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スマートシティ実現最速国の呼び声高い、シンガポールの都市開発の歴史と今

シンガポールの街並みを想像してみてもらいたい。何を思い浮かべるだろうか。リトルインディアなどのエスニックタウンや、ゲイランなど昔ながらの姿を残す場所、自然を残したところもある。が、多くの人の脳裏にはビルが建ち並ぶ都市化された姿が浮かんだのではないだろうか。建国から約50年でアジア経済の中心地にまで発展したこの国の「都市開発の歴史」を探るべく、4人の専門家にお集まりいただいた。

 

MITSUBISHI JISHO SEKKEI ASIA
Managing Director
鳥羽 聡一郎(とば そういちろう)さん

 

地元大阪で約10年、設計の仕事に携わり、1997年に渡米。イタリアに渡り建築を学び直し、シカゴSkidmore Owings & Merrill LLPにて超高層建築の設計に従事。2001年より三菱地所設計。新丸の内ビルディング、グランフロント大阪の主任設計者を経て、2013年に渡星。超高層複合建築、駅前再開発からシンガポールの都市計画まで、東南アジア諸国の発展と海外事業拡大に尽力する。「酒と車をこよなく愛する身には、シンガポールの物価は堪えます。」

 

MITSUI & CO. (Asia Pacific) PTE. LTD.
Consumer Service Business Dept.
堤 世良(つつみ せら)さん

 

2016年10月に来星。三井物産アジア大洋州シンガポール支店/コンシューマーサービス事業室にて、主にオフィス・産業施設の不動産開発事業を担当。社内外のネットワークを活かし、既存案件のリーシング並びに新規案件の組成を行い、東南アジアでの優良アセットの積み上げに尽力している。趣味は運動。「いつもマリーナベイを周って景色を楽しみながらジョギングしています!」

 

PACIFIC NETWORK (SINGAPORE) PTE. LTD.
CEO
木村 登志郎( きむら としろう)さん

 

1976年より10年間、三井物産の物資建設部門並びに海外人事に在籍。その後、旭硝子に5年間在籍し、うち3年間をシンガポールで過ごす。1990年からパシフィック不動産に在籍。日本人で初めて、当地の宅建資格を取得。弊誌の人気企画「シンガポール不動産『耳寄り情報』」にて連載中。「シンガポール永住権者で、特にセントーサ・コーブに精通しています。」

 

KAJIMA DEVELOPMENT PTE. LTD.
Chief Investment Officer
田中 大輔(たなか だいすけ)さん

 

ドイツ・ルクセンブルクで幼少期を過ごし、1992年に鹿島建設株式会社に入社、1997年よりシンガポールに駐在中。一貫して、不動産開発事業に従事し、ミレニア・シンガポール、リージェントホテル、71ロビンソンロードオフィス開発、スイ・ジェネリス住宅開発などの案件に携わる。現在は、公募入札で落札したウッドレイ駅直結の大型商住複合型施設の開発を統括する一方、アジア域内での不動産投資機会の発掘を進めている。

「都市」ではなく「国土」づくりから
1970年代から都市化スタート

 

AsiaX:近隣諸国に目を向けてみると、道路の敷設の仕方など、あまり計画的に開発がなされていない印象を受けることがあります。一方、シンガポールはすべてが整備されている。これって、当地は独自の歴史をたどった経緯があるなど、何か理由があるのでしょうか?

 

木村:在住歴がもっとも長い私がお話ししましょう。シンガポールがマレーシア連邦から独立したのは1965年。非マレー系住民への差別政策に反対した人民行動党(PAP)のリー・クアンユーが、統一マレー国民組織の合意のもと、袂を分かつことで成立しました。ただしシンガポールは水すら自給できない状態でしたから、以降、どうやって国を成り立たせ、国民を食べさせていくかという問題に直面してしまった。その根本政策となったのが、国土開発です。

 

堤:なるほど、当時は都市開発よりも国自体の開発を主軸にしていたのですね。

 

木村:その通りです。マレーシアにおける市場を失ってしまったので、海外からの投資を誘致しようと考えました。こうして生まれたのがジュロン・タウン・コーポレーション(現・JTCコーポレーション)です。人口密度の低かったジュロン地区を工業地(写真上)と定めた、いわば工業投資開発誘致国家公団のようなもの。これが成功を収め、1970年代前半にはかなりの経済成長を達成することになります。

 

田中:ビル建設が最初に進んだのが1970年代ですよね。

 

木村:シンガポールは国面積が小さいので、景気が国全体に反映されるのが早い。オフィスビルは特に顕著で、UICビルディング(1973年)、DBSタワー1(1975年)、ホンリョンビルディング(写真右)、インターナショナルプラザ(ともに1976年)と、一気に建設が進みました。シンガポールが都市として盛り上がってきたのはこのあたりからです。

 

AsiaX:定かではないのですが、ホンリョンビルディングの建設工事は日系企業が携わっていたと聞いたことがあります。日系企業が当地の都市開発に関わるようになったのは、この国が、国家レベルで開発を進めていこうと舵取りした初期段階からだったのでしょうか?

 

木村:都市開発という大きな文脈では、そうだとは一概に言えませんね。街で日本車を見かけることもほぼない時代でしたから。というのも当時はまだ反日のムードが残っていたのです。戦後、その賠償として日本がセントーサ島にパラボラアンテナを創設したりしましたよ。日系企業が都市計画に関わりだしたのは、1980年代後半以降じゃないでしょうか。

 

田中:インフラ整備であれば、弊社は1960年代から行っていました。インフラ整備は期間を区切っての仕事ですから、比較的早い時代から関わることができたと言えます。一方、時間を要する都市開発への参入はもう少し後になり、1980年代のリージェント・シンガポールの開業や、ミレニア・シンガポールの不動産開発と続きました。

 

鳥羽:私どもは建設ではなくデザイン部分を担っているのですが、建築家的視点では、シンガポールの都市開発に日本が関わるようなったのには、リー・クワンユーが日本のモデルを大事に思ってくれていたことがあるのでは、と感じています。彼が丹下健三を当地の都市開発の相談役に任命したというのは、有名な話です。

 

堤:それは言えていますね。

 

鳥羽:イギリス統治時代にゾーニングされた中華系、マレー系、インド系エリアの再編と、セントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)の再開発に、丹下健三が関わっているのでは、という見方があるのです。

 

国家が主導する2つの開発プラン
国土が小さいからこその機動力

 

田中:もともと漁村から始まって、トマス・スタンフォード・ラッフルズが植民地化に携わり、中国人とインド人などが集まることで自然発生的に都市化が進みました。人口が世界大戦前後に増加を続けた結果、都市開発が追いつかず、19世紀の街並みで20世紀の都市活動を行っている、なんて言われた時期もあるそうですよ。

 

堤:そういった流れの中で制定されたのが、国土開発指針となる「マスタープラン」ですか?

 

田中:マスタープランが最初にできたのは1958年と、独立前のこと。1971年に、40〜50年という長期的スパンで国土の有効利用を策定した「コンセプトプラン」というものができたのです。シンガポーリアンが自分の意思を以って、国の方針を定めたのはこの頃じゃないでしょうか。

 

鳥羽:コンセプトプランは国連主導だったと記憶していますが、コンセプトプランが実際のスタートと言えるでしょうね。

 

田中:コンセプトプランに関連して発行されたランド・ユーズ・プランには、たとえば国土の何%を何に使うかまで決まっています。道路などの交通インフラに割く面積は約12〜13%。意外と多いと思いませんか?そうすると、なるべく自動車をシェアしてもらえると駐車場面積が少なくてすむな、自動運転を導入できれば車線を減らせるな、など、都市計画を担う役人は、日々、考えているはず。土地の希少性が高いシンガポールならではだと感じます。

 

堤:シンガポールはこのマスタープランやコンセプトプランの内容が明確で、かつ政府から民間への情報開示もなされていますから、周辺国よりも計画的に開発しやすいというメリットがありますね。

 

鳥羽:ちなみに、シンガポールの建国当時の人口ってどのくらいかご存知ですか?

 

田中:うーむ、150〜160万人とか?

 

鳥羽:近いですね。190万人ほどです。いまや570万人ほど。人を増やすことこそ、国を強くする術であり、小さな国土において都市を機能させる肝であると、リー・クワンユーが理解していたというのが、この国が発展したポイントだと思うのです。そうしたうえで、ガーデンシティといったテーマを掲げて突き進んできたのが、成功の鍵。

 

 

木村:なるほど。

 

鳥羽:いまの建築家たちは、この国土のサイズを逆手に取ろうとしている。世界で注目されている「スマートシティ(最新IT技術の導入で暮らしやすい街を作ろう)」を完成させる可能性がもっとも濃厚な国と言われていますよ。

 

木村:国土が小さいからこそ、方針を素早く決めて、素早く実行できるわけですね。

民間企業にも身を委ね始めた?
海外からも注目される豊かなノウハウ

 

AsiaX:マスタープランやコンセプトプランは、シンガポールの都市開発における大きな特徴なのですね。ほかに、たとえば日本と比較してギャップを感じることはありますか?

 

木村:日本は個人の権利が主張されやすいことが挙げられます。シンガポールは個人の権利=国の利益と考えているところがあり、国の権利が強い。

 

田中:それは言えていますね。土地にしても、いい場所はほとんど国有地で、それらは民間に借地権が与えられていても99年という期限付き。

 

木村:しかも公共事業のために民有地を接収する際も、相場以下で買収されるケースが多いようです。

 

田中:そういう意味では、シンガポール政府こそ、マスター・ディベロッパーと捉えるとわかりやすいかもしれません。我々はサブ・ディベロッパー。国が造って欲しいものを、彼らの意向に沿う形で実現してきました。が、政府主導の様子から少し変えてみようよ、という試みも行われていて、それがカラン地区のマスター・ディベロッパー・アプローチ。民間の知恵を活用するために、街区を小割りにせず、地域一帯の開発を民間ディベロッパーに託す試みです。

 

鳥羽:以前、ジュロン地区の開発コンペに参加した時が、まさにそうでした。以前までは細かな点まで制限が厳しかったのですが、ブロックごとの開発などは民間に委ねられていて。あえて計画的に計画しない、という印象でした。

 

堤:とても面白そうな試みですね。

 

AsiaX:なるほど、都市開発に加わるといっても政府の管理下にあるのですね。ところで外国人の来訪が非常に多い当地ですが、この国の街づくりを目にして、開発ノウハウを我が国で展開して欲しい!という海外からの要望とかもあるのでは。

 

田中:ええ、いくつかありますよ。たとえばHDB(公団)開発のノウハウをインドや中東に堤供していたり、キャピタランド社がラッフルズシティー・ブランドで中国各地に複合施設を開発していたり。

 

木村:表立っての輸出ではないですけれど、東京が目標に掲げている街づくりは今のシンガポールに似ていますよね。

 

AsiaX:そういえば、以前、東京23区のある区長とお会いした際、グリーン&クリーンを目指し、シンガポールを目標にすると明言なさっていました。

 

鳥羽:ある部分での都市輸出は行われていると思いますが、輸出先の国によって状況が大きく違うので、同じスキームは適用できません。よって政府ではなく、民間企業レベルでの話という認識が正しいと思います。堤さんがまさにこういったご担当では?

 

堤:そうですね。ただ鳥羽さんがおっしゃるように、各国で政策も文化・習慣も違いますから、当社では不動産開発において現地のパートナー企業とタッグを組んでスキームを考えるようにしています。

ローカルの声に耳を傾ける
求められる未来像

 

鳥羽:たしかに、ローカルとの対話は非常に重要ですね。前述のジュロン地区のコンペの際、政府と密に話をしました。彼らが今、もっとも気になるものは何かと尋ねたところ、いくつか課題が浮き彫りに。1つはサステナブル。資源も食料も水もない環境で、どう国を維持していくか。そしてもう1つがエイジングでした。

 

田中:エイジング!!

 

鳥羽:HDBは核家族化が進んでいます。また、1階のピロティで年配の方が1人でお茶を飲んでいる姿を見かけることがありますよね。日本以上に急速に高齢化が進んでいるため、シニアに向けた設備を考えることは必須。さらに食料自給も叶えられるようなアイディアを考えていく必要がある。そこでたとえばですが、各HDBの屋上を緑化ならぬ畑化する。アーバン・ファーミングを作って、コミュニケーションを図れる場にするのです。

 

木村:なるほど。HDBはエスニック・ミックスも求められていますね。先ほど鳥羽さんがおっしゃっていましたが、イギリス植民地時代はマレー系、中華系、インド系などが分断統治されていました。現在は、これとは逆に、彼らが交われるように、HDBは何%どの人種を増やす、といったように決まっている。が、実際はこの実現がなかなか難しい……。

 

鳥羽:彼らの間の垣根が自然となくなるのが理想的ですよね。そのトリガーとなるのが、畑のような自然だったり、スポーツだったりする。よって、それらを楽しめる施設を今後我々が提案する都市計画にも取り入れていきたいと思っています。

 

木村:そういえば、シンガポールのスマートシティに関する番組を観たのですけどね、信号の規制に人工知能(AI)を導入し、それらが交通量を検知・車の流れを把握して信号の切り替わるタイミングを変えることを実現していたり、公共交通機関用のez-linkカードのビッグデータを取得して人の流れを把握することで最適な交通路の検討資料にしていますね。

 

田中:AIから得たビッグデータを分析して、都市として何が必要か、最適なのかなど、スマートシティ実現に役立てるための動きはもう始まっていますよね。

 

AsiaX:データ取得で思い出しましたが、一説によるとシンガポールでは検問なしで飲酒運転を取り締まれるようですよ。車のGPSで行動データを取得して、当該車両をピンポイントで御用にするという(苦笑)。皆さんの個人的なご意見で構わないのですが、シンガポール、および近隣諸国における都市開発において、今後の展望やどう関わっていきたいかなどをうかがえますか。

 

堤:当社は、東南アジアでのさらなる不動産事業の拡大を目指して、100%子会社のMBK Real Estate Asiaをシンガポールに設立し、今年10月から本格稼働させています。同社を通じて、引き続き、注力国であるシンガポール、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムにおいて、ローカルの企業とともに、オフィスビルと産業施設の開発事業を積極的に展開させていきたいと思っています。

 

田中:そうですね、堤さんがおっしゃるように、アジアは国が違えば為替もリスクも違う。ですからそれぞれを個別に膨らませていくことが重要なのかなと考えています。日本人が出張っていくだけじゃなく、ローカルと協業して、シナジー効果を楽しみながら進めるのが良さそうです。

 

鳥羽:私も皆さんと同じ視点ではありますが、東南アジア諸国ではどの国においても我々が長年培ってきた開発やデザインのノウハウを使えるのが面白い。特に力を入れたいのはTransit Oriented Development(TOD)に関する案件。一般的に公共交通機関の発展は初期に行われますが、東南アジアはそれらが今まさに行われているところ。となると我々が得意とする駅前開発事業が展開できるのです。

 

田中:電車といえば、東京で電車を利用すると、当地とは違って駅舎内や地下通路を延々と歩いている気がするのですが。

 

鳥羽:東京は街やビルができあがったところに駅を設けたので、複雑になってしまったのです。一方、関西は駅を中心に地下道を造ったので、わりとシンプルですよね。シンガポールはすでに地上が埋まっていますから、これからは地下開発を始めるべきなのかもしれませんね。

 

木村:埋め立てについて近隣諸国からいろいろ言われたため、これ以上、地上を広げられませんしねえ。とはいえ、地下開発はお金がかかる……。

 

堤:そういう進化や状況に合わせて、我々も変わっていかねばならないのでしょうね。今日は私まで勉強になりました。ありがとうございました!