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【動画あり】東海大学客員教授 前読売巨人軍監督 原辰徳 自分に役割や義務を持たされることは大事 子どもたちや野球界のために頑張りたい

4月23日、東海大学同窓会シンガポール支部の主催で「東海大学と私の野球半生」をテーマに、同大学のOBで前読売巨人軍の監督である原辰徳氏が講演を行った。シンガポールでの講演は今回が初めてという原氏は、野球ファンや子供たちが詰めかけ会場が満員となる中、この日は2014年に亡くなった父・貢さんとの思い出を始め、巨人軍での現役時代や監督時代、また第2回大会で日本代表監督としてチームを優勝に導いたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などでのエピソードを振り返った。今回特別インタビューとして、原氏に現在のプロ野球や国際大会のあり方、そして今後の展望などについて聞いた。

 

 

―今回の講演会では、父である貢さんとの絆がテーマのひとつになっています。その理由についてお聞かせ下さい。

 

私は実の父と「監督と選手」、「先生と生徒」という普通の親子とは違う関係の中で、高校・大学の7年間を過ごしました。これら多感な時期に父からいろいろな影響を受けたことが、私の人生の礎になっていて、父との絆をテーマに選んだというより、私の野球人生を語るうえでは外せない視点でした。

 

―東海大学相模高校の野球部に所属されていた頃、チームの監督を務めていたのが貢さんで、原さん親子は当時「父子鷹」と呼ばれメディアを賑わせました。一方で貢さんからは、かなり厳しい指導を受けていたそうですね。ご自身も長年に渡って巨人軍の監督を務めていらっしゃいますが、現在のプロ野球選手の育成のあり方について、どのようにご覧になっていますか。

 

今の選手は、われわれが現役だったときに比べて非常に合理的というか、計算された練習やトレーニングをこなしていてすごいと思います。ただ、果たして大きな志を持った選手がわれわれの時代に比べて多いかというと、疑問を持つときがあります。

 

全てのアスリートに、計算された、あるいは正しいとされている指導方法を当てはめると、なかなか頭一つ抜き出る人が出てこないのではないかという気がしています。プロとは限界を越えたところにあるもので、計算され尽くされてしまうことで、果たして自分の殻を打ち破り、自分でも想像できないようなパワーを発揮できるのかと。今の選手は、計算された練習方法を行儀よく取り入れようとしますが、それに何かプラスアルファがないと、大きな目標を達成することはできないのではないか、という気はします。

―WBCでは、王貞治さんが監督を務めた第1回、そして原さんが監督だった第2回で日本代表チームが優勝しましたが、今年行われた第4回大会では惜しくも準決勝で敗退となりました。他国のチームの戦いぶりをご覧になっていてどう思われましたか。また日本代表が今後世界で勝っていくための課題などについて、ご意見をお聞かせ下さい。

 

第1、2回のWBCで日本が優勝できたのは、簡単に言うと「スモールベースボール」の強みを発揮できたからだと思います。送りバントも取り入れながら一点一点を積み重ね、ピッチャーを中心にした守りの野球を行う、その強さを米国やベネズエラ、ドミニカといった他の国も理解し、実践するようになりました。第3、4回大会では他国のチームもバントを多用したり、ここぞというところでは犠牲打を打ったりしています。これは第1、2回大会で、日本が世界の野球のプレースタイルに対して一石を投じたと言えるでしょう。

 

彼らはもともと、パワーとスピードに優れていますが、そこに日本が展開してきたスモールベースボールを取り入れたことで日本との差が生まれているように思います。ただ私は、全員が全力でプレーするスモールベースボールにおいては、日本が世界で一番長けていると思います。今後世界一を奪回するためには、スモールベースボールに加えて、例えばノーアウトランナー1塁から長打を打って一点を入れるような、よりパワフルなプレーも目指さなければいけません。

 

身振り手振りを交えての講演に、観客は熱心に聞き入っていた。

―2020年の東京オリンピックでは、野球とソフトボールが正式種目に決定しました。感想をお聞かせ下さい。

 

プロ野球界にとって、次なる一番大きなイベントはやはり東京オリンピックです。東京オリンピック以降も野球が正式種目として存続するかは定かではないですが、野球ファンが多い日本でのオリンピックで、金メダルを競い合うという展開は盛り上がると思います。

 

―2015年に巨人軍の監督を退任されました。その際「来年1年はフラットに過ごしたい」という旨の発言をされています。退任後はどのように過ごされていたのでしょうか。また今後の活動の展望についてはいかがでしょうか。

 

巨人軍の監督時代は、時間に追いかけられながら、自分の目の前にいる敵と戦ってきました。2016年は、監督としての使命や義務に追いかけられる生活から開放された1年でありたいという思いがあり、退任後はロンドンへワールドカップラグビーの決勝戦を見に行ったり、神社仏閣巡りをしたり、歌舞伎やミュージカルを見に行ったりしていました。

 

ただ今では、自分に何か役割や義務を持たされることも大事だと思っており、多少は時間に追いかけられるものも悪くないと感じています。使命や義務に追いかけられる生活から開放された今の状況も居心地は悪くないけれど、少し飽きてきているといったところでしょうか。自分の野球人生はまだ半分残っているのかもしれない。今後も子どもたちや野球界全体のためにできることがあれば頑張ってみようと思います。