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シンガポールの漢方薬(中薬)市場

華人が人口のおよそ7割を占めるシンガポールでは、街中で伝統的な漢方薬(中薬)の薬局を見かけることも多い。またホーカーセンターにあるハーバルドリンクスタンドでは、中薬としても用いられるハーブを使ったジュースを楽しむことができ、スーパーマーケットでは薬膳スープなどのコーナーが設けられているなど、その存在は日本よりも身近といえるだろう。今回はシンガポールにおける中薬市場の動向を俯瞰するとともに、その利点や利用上の注意点、さらに中薬を活用したビジネスなどについても取り上げてみたい。

 

シンガポールにおける中薬の歴史・市場規模

中薬とは天然の動植物や鉱物を混ぜ合わせ、薬として使用するもので、中国の伝統医学である中医学の知識がベースになっている。中国で使われていたものが日本に渡り、17世紀に独自に発展したものが漢方薬と呼ばれる。シンガポールでは、19世紀に中華系の移民が移り住むとともに中薬も普及していった。

 

 

市場調査会社のユーロモニター・インターナショナルによると、2016年のシンガポールにおける中薬製品の市場規模は、前年より3%拡大し約3億Sドルに達している。シンガポールで入手できる中薬は高品質で、副作用が比較的少ないことが利点という。また中国医薬保健品進出口商会の資料によると、世界最大の生産国である中国の中薬の輸出先を国別でみたとき、シンガポールは6,900万米ドル。人口がわずか500万人超であることを考えると、他国に比べ中薬がより身近であることが伺える。

アジア全体で見ても中薬の需要は高まっているようだ。中薬の販売大手である余仁生は2000年にシンガポール取引所への上場を果たすなど業績が拡大、さらに近年では香港やマレーシア、中国など海外への展開を進めている。

 

2002年から中医師の国家登録が必要に

市場が拡大するにつれ、シンガポール政府はその安全性を高めるため、中薬を扱う中医師に関する規制を強化するようになった。2002年以降、中医師は国家機関への登録が必要になり、新たに学校を卒業した人は資格試験をパスすることが求められている。また医療行為についての規定も設けられ、違反した場合は免許が取り消されるほか罰金が課されるなど、罰則も強化されている。

 

南洋理工大学のホン・ハイ教授は次のように話す。「規制の強化もあり、医療行為に対する中医師の責任感やプロとしての意識がより高まるとともに中薬による治療の安全性も向上し、近年医療事故は減少しています。さらなる安全性の向上に向け、臨床試験などをしっかり行っていくことは今後も重要になります」。

 

市場の拡大に伴い中薬が手に入りやすくなっている一方、2012年にはインドネシア産の中薬の錠剤を服用した70歳代の女性が死亡するなどの事故が起きている。個人としても、専門の薬局や医師に相談するなどして、使用上の注意点を正しく理解することは、健康を守るうえでも必要になりそうだ。

中薬ビジネスあれこれ

シンガポールにはクリニック以外にも、お酒やヘアケアなど中薬に関連したさまざまなビジネスがある。ここではユニークなものを紹介したい。

 

1.中薬の処方に加え、お灸やカッピングセラピーも「Heritage TCM clinic」

シンガポールの中薬ブランド「Heritage」が展開するのが、オーチャードにある「Heritage TCM clinic」。訪れる人の体調に合わせ、約200種類の薬の中から最適なものを組み合わせて提供してくれるほか、お灸やカッピングセラピー(ガラス容器を皮膚に吸い付かせ、血流や循環機能を改善する)も行っている。中医師のタン先生によると、利用者は30~50代が多く、長時間のデスクワークによる腰や背中の痛みで困っている人が多いのだとか。また最近ではスマホを使う人が増えたこともあり、首の痛みについても相談が増えているという。「西洋薬を試したけれどあまり効果がなかったという理由で来院される方も多くいらっしゃいます」とタン先生。首の痛みの場合、高血圧が原因のことも多く、中薬も処方することで体のコンディションを総合的に整えてくれる。1~2週間程度と、効果が長続きするのも特徴という。

 

 

Heritage TCM clinic
304 Orchard Road, #05-43 Lucky Plaza, Lucky Plaza, 238863
Tel: 6836 0817
http://www.heritage.com.sg/clinic

 

2.薬膳カクテルを提供するバー「The Library」
MRTアウトラムパーク駅近くには、薬膳カクテルを楽しめるバー「The Library」がある。余仁生とのコラボレーションで2012年にオープンしたこの店、エントランスは一見薬局のようだが、一歩中に入るとおしゃれなバーになっており、5種類の薬膳カクテルを提供している。ジェネラルマネージャーのアダムさんによると、特に人気なのが米酢をベースにした「Rice & Shine」。酢の風味が効いた独特の味わいが特徴的な一品だ。今後も同店ではラインナップを増やしていく予定という。

 

The Library
47 Keong Saik Rd., 089151 Singapore
Tel: 6221 8338
https://www.facebook.com/thestudy49

 

3.ハーブを使った「漢方カラー」を展開する美容室「CLEO」
2012年にシンガポール店をオープンした、東京・南青山発の美容室「CLEO」では、ハーブを原料にしたヘアカラー「漢方カラー」を提供、日本人の顧客からも人気を集めているという。笠原正史ディレクターは「通常のカラー剤はアルカリ剤でジアミン(染料)というものが使われており、肌の弱い方はアルカリ剤でかぶれを起こすこともあります。漢方カラーはほとんどがハーブで作られており、ジアミンは通常の20分の1程度。染めるほど髪が健康になり、ハリ・コシが出ます」と説明する。シンガポールでは「裏メニュー」として提供しているこのメニュー、白髪が気になる、またはヘルシーオーガニック志向の方に人気があるのだとか。

 

 

CLEO
6 Eu Tong Street #04-89A / 92 The Central Singapore 059817
Tel: 6338 5250
https://www.facebook.com/cleohair.sg

Interview

中薬のベースになっているのが、中国の伝統的な医学である中医学。中医師の資格を持ち、シンガポールでKUNIKO TCM & HEALTHCAREを運営する島田久仁子さんに、シンガポールにおける中薬事情や正しい使い方などについて聞いた。

 

島田 久仁子さん シンガポール国家登録 中医師/鍼灸師

 

―シンガポールにおいて中薬はどれほど一般的なのでしょうか。また医療における中薬や中医学の重要性についてどうご覧になっていますか。

もともと中華系の家庭には、家族の健康状態に応じて鍋料理の出汁やスープに中薬を使うなど、生活の中に中薬を取り入れる知恵がありました。ただ近年では、自分で食事を作らない家庭が増えたせいか、こうした知恵も失われつつあるようにも思います。

 

一方では、シンガポールでも大規模な中医学の病院が増えてきており、西洋医学の足りない部分を中医学で補おうとするなど、東洋医学の良さが見直されてきているように思います。シンガポールでも以前に比べ、高血圧や糖尿病といった生活習慣病が深刻になってきており、症状が深刻化していない段階から食生活に中薬を取り入れると効果的です。

 

私は中医学の教室を主催しており、最近では薬剤師の資格を持った方も多く受講されるようになりました。病気が深刻なときは西洋医学、体力が回復してきたら中薬での治療に切り替えるなど、両方をうまく使い分けていこうという動きがあります。

 

―中医学では、どのような点に着目して医療行為を行っているのでしょうか。

中医学の根底には「医食同源」という考え方があります。西洋医学は病気になったときに治療するものですが、中医学の場合はより生活に密着しており、体力の強化や体質の改善などを通じて、病気になりにくい体をつくることに重点を置いていると言えます。心身はひとつであり、そのバランスが崩れると病気になってしまうという考え方です。

 

体がもともと持っている治癒能力が低下すると、ひとつの症状だけではなく体のいろいろなところに異常が出てきます。例えば、ドライアイを治すには肝臓のケアが大切ですが、肝臓の状態を良くすることで、その他の症状も改善します。また臓器は人間の感情と連動しており、ストレスが貯まると胃や腎臓、肝臓なども弱くなります。ひとつの症状だけに着目するのではなく、トータルで健康な体にしていこうというところも中医学の特徴と言えるでしょう。中薬もこうした観点から選ぶことが大事です。

 

西洋医学でもこうした考え方が認知されるようになってきており、心療内科も増えていますが、世間体などを気にして通いにくいという方もいらっしゃいます。その点、中医学で行っているカウンセリングは利用しやすいといえるのかもしれません。

 

―中薬を服用するにあたっての注意点について教えてください

知人が病気になったとき「この薬は良く効いたから」と、自分が過去に使った中薬を勧める人がいますが、それは間違った使い方です。例えば同じ便秘でも、原因は体の熱や冷え、またはエネルギー不足などさまざまで、その人の状態に合った薬を使わなければいけません。さらに同じ人でも体の状態は変わりますので、それに応じて使う薬も変えていく必要があります。

症状によって違う、適切な漢方薬

症状は同じでも原因やその人の性別・年齢などによって最適な漢方薬はさまざま。専門の薬局に相談することは大事だ。日本とは気候も異なるシンガポールで悩みがちな症状と、それに効く漢方薬および注意点について紹介したい。

 

<胃炎>
一般の人には…平胃片
胃の働きや水分の停滞を改善する効果があり、消化不良による胃もたれや下痢などに有効。体力が一般的な人を中心に広く使われている。

 

高齢者や慢性症状の人には…六君子片
胃腸が弱っている状態や、食欲がないとき、吐き気のあるときなどに効果があるとされる。体力の低い高齢者らの使用にも適している。

 

<便秘・下痢>
男女ともに有効…丹栀逍遥片
日本では「加味逍遙散」と呼ばれる。気分の落ち込みや冷え性、虚弱などにも効果があり、体が弱く疲れやすい人に向いている。

 

腸の動きが悪いとき、症状が重いときは…潤腸片
便を柔らかくし、便通を良くする。体が弱い人や高齢者にも適している。

 

お腹が張るときは…防風通聖散
体の熱を冷まし、水分の循環を良くする。便秘のほかむくみを改善する効果もある。体力のある人向けの薬なので、体の弱い人や胃腸の調子が悪い人は注意が必要。

 

<疲労>
胃が弱っているときは…補中益気湯
胃腸の働きを改善し、体力回復を助ける効果があり、代表的な漢方薬のひとつ。体が疲れやすいときや食欲がないとき、風邪のときなど、体力が低下しているときに有効。

 

肉体疲労には…六味地黄丸
疲労やめまい、耳鳴り、多尿、寝汗などの症状に有効。子供や高齢者を含め、体のほてりなど水分が不足している人に向いている。

 

寒気がするときは…腎気地黄丸
エネルギーをつくる力を高め、体を温める効果があり、体の冷えが気になる人に向いている。