AsiaX

シンガポールでの人事考課制度のあり方とは?

従業員のパフォーマンスを適切に評価し、相応のポジションや待遇を用意することは、組織を活性化させていくうえでも不可欠なプロセスである。シンガポールにおいて望ましい人事考課制度とは何なのだろうか。今回の座談会では、人事考課制度の構築を専門に手がけるあしたのチームシンガポールの田尾さんを迎え、人事担当者の方々と意見を交わしていただいた。

 

あしたのチームシンガポール
Managing Director & CEO
田尾 豊さん

 

慶應義塾大学経済学部卒業後、コンサルティングファームで経営戦略立案、組織・人事戦略立案、業務プロセス改革などを経験。2014年HRコンサルティングのベンチャーである株式会社あしたのチームに入社し、2015年に台湾法人を立上げ2年で黒字化達成。2017年にシンガポール法人を立上げ営業を開始した。日系企業に対し、人事評価制度の構築から運用までを一貫してサポートしている。

 

株式会社関電工
Representative of Overseas Branches & Subsidiaries
General Manager of Singapore Branch
嘉藤 寛さん

 

2016年5月にシンガポールへ赴任。関電工のシンガポール拠点長のほか、非常駐でベトナム子会社の社長とタイ子会社の副社長も兼任している。海外拠点の事業統括責任者として、各拠点における経営戦略・税務会計・法務・M&Aの実務対応を担いながら、海外事業の拡大に尽力している。愛妻と2歳の一人娘との3人暮らし。

 

SETA TECHNOLOGIES PTE. LTD.
Vice President
前田 政文さん

 

鹿児島県鹿児島市出身。セイコーエプソン子会社などを経て日系IT企業に転職、2011年に駐在員として渡星し、2012年にITサービスの構築・保守を手がける会社を立ち上げた。その後、SETA Technologiesのオフィスをシンガポールとマレーシアに設立、現在はオフィスのインターネット・電話の手配からサーバ・PCのインストールなどITインフラの構築・保守などを幅広く手がける。

 

シンガポール日本人会
事務局長
池上 さつきさん

 

1989年に結婚を機に来星、当初はシンガポール大学医学部解剖学教室で2年間、生化学の研究助手を務めた後、日系建設会社の関係会社であるシンガポール投資会社に転職、10年間海外投資案件の整理に携わった。その後、日系製造業のシンガポール研究所に移り管理全般、さらに同社トアス工場の立ち上げに関わり工場管理の職を10年経験。2014年、日本人会の事務局長に就任し今年で3年目を迎える。

 

三菱東京UFJ銀行
アジア・オセアニア企画部長兼シンガポール副支店長
平松 直也さん

 

愛知県名古屋市出身。ニューヨークで8年、シンガポールで7年の海外勤務経験を持つ。シンガポールへは、2007年~2009年に勤務、2013年7月に再び赴任。銀行の国際部門、市場部門、システム部門と幅広い分野の金融業務に携わり、現在はアジア・オセアニア企画部長として、人事総務、税務会計、当局対応、リスク管理など、1,200人という大規模拠点全体を統括している。


AsiaX:今回の座談会のテーマは人事考課です。アドバイザーとして、人事考課制度の構築・運用サポートなどを手がけるあしたのチームシンガポールの田尾さんにお越しいただくとともに、各企業・団体の人事のご担当者様にお集まりいただきました。それではまず、組織における人事考課の重要性について、田尾さんにご説明いただければと思います。

 

田尾:人事考課は、組織と従業員が互いに対して何を求めているのかを明確にし、双方をつなぐための共通言語といえます。従業員は人事考課を通じて、自分が何をすれば評価され給料が上がるのかを理解することができます。組織を運営していくうえで人事考課はなくてはならないルールであり、憲法のようなものといえるでしょう。

 

AsiaX:それでは、人事考課に関して皆さんの組織で行っている取り組みや、独自の工夫などについてお聞きしたいと思います。

 

池上:現在シンガポール日本人会には、パートを含め約120人の職員がいます。昔に比べて大きな組織となってきているのですが、人事考課制度については小さかった組織のままの状態なので、職員の業務のクオリティを保つため、人事考課についてはコストや時間、従業員の資質も含めて試行錯誤しているところです。

 

平松:当行のシンガポール拠点には当地で採用しているローカルスタッフが約1,000人、日本からの派遣行員が約200人在籍しています。ローカルスタッフの人事考課は、グローバルな方針に基づき、当地の規制や慣行も踏まえて人事制度を整備しており、年度初に設定した目標の達成度を年度末に評価する成果責任と、行動特性(コンピテンシー)評価を組み合わせ、総合評定を5段階評価したうえで、昇格や昇給、ボーナスへと反映させています。

 

前田:当社はITサービスをクライアントに提供しています。営業の場合、成果が数字に表れるので評価は比較的簡単ですが、技術者の場合は明確な数値目標がないため評価がしにくい面があると思っています。私が一番大切にしているのは、顧客からの声です。顧客の抱える問題を解決したことに対して、当社のエンジニアがどれだけ感謝の言葉をいただけるかが大事だと思っています。

 

嘉藤:私は昨年5月にシンガポールへ赴任しました。評価基準を策定するため、人事考課に関する本も何冊か読みましたが、さまざまな人種、年齢の社員がいる中、何が正しいやり方なのか結局答えは出ませんでした。いろいろ試行錯誤して出した結論は、「人種や年齢に関係なく、とにかく公平に評価しよう」ということです。
例え勤続年数が長くても、相応のパフォーマンスを出せなければ評価の対象にはなりません。一方で、この人がいなくなったら困るという人に対しては、それなりの待遇を用意することが必要だと思います。

 

田尾:人が人を主観で判断する以上、完璧な人事考課はあり得ません。公平かつ透明で皆が納得できるルールを策定し、経営者の強いリーダーシップのもとで運用しながら改善を繰り返していくことが必要になります。「頑張れば自分の承認要求が満たされる」と社員が判断すれば、その人はより努力するようになります。一方で「この会社ではサボれない」と思って辞めていく人もいるかも知れませんが、健全な新陳代謝が生まれるという意味では良い事だと思います。

 

 

AsiaX:優れた人事考課制度を構築することはもちろん大切ですが、制度を運用する人間をきちんと訓練すること、つまり考課者教育も必要だと思います。考課者の育成について、どのように取り組んでいけばいいのでしょうか。

 

池上:考課者教育は日本人会でも課題のひとつです。外部の講習会などにも参加してもらっていますが、人事考課のスキルは一朝一夕で身につくものでもありません。担当者にもしっかり噛み砕いて理解してもらい、レベルを上げていく必要があると考えています。

 

平松:人事考課者の育成は重要な課題と捉えており、当行では2つのことを実践しています。1つ目は、役職ごとに「期待する行動要件」を明確に定義し、スタッフ全員に開示しています。常に職階ごとの期待要件と実際のスタッフの行動特性を比較することで、足元の業績だけに捉われないコンピテンシー評価の実現を目指しています。
2つ目は、キャリブレーション(相互牽制による評価調整)の実施です。人事セクションの中にBusiness Partnerと呼ばれる担当を配置、現場の上司とその担当者が、評定決定前にキャリブレーションを実施し、最終評定が現場管理者によって過度にばらつかないような仕組みを導入しています。
こうした手法は、スタッフに対して公明正大で透明性のある人事評価を提供する効果があるだけでなく、考課者自身の評価方法に気付きを与えるとともにスキル向上に大きく寄与しています。

 

田尾:考課者を育てるには、その人の評価結果に関するデータをしっかり分析することが効果的です。データを分析することで「この人の評価は甘くなりがち」とか「ある従業員について、成果が出ていないのに評価が高い。これは考課者が好き嫌いで判断しているからではないか」など、さまざまな課題が見えてきます。
適正な評価ができていないと思われる人には、必要に応じて研修を受けてもらい、組織の評価基準への理解を深めてもらうといった取り組みをすべきでしょう。その人には、評価される従業員とも定期的に面談してもらい、座学と運用の両面からレベルアップを図っていくことが必要です。さらに、その評価が適切かどうかを上層部に判断してもらうといったプロセスを繰り返さなければ、考課者も育ちません。

 

嘉藤:マネジメント側と社員との間で、一定の距離感を保つことも必要だと思います。評価軸をしっかり定め、好き嫌いではなく公平性を重視しなければ、良い人事考課はできないでしょう。中には、自分に対する評価に納得できず離職する社員が出てくるかもしれませんが、人事考課を担当する人間はある程度割り切って考えないといけないと考えています。企業の上層部の人間はある意味で悪役にならざるを得ない、と言えるのではないでしょうか。

 

田尾:確かに、経営者と社員は適切な距離を保つべきです。給料についても、トップが直接従業員と話し合うのではなく、透明性のある仕組みに基づいて決めたほうがいいと思います。その分トップは社長業に専念し、経営戦略や人事戦略についてしっかり考えるべきでしょう。社員ひとりひとりと向き合うには相当なエネルギーが必要ですし、感情に流されてしまうこともあり得ます。社員に適正な給料で報いることのできるしっかりした仕組みをつくり、ある程度仕組みに任せるようにしないと、組織は大きくなりません。

 

前田:当社の場合、1拠点の人数が10人以下という小さい組織なので社員との距離も近く、家庭の事情などいろいろな話が聞こえてきます。完全に無視する訳にもいきませんが、仕事への評価に関する軸をぶらさず、しっかり距離感を保ったうえで査定することが大事だと感じています。

 

田尾:1人の社員に感情を込めて寄り添った時点で不公平が生じます。全社員と同じような接し方はできないからです。仮に家庭の事情があったとしても、処遇まで考慮していたのでは適切なマネジメントはできないでしょう。

年功序列型で人員の入れ替わりが少ない
組織の改革について

 

AsiaX:シンガポールの日系企業に多くみられる問題点について、どのようなものがありますか。また人事考課の面から、どのような改善が図れるのでしょうか。

 

田尾:日系企業の中には、離職者が全くいないことがむしろ問題になっているところがあります。20~30年選手ばかりで世代交代がない。なぜなら、その企業には年功序列や終身雇用の仕組みが残っており、在籍しているだけで給料が上がる仕組みになっているからです。いわゆる「お局様」のような人がいる企業もあり、その状況を見て若い社員は「上が詰まっていて、先がない」と感じて離職してしまうのです。
こうした状況を改善するにはどうすればいいかと、企業から相談されることも多く、われわれはまず定期昇給をやめるようアドバイスしています。問題なのは、ただ長く勤めてくれる人を望むような処遇の仕組みがあることで、まずはそこにメスを入れていく必要があります。

 

平松:当行でも、長年勤務しても業績が上がらない一方、給料やボーナスが年々上がっている人が見受けられました。人件費の高騰に歯止めがかからず、こうした事態を解消することが経営の喫緊の課題でもありました。特に、役職が上の人に対して「重要な役割を担っているため退職されては困る」という後ろ向きな理由で厚遇している現場上司も散見されました。
そこで今年は、5段階評価の各レーティングの人数をあらかじめ定められた分布で決めることを徹底するような工夫を行いました。
実質的な相対評価を導入したことにより、これまで厚遇だった人が評価も報酬も下方修正を余儀なくされる一方、真に業績に貢献した人がこれまで以上に高い処遇を受けるなど、大きなメリハリがつく結果となりました。
ここで何よりも重要なことが、スタッフ本人に対する「フィードバック面談」です。面談では「なぜこんなに去年と比べて評価や報酬が下がるのか」ということが徹底的に議論されます。これまで長年勤務している人に対して、「頑張ってくれ」としか言ってこなかった上司は、期待要件との差について具体例を持って説明せざる得ない状況に追い込まれたわけです。自身への評価は「不当だ」と、受け入れられず退職した人もいますが「初めて上司が求めていることが明確に分かりました」と納得し、スタッフ本人の意識改革への転機となったケースもあります。

 

嘉藤:当社のシンガポール拠点は40~50人規模ですが、狭い職場で相対評価を導入するとどうしても不公平が生まれると個人的には考えています。当社は絶対評価を徹底する方針で、弊害が出ればその都度、変えていけば良いと思っています。
年功序列による昇給は当社でも行っていません。永年勤続者については商品券などのインセンティブを用意していますが、定期的に昇給するシステムにしてしまうと、競争の厳しいシンガポールのマーケットでは戦えません。そこは明確に区別する必要があります。逆に、若手社員であったとしても公平に評価することを心がけています。中には入社から1年で給料が2倍近くまで上がった人もいます。

 

AsiaX:健全な新陳代謝のある組織づくりを目指すうえでは、採用時にその企業の評価基準を、候補者にある程度示しておくことも大切になるのではないでしょうか。

 

田尾:はい。面接の際に自社の評価項目を候補者に見せることは、ミスマッチを防ぐうえで効果的といえます。例えば、社員に遅刻してほしくないなら、評価項目に遅刻の回数を入れれば良いですし、それが嫌という社員はその企業には合わない可能性があるということです。さらに、現在その企業で活躍している人の特徴を定義し、面接で候補者がそれに合致しているかを問うような質問をする、といったやり方も有効です。

 

シンガポール人を確保し
適正な人事考課を行うには?

 

AsiaX:シンガポール政府は、エンプロイメント・パス(EP)の発給要件を厳しくする一方、外国企業に対しシンガポール人を優先的に雇うことを求める方針を明確にしています。こうした中、日系企業にとって優秀なシンガポール人を採用し育成していくことはますます重要になっており、人事考課のあり方にも影響を及ぼしてくるのではないでしょうか。
シンガポール人の採用について考えるにあたり、日本人とシンガポール人とで、仕事への意識にどのような違いがあるとお考えか、お聞きしたいと思います。

 

平松:離職率は、会社が「嫌だから退職する」というPushing ファクターと、競合他社が高い処遇で引き抜こうとするPullingファクターの組み合わせによって上下すると考えています。シンガポールの人材マーケットは流動性が高いためPullingファクターは恒常的に高く、シンガポール人は「上司との相性が悪ければそれを長年かけて説得したり我慢したりするより、自分にあった会社へ転職する」といったメンタリティが根底にあると認識すべきです。また、単にシンガポール人の採用人数を増やすだけでなく、どのように人材育成しどのようなポジションへ登用していくかという中長期的な方針を立てて対応することが重要と考えます。

 

池上:シンガポールの人材マーケットは流動的であり、採用側が必要な経験・スキルを持った人材も限られるのが現状だと思います。日本人会では、日本語や日本の文化を理解しているシンガポール人を採用したいと常日頃から考えていますが、そのような人材を見つけることは難しいのが現状です。また、シンガポール人の職員に長く働いてもらうにためにはどうすればいいかは常に考えています。

 

前田:シンガポールの場合、ひとつの企業に長く勤める人と、数年で転職する人が両極端という印象を受けます。給料が高い企業に人材が引っ張られてしまいがちなのが、シンガポール人の採用を考えるうえで難しいところですね。ただ、短いスパンで転職する人を見ていると、職を転々としているため専門分野での下積みができておらず、年齢に見合うスキルや経験が身についていないのではないかと感じることもあります。

 

田尾:シンガポール人の人材をどう確保するか、これは難しい問題です。現在のシンガポールは超売り手市場であり、1人の求職者を2社以上で奪い合っているような状況です。優秀な人の多くは、政府系や外資系企業に就職する傾向がありますし、一方で日系企業自体がシンガポール人から就職先として人気がないのも問題です。なかなか良い人材を採用できず、採用してもすぐ辞められてしまうのは、日系企業の構造的な問題だと思います。

 

AsiaX:日系企業がシンガポール人から人気がない理由には、人事考課のあり方にも一因があるのでしょうか。

 

田尾:日系企業には、年功序列的な考え方が残っているところも依然として多く、頑張っても責任のあるポストに就けないという不満を持つ人が多いように思います。その人自身のパフォーマンスが評価されない状況も多く、それに納得できず離職してしまうケースも見られます。
もちろん、すべての日系企業に年功序列的な考え方がある訳ではありません。一部のITベンチャーなどでは、若いうちからチャンスが与えられ、頑張れば早いタイミングで給料に反映される仕組みになっています。日系企業の間でも、取り組みには差があるといえるでしょう。

 

AsiaX:シンガポールで、人事考課制度を構築するうえでのポイントについて教えてください。

 

田尾:人事考課の頻度が大切です。われわれは四半期ごとに評価し半期ごとに給料の査定をすることをお勧めしています。一般的な日系企業では半期ごとに評価、1年ごとに査定を行っているところが多く、およそ2倍のスピードということになります。昇給のチャンスが年2回の会社と1回の会社があれば、優秀な人はほぼ間違いなく前者を選ぶでしょう。
成果目標の達成度合いとプロセスの両方をバランスよく評価することも大事です。どちらにどれだけウエイトを置くかは、職種や役職によって決めていくといいでしょう。例えば、営業なら成果の比重を高めるといった考え方が基本になります。

 

平松:評価のスパンを短くすることは、目先の利益だけを追い求めた行動に走りがちになり、長期的に顧客との信頼関係を築いていくといったモチベーションが低下するという弊害もあるのではないかと思います。短いスパンで人事考課を行う場合、長期的な目標はどう評価項目に盛り込めばいいのでしょうか。

 

田尾:顧客との関係構築を目指す場合、年間の目標を4分割し、3ヵ月で何をしなければいけないかマイルストーンを置くようにすると効果的です。高校受験を例にとると分かりやすいです。例えば、3年後の試験に合格するという漠然とした目標を掲げるより、1週間後にドリルで100点を取るという目標を設定し、それを繰り返しクリアすることを目指したほうが良い結果を出せるはずです。

 

AsiaX:シンガポールの日系企業の多くは社員数が少なく「なかなか人事考課のことにまで手が回らない」というところも多いように思えます。小さな会社でも簡単に始められる取り組みとして、どんなことがありますか。

 

田尾:経営者と従業員で定期的に面談をすることを推奨しています。それぞれの従業員が今どういう状況にあるのか、1人30分ずつでも時間をとってみてはいかがでしょうか。小さな会社なら、それほど時間もかからないはずです。
従業員の現状を把握することで、企業としても次の一手が打ちやすくなります。また従業員に対して、会社としてどういった方向に向かっていて、その人に何を求めているかをしっかりと伝えることは大切なことです。3ヵ月に1回でも、面談の場を設けて進捗を確認するだけで従業員の動きは変わってくるものですし、組織の膿を出していくこともできるでしょう。

 

AsiaX:小さな企業であっても、工夫次第で人材の定着率を高め、パフォーマンスを向上させることは十分にできるのではないかと考えさせられます。小さなことからでも、まずは始めてみることが大事なのかもしれませんね。本日はありがとうございました。