2018年の座談会初めは、自動車、医療、教育、観光の4業界の識者にお集まりいただいた。2017年8月にリー・シェンロン首相が掲げた施政方針演説に関係する業界は、今後どのように動いていくのか?また、訪日観光客数が年々増えているのはなぜ?各業界の最新事情と、未来予測を伺った。
AP STAR CONSULTING(SINGAPORE)PTE. LTD.
Managing Director
藤井 真治さん
自動車メーカーの中国、インドネシア駐在経験を生かし、アセアン進出日系企業の戦略コンサルティングを展開中。生産、販売、マーケティング、バリューチェーン、モビリティサービスなど幅広い自動車ビジネス領域をカバー。
Healthway Japanese Medical Centre
Doctor
佐藤 健一さん
日本で家庭医としての研修を受け、家庭医療専門医・指導医として診療を行ってきた。2011年より当地のクリニックで勤務。その傍ら「Japan Singapore Inter-Professional Collaboration(JSIP)」を主催し、日星の医療・福祉を繋ぐ役割も果たしている。
Culture Connection Pte. Ltd.
Managing Director
岡部 優子さん
JPモルガン証券を経て、シンガポールのインターナショナルスクールと日本人ご家族の架け橋になりたいとCulture Connectionを設立。現在では、当地トップクラスのインターナショナルスクールと日本の学校との交流事業も手がける。紹介事業は当地一の実績。
JTB Pte. Ltd.
Strategic Director of Sports
西村 龍平さん
JTB入社後、法人営業の傍らマラソン事業を中心としたスポーツ事業に携わり、2010年にスポーツエントリーサイト「JTB Sports Station」を立ち上げた。2014年より多言語事業に拡張し、訪日向け参加型スポーツ事業を推進中。
自動車、医療、教育、観光。
注目が集まる、そのワケは?
AsiaX:新年初の座談会となる今回は、2018年のシンガポールで中心トピックとなるだろう4業界のお話を伺いたく、皆さんにお集まりいただきました。自動車、医療、教育業界のお三方をお招きしたのは、2017年の独立記念日にリー・シェンロン首相が発表した「施政方針演説」を受けてのことです。
【自動車業界】藤井:スマート国家の建設、糖尿病対策、就学前教育の充実という3本柱が示されましたね。
AsiaX:例えば近年の自動運転による無人タクシーの試験運行のように、首相の声明が出る前から、各業界、動きはあったと思うのです。が、施政方針演説以降、その動きが早まった、なんてことはあるのでしょうか?2017年10月に発表された自家用車保有の伸び率0%設定は、車の台数制限をしてスマート国家建設を急ごうという流れなのかな、なんて思ったのですが。
藤井:それはあるかもしれませんね。インドネシアは100万台市場、タイは80万台市場と言われる中で、シンガポールは自動車を作っていないので、そもそも自動車産業そのものがありません。となると、この国は政府主導によるモビリティ・コントロールが進めやすいですし、自動車業界で言われるCASE(Connected、Autonomas、Shared-mobility、Electric-mobility)の試験場として最適だと考えられます。
AsiaX:CASE、ですか?
藤井:先ほどおっしゃっていた自動運転はまさに、C、Aにあたります。Sの部分も、UBERやGrabが浸透し、シェアに近づいている。電気自動車の充電ステーションが不十分である点では、まだまだEが発達しているとは言い難いですが、今後、整備されてくるはず。それに自動運転ソフトの製作会社等を誘致しているなんて話も耳にします。IT企業や自動車会社が、こうして種を蒔いているものがどう芽吹くかは、私にとっても興味深い点です。
AsiaX:そうなると、自動車は自分で運転するものじゃなくなっていくのでしょうか。
藤井:もともとシンガポールはGDPが高い割に自動車保有台数が少ないのです。じゃあ自動車保有がなくなるか、自動化で運転しなくなるかというと、しばらくはそこまでいかないんじゃないかな?
AsiaX:スマート国家やオートメーション化の話は、自動車に限ったことではありませんよね。医療の世界にも関係していそうですが、いかがですか?
【医療業界】佐藤:そうですね、日本同様に少子高齢化が進むシンガポールでは、この先、医療関係の人材も減少し、人手不足になることが予想されます。そこで進められているのが、労力を減らし、少人数で効率よく稼働できるオートメーション体制です。
藤井:そうそう、シンガポールは高齢化しているのですよね。電車で席を譲られることがあって、まだそんな年齢じゃないよと慌てて周囲を見渡すと若者が多いから、国民の平均年齢は若いのかと勘違いしていました(笑)。
佐藤:65歳以上が総人口に占める割合の「高齢化率」が、7%が高齢化社会、14%が高齢社会。高齢化社会から高齢社会へ移行するのに、日本は24年かかっているところを、当地はわずか16年。急速に進んでいるのです。
AsiaX:そういった効率的な運用に向け、何か具体策は施行されているのですか?
佐藤:受診されたかたがスムーズに診療を受けられるようにしています。アプリを活用して複数の診療科を受診する際は、受診登録から支払いまで一括管理して病院の滞在時間が短くなるようにしたり、入院する場合、診療内容以外のデータも管理して入院期間を短くする、あるいは空いたベッドにすぐに入院できるようにしたり。
AsiaX:なるほど。首相の声明にあった、糖尿病対策についても教えてください。
佐藤:糖尿病について取り沙汰されるようになったのは、2016年4月頃からと、意外と最近なのです。そこから一気に対策気運が持ち上がって、ホーカーセンターにカロリー表示がされるようになりました。糖尿病は食生活の影響が大きいですから。
AsiaX:でも、習慣的に食べてきたものを変えることは難しそうですね。2012年に、肥満対策としてマレーシアでナシレマ制限がなされていましたが、結局、減らなかったようです。
佐藤:大事なのは、今の食生活が糖尿病には良くないという認識を持つこと。ホーカーで飲むコーヒーはおいしいけれど、とても甘いですよね。糖尿病が自分の健康上で問題になるのは10年後、20年後ですから、今から糖分を減らしていくに越したことはありません。飲み物に関して言えば、清涼飲料メーカーに対し、2020年以降は発泡性飲料や果汁飲料の砂糖含有量を12%以下に減らすことが発表されています。
藤井:そういえば日本人って主食が米で糖質なのに、糖尿病をあまり発症しませんね。
佐藤:米以外の糖分をいかに減らすか、もしくはバランスよく食べるかですよね。糖尿病患者に向けた日本食の提供などを行う日本の食品メーカーが進出してくるといいのですが……。
AsiaX:首相の施政方針演説は、3つ別々に掲げられているようでいて、少子高齢化対策という点でリンクしていそうですね。糖尿病対策は高齢社会の象徴のようですし、オートメーション化することで働き手を確保し、子どもの教育を強化することで将来の優秀な働き手を増やすことにつなげるという。それにしてもシンガポールは以前から教育熱心なイメージが強いのですが、首相が掲げた声明にはどのような意味があるのでしょうか?
【教育業界】岡部:プリ・スクールを充実させ、未就学児童の教育を強化するということなのですが、裏にある意図は少子化対策です。共働き夫婦に対し、安心して子どもを産んでください、というメッセージが込められています。プリ・スクールの数を約5倍に増やすことで、親が働いている間に面倒を見ていてもらうだけでなく、しっかりした教育を安価に施せる体制を整える。国を揚げて両親のサポートをします、という表明だと思います。
佐藤:でも、産むか産まないかというのは個人の問題であって、そのコントロールはとても難しいと思います。
岡部:そうなんですよねえ(苦笑)。ただまあ、共働きの場合はお子さんの預け場所が必要になりますから、教育を含めた体制が整っていて、なおかつ4歳以下からでも預かってもらえる場所ができるのは、彼らにとって安心材料にはなりえます。事業者へ助成金を出し、手頃な料金を保つことや、教育省(MOE)の幼稚園に進めるなどの工夫もあるようです。
AsiaX:シンガポールの親御さんは、皆さん、本当に教育熱心。いい教育が受けられる学校へ入るために引っ越しもするようですし。子どもたちが勉強疲れしてしまう、なんてことはないのでしょうか?
岡部:地元の公立校のレベルに格差があり、進学校入学のために転居したり、成績上位を目指さねばならないとストレスを抱える子どもがいたり。それらを問題視し、最近では下位レベルの学校のボトムアップを図ることにより、どの学校へ通っても安心して教育が受けられるよう、政府がずいぶんと力を入れています。
AsiaX:教育数値の高い学校ではIT教育をどんどん推進しているようですね。インターネットによる情報収集力が上がると、海外への関心が高まる、といったこともありそうな。
【旅行業界】西村:情報収集と活用ですね。そろそろ、私の出番へと水を向けられているのでしょうか(笑)。
AsiaX:お察しの通りです!シンガポールからの訪日旅行者数が、日本政府観光局調べで2015年は30.8万人、2016年は36.1万人。これって、何か理由があるのですか?
西村:昔は添乗員付きの旅行プランが主流でしたが、昨今、シンガポール市場では個人旅行の比重が極端に増えています。これを支えているのが、ウェブ。あらゆる情報がSNSで簡単に検索できますし、アプリやサイトで評価の高い日本食が食べられる店や場所がわかる。たとえ言葉がわからなくても、自動翻訳機能を使えば機械で注文ができる。また定期便はなくても、ハイシーズンにチャーター機が飛んでいたりするので、渡航先が地方へと拡散しつつあります。
岡部:なるほど、テクノロジーの後押しや地方自治体の受け入れ体制があるんですね。
西村:もう1つ重要なファクターが、格安航空です。日本各地への直行便が増えています。例えばスクートが2017年12月から関西空港への直行便をスタートさせました。これが最低料金S$212から(※)。
※2018年1月17日時点での価格
AsiaX:え、そんな安いんですか!?
西村:飛行機にお金を使わないぶん、宿泊先や体験など、渡航地でお金を使う人が出てきています。
藤井:体験というと?
西村:アジアではマラソン熱が高まっています。日本はマラソン大会が非常に多いので、そういったイベントへの海外からの参加者も増えていますよ。2019年のラグビーW杯、2020年の東京オリンピック、2021年のワールドマスターズゲームズと、日本は大きなスポーツの祭典が続くので、当社もスポーツツーリズムに貢献してゆきたいと思っています。
街づくりの巧さ、産官学の連携
シンガポールが優れていること
AsiaX:なるほど、動線が日本各地に広がっているのですね。ちなみに、空港事情や道路事情など、日本とシンガポールを比較して、日本の方が優れているもの、シンガポールの方が優れているものって、何かありますか?
藤井:日本は移動にお金がかかりますよねえ。シンガポールは道路も公共交通機関の料金も破格に安いし、国全体の道路がきちんと設計されていますから渋滞が起こらないところが魅力的。
西村:確かに、そうですね。旅程を組む際、現地着時刻が読めないジャカルタやバンコクと違って、シンガポールはチャンギ国際空港から市内への移動がスムーズです。シンガポールは集客地としてもよくできていますよね。カジノや国際会議場があり、Integrated Resort(IR)として完璧に機能している。
AsiaX:街づくりが上手ですよね。やや集客力が弱いビルにドンドンドンキのような注目が集まる店舗を起爆剤として誘致するなど、国が上手に協力している印象があります。
岡部:政府の積極的な協力姿勢は教育の分野においても言えますよ。欧米の有名大学とのコラボレーションをサポートしたり、研究開発への予算バックアップをしたり。
佐藤:シンガポールが優れているといえば、学びの姿勢が挙げられると思います。日本の医療現場の視察をしたいとアテンドを依頼されることがあるのですが、何を見たいのか目的意識がはっきりしていて、視察の視点が非常に深い。
岡部:国民性として勉強熱心なのですね。
佐藤:日本だけでなく欧米諸国へも行っていて、各国の良い点を上手に組み合わせて自国に導入しています。日本は高齢者医療の先進国と言われてきましたが、シンガポールの追い上げはすごいものですよ。ここ1〜2年で建設されているコミュニティホスピタルという高齢者向け医療施設の環境は、日本と段違いに良いですから。シンガポールは前例を持たないぶん、良いと思ったらどんどん変えていく。今後、ロボットなども取れ入れていくのではないでしょうか。
2020年はどうなっている?
識者の未来予測
AsiaX:変化が早くもたらされる国ですから、その動向には常にワクワクさせられます。となると、皆さんの2020年・未来予測が聞きたいところです。
岡部:数年では変わらないかもしれませんが……職のバラエティが広がっているといいな、と願っています。というのも、この国がこれだけ教育に力を入れているのは産業が少ない点が影響していると思うのです。
AsiaX:学歴が求められるところを、国民がこぞって目指すために競争が激化してしまう、ということですね。
岡部:エンターテインメントに興味がある子どもや、スポーツが得意な子どももいます。国が豊かになると文化・芸術等のサービス産業も盛んになると思うのです。学力で勝負するだけじゃない職業も、今後増えていくのではないか、そうなるといいな、と。
西村:エンターテインメントが伸びるのはいいですね。シンガポールはエンターテインメント・シティとしての役割を担っていくといいと思うんです。今後、カンボジアやミャンマーなども含め、周辺諸国の経済が発展すると、中級階層が増加します。お金持ちが増えると、旅行者も増える。となると、周辺国のどこからもアクセスのいいシンガポールの渡航地としての価値が上がるはずですから。
佐藤:医療分野では、AI等を導入し、疾病予測を始めるのではないかと予想しています。シンガポールの公立病院の全患者のデータは一箇所に集めることになっているので、国民の健康を守る上で、政府はそれらのデータを活用してくるだろうな、と予想しています。
藤井:それはいいですね。以前、インドネシアでMRを撮ったのですが、日本の病院に持って行ったらCTを撮り直しになってしまって。データを一本化してもらえるのは患者にとってもありがたい。
佐藤:効率の良さは重要ですよね。もう1つの予想は、高齢者ケアの場が病院から地域施設に移行するのでは、ということ。結果的に病院の待ち時間が減り、病院スタッフにとっても、患者にとっても効率が良いはずです。
藤井:佐藤先生や岡部さんのお話にもありましたが、産官学が目的に向かって連携し、実行に結びつけていて、それが極めて早いのが特徴の国ですよね。2020年であれば、きっとEVを使った自動運転のシェアリングカーあたりは住宅街を走っていそうな気がします。あまりスピードが出ませんが、最寄り駅から家近辺までのちょっとした距離であれば速さは気にならないでしょう。実現するために協力するメーカーはどこかなあ、中国かなあ。
AsiaX:日本メーカーだと嬉しいですね(笑)。2018年、まだまだ始まったばかりですが、夢膨らむ話をお聞かせくださり、ありがとうございました!