンの景観保護地区に指定されました。建物の役割は時代の流れとともに変化しながらも、往時の面影を残すショップハウスの外観は後世へ受け継がれていくことでしょう。