AsiaX

日系企業のシンガポール進出・撤退の現在

日系企業のシンガポール事業に関しては、新規進出や事業規模拡大を発表する企業がある一方で、周辺国への移転あるいは撤退のニュースも聞かれます。政府による税制や法規制などを通じた外資企業の積極的な誘致姿勢、人材確保の容易さ、そして東南アジアのハブとしてのインフラ設備など、シンガポールの優位性とともに、近年は人件費の上昇、不動産価格の高騰、EP厳格化など外国人の就労制限といった課題もクローズアップされています。こうした中で、日系企業の進出・撤退動向はどう変化しているのでしょうか。今回は法律、会計、不動産の4人の専門家に、それぞれの立場から日系企業の進出・撤退の現状、進出における注意点、今後の展望などを話していただきました。

 

Singa Company Services Pte Ltd
Managing Director
高橋 正名 さん

大和証券SMBCにて、未公開企業の株式公開(IPO)支援に携わり、財務 ・ 法務面のコンサルティングを提供。その後グロービスにてコンサルティング営業、チームマネジャー、企業財務や問題解決セッションの講師、中国事業立ち上げに従事。2012年にシンガポールへ移住。2014年シンガポール国立大学MBA修了後、シンガポール人会計士と共に、会計・財務・セクレタリーサービスを提供するシンガ・カンパニー・サービスを創業。専門は中小企業経営、企業財務、シンガポール会計・税務。「クライアントの事業成功を支える」ことを標榜し日々奮闘中。

 

弁護士法人One Asia
パートナー弁護士
森 和孝 さん

2010年より国際法務を主要業務とする日本国内の法律事務所にて執務し、17年よりグローバルローファームEvershedsのシンガポールオフィスに常駐、18年より現職。クロスボーダーM&Aやアジア進出・展開・統括に関するリーガルサービスを提供している。近年は、フィンテック等最先端ビジネス関連のアドバイザリー業務の比重が増えており、とりわけアジアにおける仮想通貨関連の依頼が多く、仮想通貨取引所の設立や多数のICO案件の取扱実績を有する。日系企業のみならずグローバル企業へのアドバイスも行っている。

 

Starts Singapore Pte Ltd
General Manager
加藤 貴士 さん

新卒でスターツコーポレーション に入社。住宅の売買営業を経験した後、地主や企業、投資家への事業用不動産による節税、収益改善等のコンサルティン グ事業に携わる。2013年に来星し、不動産仲介により日系企業の進出サポートを行う。2015年にGeneral Managerに就任。シンガポールオフィスの運営および進出・在星企業のオフィス・工場・倉庫・店舗等の商業不動産に関する相談を担当している。近年では不動産紹介はもとより、進出・移転に関するプロジェクト管理やマーケットリサーチ、ターゲット設定といったコンサルティング業務も増えてきている。

 

PHOENIX ACCONTING SINGAPORE PTE. LTD. 
ダイレクター 日本公認会計士 
日浦 康介さん

2003年に大学卒業。民間企業勤務を経て、2010年に新日本有限責任監査法人に入所し、札幌事務所で金融・小売・建設・電力業等の法定監査業務、IPO支援、IFRS導入支援等に従事。2014年に来星し、Ernst & Young LLPのSingapore事務所に勤務。その後、Phoenix Accounting Singapore Pte Ltdに参画し、シンガポールでの法人設立、会計・税務支援、M&A、その他コンサルティング業務を担当している。「フェニックス・アカウンティング・グループ」は日本の他、マレーシアおよびインドネシアにも事務所を展開しており、アジアでビジネス展開している企業には連携したサービスの提供も行っている。


AsiaX:近年の日系企業のシンガポール進出に関する相談件数、ビジネス機会の推移はいかがですか。

 

加藤:全体的には少しずつ増えていますが、単純に増加しているというよりは、得意分野が少しずつ変化してきていると感じます。当社のメインのお客様は日系企業ですが、住宅については、最近、日本に帰国または他国に転勤する担当者の後任が来ないケースも増えていますので、1社ごとの案件数という点では減っています。逆に、現在注力している商工分野と呼ばれるオフィス、店舗、工場仲介事業は好調です。
 また、進出の仕方も変化してきています。事務所兼自宅や、サービスオフィスに登記して仕事は自宅でするという形が増えています。以前であればオフィスと自宅の賃料のダブルコストは当たり前でしたが、オフィスの必要性という点で、進出のスタイルが多様になってきています。あるいは、大企業でも固定のオフィスをシェアオフィスに移すという動きもあります。業種にもよるのでしょうが、働き方が変わってきていると強く感じます。

 

森:最近の進出企業の相談内容は、分野的に偏って激動している感じがしています。フィンテックのような決済関連、ICO案件の相談が非常に増えていますね。他の業種では、サービス業は大手、中小に限らず常に問い合わせがありますが、全体的には、シンガポールへの純粋な進出案件はここ数年現状維持で、周辺国への進出案件が非常に増えている印象です。他方、特にシンガポールおよびマレーシアにおいては、M&Aが急増している感覚があります。シンガポールおよびマレーシアが外資規制も厳しくなく、決算書なども比較的整っており、また建国から53年を迎えシンガポールの企業経営者も事業承継のフェーズを迎えていることが大きく影響していると思います。

 

高橋:IT企業の進出、オーナー企業の資産管理会社設立などの相談が目立つ印象です。バブル後に興こされたオーナー企業が転換期に差し掛かり、海外事業の強化を意図しての進出、あるいは海外での資産管理のためシンガポール法人の設立、という流れがあるように感じます 。仮想通貨関連の問い合わせも増えていますが、こちらは玉石混淆で、ほとんどの場合難しいです。

 

日浦:私も相談件数は増えていると実感しています。新規進出に関する相談内容は、シンガポールに会社がないので新しく設立するというケース、過去に一度撤退したけれど再度会社を設立するというケース、さらにM&Aで既存企業を買収するケースがあります。全体的な業種の割合はシフトしていますが、一方、日本ブランドへの人気から、幅広い業種が進出しており、当社が担当している案件は比較的業種に偏りがないです。

 

政府注力分野は順調 飲食業は苦戦!?

AsiaX:業種がシフトしているということですが、目立っている産業はありますか。

 

高橋:IT系中堅企業で、シンガポール企業に商品・サービスを売りたいというケースが増えています。まずは日系企業間で商売を始めてというのではなく、ローカルマーケットを本気で取りにくる形で、かつ東南アジア市場を攻める拠点として進出してきているなと感じています。当社の得意分野は中小企業・スタートアップですが、スタートアップの中でもIPOを経た後、海外進出への足掛かりとしてシンガポールに進出するケースも増えています。

 

森:私たちは法律事務所ですから、基本的には規制が絡む業種、許認可、ライセンスが必要な業種からの相談の割合が多くなります。具体的には、金融や保険、特に先ほど述べた仮想通貨、ICO関係。それに最近特に多いのは健康食品や器具などの健康産業ですね。この辺りは国によって規制内容が全然違うので、ASEAN全ての国での規制調査の依頼が多いです。

 

加藤:飲食業もまだまだ多いと感じています。私は2013年にシンガポールに来ましたが、当時からの店舗数の急増ぶりはタンジョンパガー周辺などを見ても驚異的ですね。
 当社では仮想通貨関連の進出は少ないですが、技術開発やIT、AI(人工知能)などの関連企業が増えているという感覚は持っています。金融業などのIT管理部門がシンガポールに出てきて開発拠点を置いた、というケースもありますね。

 

高橋:日本食レストランはものすごく数が増えました。ここまで増えると、競争が激しすぎて、収益性が落ち、賃料負担が厳しいのではないですか。

 

加藤:シンガポールでは、ショッピングモールがますます増えています。増床ペースに合わせて、飲食店を誘致していますが、人口は増えていないので食べる量は有限です。しかし、マーケットが薄まってきているにもかかわらず、賃料は依然高い水準のままです。また、敷金や内装にもお金が掛かりますし、契約期間は3年間と長く、途中で解約するのも難しい状況です。飲食店では、店舗数を増やすことで収益を伸ばしていくわけですが、消費量が限界に達している中では、ある意味で負のスパイラルに陥っている部分もある気がしています。

 

日浦:シンガポールは、採算度外視という経営者もいます。シンガポールで流行させて成功モデルを確立した後、そのシステムを周辺国に展開していくビジネスモデルです。人・情報が効率的に集まるシンガポールでテストマーケティングという意識ですね。体力が必要だとは思いますが、周辺国でのビジネスとトータルで考えているわけです。

 

AsiaX:シンガポール政府は、いま研究開発(R&D)にスポットを当てています。人件費の上昇、不動産価格の高騰、外国人の就労制限など、以前と進出企業を取り巻く状況は大きく違いますが、政府の支援による研究インフラ整備が進み、関連人材が採用しやすいとも言われています。進出のメリットとしてどのようなことが挙げられますか。

 

加藤:シンガポールでは知的財産権が確立しているので、有能な人材が長期間かけて行う開発部門には適しています。深圳に出たらあっという間に真似されてしまったという話も聞いたことがありますが、ここではそういう話は聞きません。

 

森:良い人材を集めて、知的財産を集積させて、高付加価値の産業構造にして、ライセンス料収入等で安い税率ながらも安定して税収を確保するという国家モデルです。周辺国が同じ方向性の政策をとろうとしても、規制の不透明性の問題や良い人材を集めるためのインフラの点などから難しいでしょう。ただ、現在は中国と研究開発部門の取り合いという状況です。中国がその巨大な資金力で優秀な人材をシンガポールからもヒットハントしています。シンガポール政府も負けじと多額の予算をつぎ込んでR&D誘致に取り組んでいますね。

 

加藤:最近隣国であったように政権が変わった途端に政策が正反対になってしまうようでは、投資額も大きいだけに多大なリスクが伴いますしね。ただ、シンガポールのルールに関しては、私は少し違うイメージを持っています。建物の許認可を取る際などは担当者によって指摘事項が異なることが多々あります。おかげで予定していた開業に間に合わなくなった、というケースもあるようです。

 

高橋:外国人雇用に対する政府のスタンスは厳しくなりましたが、要はシンガポールに貢献する意思があるかを確認している、と理解しています。ビザに関しても、シンガポールに何も還元する気がない企業にはおりにくくなっています。一方、シンガポール人の雇用や納税といった形で、シンガポールとWin-Winの付き合いができる経営者・企業には政府も優しく、シンガポールで得られるメリットは依然大きいです。

問われる地域統括拠点の意味

AsiaX:一時期ブームのようにハブという言葉が言われましたが、2014年頃をピークに地域統括拠点をシンガポールに置く企業は減少しています。こうした傾向をどのように見ていますか。

 

加藤:地域統括拠点の目的が問われてきています。本社機能をマレーシアに移して、クアラルンプールから東南アジアを見ても、コストや税制は良いし、一方でそれほど大きな苦労はないという判断で移っていった企業もあります。また、シンガポールでセールス部門と倉庫を一緒に持っていたが、倉庫に関してはコストが高いので周辺国に機能移転したほうが良いという場合もあります。あるいはシンガポールから東南アジアを統括していると言いながら、実際にはある特定の国をフォーカスしていて出張が多く、それなら拠点をその国に置いておいた方が良いという場合もあります。一言で地域統括と言いますが、何を統括するか、どの機能を置くかが大事だと思います。

 

高橋:確かに周辺国は人件費が安かったりしますが、お金の動かしやすさ、安心して事業に専念できる環境という意味では、シンガポールは別格だと思います。例えば、ベトナムではお金を海外に送金できないというケースがあり、資金を置いておくにはリスクがあります。香港もシンガポールに似たハブ機能を果たしていますが、最近では数百万円ほどの資金移動にも政府・銀行からのチェックが入ることがあります。中国に返還されてから規制の風向きが変わったとも聞きます。香港からシンガポールに拠点を移したいという相談も出てきており、海外展開する日本企業にとって、安心してビジネスができるシンガポールの環境は大きな魅力であると感じています。

 

 

AsiaX:今後、シンガポール進出を考えている企業に、シンガポールの良い点を紹介してください。

 

加藤:情報の取得しやすさを挙げたいと思います。東南アジアを見渡して仕事をしている人が多く、各国の事情も、実際に現地に赴くことなく集めることができます。また、シンガポール国内でビジネスを始める、展開していくうえでも、他国のようにアンダーテーブルでどうすると良いというようなコツも必要ないので、ビジネスを分析しやすく、組み立てやすいと思います。

 

日浦:私もシンガポールは、ヒト・モノ・カネが効率的に集まる国だと考えます。その他、日本から東南アジアに毎回出張するとなると、時間も掛かりますし、出張コストも高かったりします。シンガポールからならば4時間圏内ですし、飛行機の便も発達しています。この他にもシンガポールのメリットは様々あります。英語は通じますし、家族を連れてきても便利で生活しやすく、教育環境も整っていますね。

 

森:東南アジアは、外資規制が緩和される傾向にはありますが、やはり全般的には外資規制が厳しい国が多いです。シンガポールやカンボジアを除けば、小売業やサービス業について何らかの外資規制が敷かれている国がほとんどです。また、シンガポールは、政治的に非常に中立的ですので、例えば、中国に進出するにしても、日本からよりもシンガポール企業としての方が入りやすいケースもあります。世界どこへでも進出しやすいし、受け入れる方も分かりやすい。ここが良い点だと思います。加えて、言語の点も大きなアドバンテージです。英語圏は当然ですし、中国進出の場合にも、シンガポール人には中国語が話せる人が多いというメリットもあります。

 

進出時は周到な準備を

 

AsiaX:逆に、進出企業への注意点、アドバイスはありますか?

 

加藤:不動産を選定される際には、事業計画はもとより、人員の採用計画を事前に明確にしておくことをおすすめします。シンガポールではオフィスは3年間解約できませんし、退去するときには元に戻さなければいけないので、投資コストは場合によっては数十万ドルになるということも珍しくありません。もし、当初のイメージが実現せずに3年以内に撤退するとなると、何のために進出したのかという話にもなってしまいます。
 また、先ほど情報が取得しやすいと言いましたが、その一方で日本人が日本人を騙すというケースもあります。情報格差があるためですが、日本人コンサルタントといっても様々な人がいるので気を付けないといけません。

 

高橋:時折、税金が安いので、と思いつきで進出されるケースが見受けられます。日本の商品、レストランは競合も激しく、もはや珍しくはありません。コストは高く、片手間に日本人向けのビジネスをするだけで利益を上げられるほど甘くはないということは認識しておいてほしいです。

 

日浦:いま日本は景気が良くて、資金的余裕がある企業が多いため、M&Aも増加しています。買収後、親会社の経営者層が、シンガポールの現地マネジメントに対して、文化・習慣等の違いなどからコントロールに苦戦しているケースも目にします。限られた経営資源をすべて事業の拡大に投入できるように信頼できる専門家を見つけることも重要です。

 

AsiaX:撤退に関する相談はありますか。

 

森:飲食業や物流業などであります。飲食は長期的な赤字、物流は大口の取引先に打ち切られたことが要因でした。撤退で必要な手続きは、従業員の解雇とMOM(人材省)への通知、店舗の原状回復、残った賃貸期間の賃料に関する折衝等、そして、最後に破産手続きをするか、ストライクオフという登記抹消だけで良いのかということになりますが、債務が残っていると時間も費用もかかる破産手続きを選ばざるを得ません。賃料債権者、要は家主との交渉が必要になりますが、この交渉が簡単ではありません。シンガポールでは、賃貸借契約の中途解約が認められないケースが多いので、その点が非常にネックになります。

 

高橋:最初に丹念に準備して多額の資金を投入しても、実際の事業では想定が大きく外れ、機動に乗らずに資金が続かない、というケースもあります。体力に応じて小さく始め、経験を蓄積しながら大きくしていく、市場を知っていると過信しないことは大事ですね。

 

加藤:進出の際に、撤退基準を設けておくことも大事だと思います。

 

AsiaX:最後に、日系企業とシンガポールとの関わり、今後の展望について聞かせてください。

 

高橋:せっかくシンガポールに進出しても、サプライヤーもお客さんも日本人で、ビジネスを全て日本人内で完結しようとするのでは進出の意味がありません。シンガポールは小さな国ですが、ローカル消費者、企業の購買力は高く、税を始めとした政府の仕組み・インフラも整っています。シンガポール現地の事情に学び、敬意を持って正面から付き合っていけば、シンガポールは有意義なビジネス拠点であり続けることは間違いないと思います。

 

森:視察や、綿密に計画を立てたとしても、ビジネスを開始したら試行錯誤は避けられません。日本人、シンガポール人の垣根なく、ビジネスを展開していくことが大事です。今、EPの発行が厳しくなり、重役を日本人で固めていた企業は苦労していると聞きます。
 また、業種によるとは思いますが、シンガポール政府やシンガポール企業とも密に付き合っていくことも大切だと思います。シンガポール人のコミュニティーに入ると、日系企業に求められているのはそういう姿勢だと強く感じます。
 さらに、日本とシンガポールとのインバウンド、アウトバウンドだけを考えているとどうしてもスケールに限界があります。シンガポールのリソースをうまく活用しながら、東南アジア全体、そして世界を見据えた企業がどんどん日本から進出してきてほしいと思っています。そういう意味では、フィンテックの分野では徐々にその動きがみられるようになっているのは嬉しいことです。

 

加藤:日系企業とシンガポールの関わりというより、当社からのお願いですが、進出や移転の際には「社員の一人として本当に最良の方法は何なのかを一緒に考えさせていただきたい」と思っています。不動産は一番高い固定費となりコストになります。「こういうビジネスを考えていて、ターゲットはこの層で、事業はこういうイメージで進めていくつもりだ。マーケットを開拓していくために、不動産としてはどういうソリューションがあるのか」というふうに、不動産の紹介を行うだけの相手としてだけではなく、シンガポールでビジネスを行っていく上でのパートナーとして相談してほしいと思っています。ディープに意見交換をする関係を構築する方がお互いにとって良いですし、当社ならではの有意義な提案ができると確信しています。

 

日浦:今後、日系企業のシンガポール進出は、業種のシフトがあるとは言え、減少することはないと考えます。
 現地に合わせたマーケティングも必要になります。日本ブランドや商品が本来の持ち味を失わず、一方、細かい部分はローカライズやカスタマイズすることが重要です。そして、マーケットの対象はシンガポールだけでは小さく、シンガポールでテストマーケティングを行い、周辺国へ展開していくなど、シンガポールを含むアジアを一つのマーケットとして捉えたビジネス展開が必要と考えます。