シンガポール川河口の北側、旧英国植民地時代の面影のある建物や橋などが残る地区はエンプレス・プレイスと呼ばれ、博物館やアートスペース、レストランなどが多くあります。1819年に英国東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が欧米人として初めてシンガポールに上陸した地点でもあり、旧英国植民地政府の官庁所在地として長い間政治の中心地でした。ビクトリアシアター&コンサートホールはその中にあり、2010年から約4年に及ぶ改装工事を経て、今年7月に再オープンしました。
建国の歴史を見つめた場所
第二次大戦中の旧日本軍占領時代には、負傷兵を収容する病院や日本軍のための劇場となり、戦後は軍事裁判の場にもなりました。さらに1950年代以降はシンガポール自治政府設立のための公聴会や国連の経済会議、人民行動党の結党の集会などにも使用され、常にシンガポールの歴史とともにある場所でした。また、1950年代の改修工事で冷房設備が導入され、音響施設の改良もすすみ、1963年にはシンガポール初のテレビ局が最初の試験放送を行うなど、時代の先端を行く存在でもありました。1979年にビクトリアメモリアルホールはビクトリアコンサートホールと名を改め、設立したばかりのシンガポール交響楽団(SSO)を専属楽団とし、シンガポールの音楽芸術の発展に寄与してきました。
歴史的建造物を生かした新文芸地区の一員として
ホームグラウンドであるビクトリアコンサートホールに4年ぶりに戻ったSSOで1997年から音楽監督を務めるラン・シュイ氏は、新しいホールに立った感想について、「このステージでリハーサルをすると、素晴らしい思い出の数々が蘇る。新しいコンサートホールはどこもそうだが、オーケストラや音響技術担当にとって慣れるまで少し時間がかかる。音楽家が自らの才能を発揮するのに良い楽器が要るのと同じで、オーケストラにとってコンサートホールがその重要な楽器のようなものですから」と述べました。「専属楽団として立派なコンサートホールがあり、規模の大きい演出の際はエスプラネードでも演奏できるという環境に恵まれ、我々は幸運だ」とも。
新生ビクトリアシアター&コンサートホールは、隣で改築工事がすすむ旧最高裁判所と旧市庁舎が2015年に国立美術館として完成するのを待ちながら、新文芸地区の音楽とパフォーマンスの芸術センターとして今後その存在感を増していくことでしょう。