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シンガポールのこの一年を振り返る 2019年の日系企業の展望は!?

米朝首脳会談などで注目された2018年も残すところあと1カ月。東南アジア経済の拡大とともに、シンガポールの日系企業の業績も概ね好調のようです。一方で、在留邦人数は減少に転じ、JCCIの会員数も微減傾向にあります。今回は、日系企業の動向に詳しい4人のゲストを招き、この一年を振り返るとともに、シンガポール政府の注目政策なども踏まえながら、2019年について展望していただきました。

 

ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所 コーポレート・アフェアズ・ダイレクター
丸茂 修 さん

山梨県北巨摩郡出身。“帰国子女”という言葉が無い時代の帰国子女。上智大学外国語学部英語学科卒。日本の建設会社で中東(クウェート/サウジ・アラビア)に10年、東南アジア(シンガポール/マレーシア)に20年駐在し、総務、紛争処理、調達、営業、不動産開発を担当。その経験を生かして、現在は当地のケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所で日本グループを主宰。営業兼コンサルタントを務め日系企業のシンガポールを中心としたアセアン諸国への投資・進出の法務支援をしている。

 

Tricor Evatthouse Corporate Service(A division of Tricor Singapore Pte. Ltd.)Manager
斯波 澄子 さん

1995年よりシンガポール在住。世界四大会計事務所の一つPricewaterhouseCoopers Singaporeに勤務後、2007年よりシンガポール最大手の法人秘書業務会社Tricor Singapore Pte. Ltd.に入社。日系企業クライアントの窓口として、会社設立、法人秘書業務、会計、税務、労務などに関する全般的な相談業務に携わる。クライアントが何でも気軽に相談できる会社のジェネラルドクターを目指し、まずは個々のクライアントの実情をよく理解し、他の専門家とも連携しながら、それぞれの会社にとって必要かつ最適なサービスを提供できるよう心掛けている。

 

JETROシンガポール事務所
所長
石井 淳子 さん

国際基督教大学卒業。1984年4月日本貿易振興会(JETRO)入会。マニラ・センター次長、市場開拓部課長、名古屋貿易情報センター所長、横浜貿易情報センター所長、途上国貿易開発部部長、ビジネス展開支援部総括審議役などを経て、16年9月より現職。JETROでは、アジア、アフリカを中心に開発途上国ODA関連事業などを通じた途上国と日本のビジネス促進に携わる。一方、国内産業クラスターと海外の産業集積地とのビジネス交流を図るなど、特に本部以外の国内事務所勤務時代は、地元企業の海外ビジネス展開に努めた。

 

シンガポール日本商工会議所
事務局長
清水 僚介 さん

大阪商工会議所入所後、国際部国際担当として、海外の要人接遇や東南アジア地域への視察団派遣などを担当。その後、各種セミナーや講演会の実施を担当する人材開発部研修担当を経て、2013年より経済産業部ライフサイエンス振興担当に着任。国産の医療機器開発や機器の海外展開を支援するため、医療従事者と企業とのマッチング事業や国産医療機器を用いた海外医師へのトレーニング事業、開発医療機器の販路開拓支援などを実施。2018年よりシンガポール日本商工会議所へ出向。

存在感示したシンガポール 課題への対応続いた日系企業

AsiaX:まず、今年印象に残る出来事を挙げていただけますか。

 

石井:今年は世界がとても動いた年であり、先が見えない時代の幕開けになったとも感じます。シンガポールが世界から注目された出来事として6月の米朝首脳会談は大きかったですね。滞りなく会談を終え、そうした環境を整えることができる国として、改めて認識されたと思います。

 

清水:金委員長とシンガポール外相がガーデン・バイ・ザ・ベイで撮った笑顔の写真がSNSで流れたというのも驚きましたし、シンガポールは世界に存在感をアピールできたのだと思います。

 

石井:今回の会談によって直接何らかの影響があったという日系企業の声は聞いていませんが、将来的に状況が好転した時に向け、準備を始めるマインドにはなったかもしれません。

 

AsiaX:この一年間、身近な部分ではいかがですか。

 

斯波:会計・税務まわりでは、2017年10月に移転価格税制における文書化が所得税法として法制化され、該当する会社は、2018年に終了する会計年度から法律により文書化が義務づけられました。日系企業も含め、対象となる企業が多くあります。
 さらに、会計基準にも大きな変更がいくつかありました。例えば、リースの会計基準では、事務所の賃貸などのオペレーティング・リースについて、借手はこれまで単にリース料を費用として損益計算書に計上すればよかったのですが、2019年に開始する会計年度からは、資産使用権とリース債務として貸借対照表に計上し、償却していくことになります。小規模な会社でも、オペレーティング・リース契約の一つや二つはたいていありますので、かなり多くの企業が影響を受けます。

 

丸茂:EPの厳格化の影響も日系社会では話題になりました。日本人在留者数もこの一年で約1,000人減って、3万6,500人弱になりました。

 

斯波:今年私が扱った案件は、例年に比べて閉鎖のご相談が多かったです。特に景気の影響などといった訳ではなく、個々の会社の事情によるものがほとんどでしたが、その背景には、EP厳格化などの影響もあるかもしれません。

 

清水:企業の視点では、ウォッチリストに掲載されていた企業数は大幅に減っており、現在は数社に留まっています。各社では、シンガポール人の雇用を増やしたり、様々な対応を行っているようです。リストに掲載されている企業数は減少しましたが、企業側にとって相当な負担がかかる政策ですので、引き続き状況は注視しています。

 

石井:シンガポールには地域統括事務所が多いので、本社とのコミュニケーションは重要です。人事改革には時間がかかるため、各社がシンガポール人雇用増に取り組み、今後の人材育成や研修計画を当局に示すなどの対応が求められると思います。

 

丸茂:日本人以外が代表者になっている企業も増えてきていますね。

 

清水:代表者だけではなく、日本人自体がシンガポール拠点からいなくなり、シンガポール日本商工会議所(JCCI)を退会する企業もチラホラ出てきています。また、EP発給の厳格化だけが要因ではないと思いますが、シンガポールの拠点に持たせていた一部の機能をタイやマレーシアなどに移転する企業もあり、シンガポール拠点の機能を絞っているケースも見受けられます。

 

石井:製造拠点から日本の本社に直接連絡することもあると聞いています。数年前に行った統括拠点調査によると、その役割・位置付けが難しいとのコメントもありました。しかし、世界各国のアジア拠点がシンガポールにあるので、情報収集しやすいのは事実です。

 

清水:シンガポール政府としても力を入れているAIやフィンテック関連企業などは、様々な進出メリットを享受しているように聞いています。ただ、やはり市場という観点では、人口も国土も限られていますので、厳しさも大いにあるかと思います。

 

概ね好調な企業業績 背景は東南ア経済の拡大

AsiaX:シンガポールの景況感については、どう感じていますか。

 

清水:JCCIが会員企業に実施しているアンケート結果からは、順調という回答が大勢を占めています。今年から来年にかけてさらに売上、利益が伸びていくという期待が昨年と比べて高まっています。シンガポール国内で売上増が続くとは思えませんが、ASEAN全体の経済が拡大を続けているので、シンガポールに置いた統括拠点の業績は比較的好調な企業が多いのだと思います。

 

斯波:私の実感は、可もなく不可もなくといったところです。シンガポールのビジネスはおのずと国際的な景気の影響を大きく受けますが、保護主義や国と国との対立など国際間の緊張の高まりによって不安定要素も出てきていると思います。

 

石井:1、2年前に出ていた成長率見通しよりは下がっていますが、ドーンと落ちることはなく、ほぼ前年並みに堅調な推移を見せています。この先も2~3%の成長を続けると思います。
 米中貿易摩擦については、現状、日系企業から具体的な影響があるとの声は限定的です。
 とはいえ、サプライチェーン上、中国との結び付きが深いエレクトロニクス分野などでは影響を受ける可能性があります。シンガポール金融管理庁(MAS)が10月末に発表した報告書でも、今後、じわじわと影響が出る可能性が指摘されており、貿易摩擦長期化に備えるべきとの声は多くあります。

 

 

拡大続けるEコマース市場 JETROはレッドマートと提携

AsiaX:一方、ECによってシンガポール国内はもちろん、越境取引も活発化しています。

 

丸茂:本当にECマーケットの動きを感じた一年だったと思います。数年前に楽天が撤退しましたが、あれは何だったのかと思うほどです。

 

石井:ECはますます伸びると見ています。シンガポールでは共働き世帯が多く、買い物に行く時間が少ないので、食品から日用品まで全て買えるECはとても便利です。カタログを見ていると「これも良いな」と思わず買ってしまうこともあります。実店舗で買い物するのに比べ財布の紐は緩くなって、消費経済には貢献するかもしれませんね。
 日本からの輸出を促進するのも、JETROの役割の一つですが、実店舗販売の場合、買い取りが少なく売れ残ると引き取らないとならないケースがほとんどです。これだと、日本の輸出メーカーにとっては大きな負担になります。その点、JETROが11月からECサイト「レッドマート」に設置するジャパンモール“Japan Hyper Fest”では買取りがあり、新たな取り組みとして注力していきます。レッドマートでは、例えば届いた卵割れていたりしても、電話をすればすぐに対応してくれますし、買い付けも丁寧にやっていると感じています。提携先は今後も広げていく予定です。

 

斯波:輸送コストや食品の賞味期限などの問題があると思いますが、ECの場合、商品の在庫管理などはどのように行っているのでしょうか。

 

石井:注文が入り次第、商品を送っていきますので、日本に比べ長めの消費期限の物が求められますが実店舗で販売する場合に比べてフレキシブルかと思います。

 

厳しくなるコンプライアンス 2019年は改正労働法施行

AsiaX:EC以外に目立った動き、相談内容など挙げていただけますか。

 

石井:日本から商品を売りたい、進出したいという相談は引き続き多いです。逆に、シンガポールから日本への投資案件、例えば北海道のリゾートを買いたいというような動きもあります。
 日本政府はスタートアップ支援に本腰を入れ始めました。JETROでもその海外展開を促進しています。シンガポール事務所に現在ASEAN唯一のスタートアップ支援拠点を置いていますので、関連の相談が寄せられたり、視察についての問い合わせなどが増えています。JETROとしては、スタートアップ企業と当地に拠点を置く投資家や大企業を結びつけたり、またそうしたきっかけを通してさらに日本に投資してもらうことも目指して取り組んでいるところです。

 

清水:JCCIの入会動向としては、既に進出している企業をサポートするするサービス分野企業の入会が継続して一定数を占めています。シンガポールに拠点を持つ日系企業の厚みが増すことは各社にとっても心強いのではないでしょうか。

 

丸茂:労務関係の相談は、業種は年々変化していますが、引き続き多いです。加えて、コンプライアンスに絡む案件が増えました。日系による現地企業買収は続いていますが、なかなか日本人のトップではうまくいかないことも多いです。近年、当社が受けている案件の傾向からは、少し今後を心配しています。

 

斯波:当社では取締役の名義貸しサービスを提供していますが、サービスを提供するクライアントの中には監査が終了せず、期限までに定時株主総会を開催できないといった会社があり、その結果、名義取締役が会社法に違反したとして取締役不適格者として扱われ、他のクライアントも含めお引き受けしていた全ての会社の取締役を辞任しなければならないという出来事がありました。実際にこのような法令違反で処罰されるのはごく一部の会社ですが、ACRA(シンガポール会計企業規制庁)だけでなくIRAS(シンガポール内国歳入庁)も法令違反による罰則規定の適用を年々厳格化しています。当社でも、リスクの高まりを受けて、今後は名義貸しなどのサービスについて見直すことになるかもしれません。

AsiaX:シンガポール政府の政策で注目しているものはありますか。

 

斯波:シンガポール政府は、AIなどの技術革新に伴って将来必要とされる労働力に変化が生じ、業種によっては多くの余剰人員が出ることに強い危機感を持っていて、産業転換計画(Industry Transformation Map)という政策の下で、例えば、労働力が過剰になりそうな業種の人材を労働力が不足する業種に斡旋し、受入先での人材育成の見返りとして一定期間の給与の一部を補填するなど、民間にも積極的に介入して来るべき将来に備えようとしています。その先手を打つ手法にはさすがシンガポールと思わされ、今後この政策がどのように展開されるか注目しています。
 もう一つは、国際税務です。近年、クロスボーダー取引が増える中、OECD主導で国際的なルール作りが進んでいます。今後は、各国でそれに従った法律が整備されていくと思います。シンガポールは、これまで優遇税制などにより積極的に外資を取り込んで成長してきましたが、今はむしろこの機運を自国のコンプライアンス強化や租税回避地としてのシンガポールのイメージの払拭するための好機と捉えているように見受けられます。

 

丸茂:私は来年4月に大幅改正される労働法の影響に注目しています。シンガポールは、労働法は非常に企業寄りで、しかも適用される人が非常に少なかったわけですが、改正により対象者が約40万人も増えます。シンガポール人を雇用している日系企業にとっても、知っていなければならないことは増えますから、セミナー等を開催するなどして情報提供をしていきたいと思っています。
 もう一つは、コーポレートガバナンスです。問題を早く認識すればするほど解決は簡単ですが、何もしないと時間も費用もかかります。コーポレートガバナンス関連の啓蒙活動にも取り組んで行きたいと思っています。

 

スマートシティ事業で 期待される日系の存在感

AsiaX:来年の抱負をお聞かせください。

 

石井:今年、ASEANではマレーシア首相がマハティール氏に交代しました。一部の国々が中国寄りになっていたこの地域ですが、マレーシアが軌道修正したことの影響は、他の国に対しても大きかったと思います。
 シンガポールは今年、ASEAN議長国を全うし、ASEANスマートシティーネットワークという枠組みを作りました。域内各主要都市の社会課題をデジタル化などにより解決しようということです。日本企業にもビジネスチャンスになりますので、議長国が交替した来年以降も日本やシンガポールの省庁・関連機関や関心企業と連携しながら食い込みたいですね。

 

清水:2019年にJCCIは創立50周年を迎えます。ASEAN各国に日本商工会議所があり、発展途上国ではルールの明確化やビジネス環境の改善に関する要望活動が特に必要とされています。一方で、シンガポールでは、ビジネスに直結する事業も強く求められており、節目の年を契機として、役割をもう一度見直したいと思っています。