AsiaX

150年の歴史に寄り添った芸術センター「ビクトリアシアター&コンサートホール」

スクリーンショット 2015-07-01 13.00.24

 

シンガポール川河口の北側、旧英国植民地時代の面影のある建物や橋などが残る地区はエンプレス・プレイスと呼ばれ、博物館やアートスペース、レストランなどが多くあります。1819年に英国東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が欧米人として初めてシンガポールに上陸した地点でもあり、旧英国植民地政府の官庁所在地として長い間政治の中心地でした。ビクトリアシアター&コンサートホールはその中にあり、2010年から約4年に及ぶ改装工事を経て、今年7月に再オープンしました。

 

建国の歴史を見つめた場所

 

現在のビクトリアシアター&コンサートホールは、時計台を挟んで劇場とコンサートホールを左右に擁した建物です。正面から向かって左側の劇場は1862年に著名建築家のジョン・バーネットの設計による市役所として、右側のコンサートホールは、ビクトリア女王の逝去後、その統治を記念して1905年にビクトリアメモリアルホールとして建てられたものです。54mの高さをもつパラディオ様式の時計台は、左右の建物を連結するためにメモリアルホールと同時に建立されました。劇場のこけら落としは1909年に上演された喜劇オペラ『ペンツァンスの海賊』だったとか。
第二次大戦中の旧日本軍占領時代には、負傷兵を収容する病院や日本軍のための劇場となり、戦後は軍事裁判の場にもなりました。さらに1950年代以降はシンガポール自治政府設立のための公聴会や国連の経済会議、人民行動党の結党の集会などにも使用され、常にシンガポールの歴史とともにある場所でした。また、1950年代の改修工事で冷房設備が導入され、音響施設の改良もすすみ、1963年にはシンガポール初のテレビ局が最初の試験放送を行うなど、時代の先端を行く存在でもありました。1979年にビクトリアメモリアルホールはビクトリアコンサートホールと名を改め、設立したばかりのシンガポール交響楽団(SSO)を専属楽団とし、シンガポールの音楽芸術の発展に寄与してきました。

 

 

歴史的建造物を生かした新文芸地区の一員として

 

今回の大改装で、施設設備の新調はもとより、中型芸術施設としての快適性とオリジナリティが各所に取り入れられました。例えば、劇場には温かみのある現代的なデザインの内装が施され、以前900席あった座席数は614席に減ってゆったりと座れるようになりました。舞台やオーケストラのピットも拡張され、演目に合わせて広さを調整できる構造になっています。また、改修前の古い座席の鉄の骨子部分を劇場の音響板設置のレールに使い、その背もたれだった木板を劇場外のホールのインスタレーションに使うなど、粋なリサイクルのアイディアがデザインに見られます。一方で、コンサートホールは、本来のビクトリア調の美しい内装を存分に生かす改修が行われました。音響改善のために2階バルコニー席は縮小され、舞台上の天井に音響板が設置されました。ホールの美しさを損なわないために透明の音響板が使われているのが特徴です。
ホームグラウンドであるビクトリアコンサートホールに4年ぶりに戻ったSSOで1997年から音楽監督を務めるラン・シュイ氏は、新しいホールに立った感想について、「このステージでリハーサルをすると、素晴らしい思い出の数々が蘇る。新しいコンサートホールはどこもそうだが、オーケストラや音響技術担当にとって慣れるまで少し時間がかかる。音楽家が自らの才能を発揮するのに良い楽器が要るのと同じで、オーケストラにとってコンサートホールがその重要な楽器のようなものですから」と述べました。「専属楽団として立派なコンサートホールがあり、規模の大きい演出の際はエスプラネードでも演奏できるという環境に恵まれ、我々は幸運だ」とも。

 

 

新生ビクトリアシアター&コンサートホールは、隣で改築工事がすすむ旧最高裁判所と旧市庁舎が2015年に国立美術館として完成するのを待ちながら、新文芸地区の音楽とパフォーマンスの芸術センターとして今後その存在感を増していくことでしょう。