シンガポールで信仰されている主な宗教を挙げると、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などがある。日本でも馴染みの深い仏教やキリスト教、近年の世界情勢で何かと話題に挙がるイスラム教についてはある程度知識を持った人は多いが、ヒンドゥー教については関わる機会が少なく、深くは知らないという人も多いのではないだろうか。今回はヒンドゥー教を知る上で大切な基礎知識について紹介する。
ヒンドゥー教の基礎知識
ヒンドゥー教はインドで一般的に浸透している宗教であり、世界に現存する宗教の中で最も古い。伝統的には「サナータナ・ダルマ(Sanatana Dharma、永遠の法)」といい、明確な時期は不明だが一説では紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけて編纂されたともいわれるインドの宗教文書「ヴェーダ」が進化した宗教と言われている。森羅万象のすべては宇宙の根本原理(=ブラフマン)から生まれたという認識がされており、そこから多くの宗派が派生した。宗教によって信仰する神や信条が異なるが、基本的な教えや目標には、大きく分けて下記の3つがある。
・ジュニャーナ(知恵・知識):知識を探求し、真実を知る
・バクティ(愛情・忠誠):祈りをささげ忠誠を誓い、解脱を得る
・カルマ(行為):行動することで、何かを得る
また、ヒンドゥー教では真の自我(=アートマン)がブラフマンと一体であることを体得するまでは何千回も生まれ変わると信じられている。俗なる精神から解放され無我の境地にたどり着くのが望ましい終わり方で、それを迎えるべく瞑想を行ったり、無償の行為を行ったりと、様々な祈願(サーダナ)を行うのである。
〈ヒンドゥー教の人口〉
現在はインド国外でもネパールやスリランカなどの南アジア、インドネシアやミャンマーなどの東南アジア、アメリカ、イギリスほか、オセアニア地域のフィジー、南アメリカのスリナムやフランス領ギアナ、東アフリカのモーリシャスなど世界各国で信仰する人が多く存在し、信徒は約10億人。キリスト教、イスラム教に次ぐ世界第3位の規模を誇る。
〈シンガポールにおけるヒンドゥー教〉
ヒンドゥー教がシンガポールに伝わったのは7世紀ごろ、シュリーヴィジャヤ王国時代に貿易など外部との交流によってもたらされたのが最初だといわれている。特に強い広がりをみせたのはイギリスによる植民地時代の1800年代。南インドから多数の労働者やその家族らが移住した影響でヒンドゥー教徒が増加し、1931年のシンガポールの人口の約5.5%を占めた。
シンガポール統計局の2015年一般世帯調査(※)によると、シンガポールにおける15歳以上の人口は約327万5,900人、うち仏教は約108万7,300人で全体の約33%、キリスト教は約61万6,100人(約19%)、イスラム教は約45万9,800人(約14%)、ヒンドゥー教は約16万2,500人(約5%)である。数値だけで見るとヒンドゥー教の割合は少なく感じるが、シンガポールには30以上ものヒンドゥー教寺院が存在したり、タイプ―サムなど街を賑わす行事も開催されたりと、シンガポール社会にしっかりと根付いた宗教となっている。
意外と勘違い?ヒンドゥー教を正しく理解しよう
〈その1〉
×神様の数が3億3,000万という多神教である
○「唯一至高の存在」が個々の神という形となって存在している
ヒンドゥー教徒は地域や集団などの所属によって、それぞれに合った神を崇拝していること、またヒンドゥー教の神として、創造神ブラフマー、繁栄神ヴィシュヌ、破壊神シヴァという三神一体の存在が知られていることから、つい多神教と思われがち。しかし根本には宇宙そのものが最高で唯一の存在であり、神はその中の構成要素でしかないという考えがある。そのため、ヒンドゥー教は時に単一神教、もしくは一神教と呼ばれることもある。
なお、ヒンドゥー教の寺院などを訪れると神の偶像が多数祀られているが、偶像は単に神をイメージしたものに過ぎず、神の偶像に語りかけ祈ることで、それを介して神に通じると考えているため、偶像崇拝であるという認識も正しくない。
〈その2〉
×ヒンドゥー教徒はベジタリアンである
○ほとんどの人が肉を食べる(ただし、牛肉以外)
すべての生命は存在する価値があるため不殺生はしないという信条のもと、ベジタリアンのヒンドゥー教徒は確かに存在するが、約70%の教徒はチキンやラム肉等を食べても良いという選択をとっている。しかしヒンドゥー教にとって牛は、ミルクという貴重な栄養源を供給してくれる存在であること、また神話にも登場する動物であるといった理由などから神聖なものとみなされており、一般的には牛肉は食べないとされている。豚肉も基本的には食べない人が多い。
〈その3〉
×社会問題ともいわれるカースト制度(階級社会)はヒンドゥー教の教えである
○現代に残る差別的なカースト制度は、長い歴史を通して社会に根付いてしまった制度
カースト制度は本来、人々を職業などで分類していた古代ヒンドゥー教の社会システムだったものが、時代を重ねてより厳格で差別的な社会的階級に変化していった。しかし現代のヒンドゥー教徒からは、階級の低い人は汚らわしいという風潮や、身分の異なる者同士の結婚は許されないなど、今に残る差別的な階級はヒンドゥー教として本来あるべき姿ではないとの声も上がっている。
〈その4〉
×女性は性差別を受けて屈従を強いられている
○女性は大切にされる存在である
女性は月経があり不浄であるなどと説くマヌ法典の存在、また身分違いの結婚を理由に女性が殺されるなど虐待のニュースが絶えないことから、女性は差別を受けているという印象が強い。しかし、ヒンドゥー教にはシヴァなど最高神の性力の象徴である女神シャクティ、芸術・学問の女神サラスヴァティー、美と幸運の女神ラクシュミーなどが一般的に崇拝されていることから、女性は常に大切にされるべきという考えが本来の姿である。
ヒンドゥー教徒と出会ったら
もしヒンドゥー教徒と初めて会う機会があったり、ビジネスシーンで交流したりする場合は、大きく2つのことを意識しておくとよい。
挨拶は「ナマステ」
ヒンディー語が最も多く話されているインドだが、両手を胸の前で合わせながら挨拶する「ナマステ」はサンスクリット語で、挨拶の言葉として広く使用されており、一般的に朝、昼、夜いつでも使える。「こんにちは」と訳されるが厳密には違い、「あなたの心の中の神に敬意を示す」「あなたと私は一つである」という意味が込められている。単に「ハロー」ではなく、「あなたと一つ」という気持ちを込めて挨拶してみよう。
ベジタリアン料理が無難
外見がインド系だからといってヒンドゥー教であるとは限らず、またヒンドゥー教といっても食習慣の異なる宗派がいくつも存在している。基本的に牛肉は食べないと考えてよいが、会食などを設けたい場合は事前に食べないものを聞いておくのがベスト。聞く機会がなかった場合は、ひとまずベジタリアン料理店を選んでおけば安心だ。ただし、ベジタリアンの中でも興奮剤として知られるニンニクや玉ねぎなどは避ける人もいるので、注意しよう。
シンガポールでヒンドゥー教を体感
シンガポールでもヒンドゥー教にまつわるイベントやスポットが複数存在する。ヒンドゥー教の基礎を理解して訪れれば、きっと新しい発見があるだろう。
〈祝日・イベント〉
◆ディーパバリ
毎年10月ごろ(今年は10月29日)に行われる祭りで、ヒンドゥー教徒にとっては1年で最も重要な行事となる。善の象徴クリシュナが悪の象徴ナラカスラを破り、その勝利を祝ってろうそくの明かりで迎えたことにちなんで「Festival of Lights (光の祭典)」とも呼ばれ、特に夜のリトルインディア(セラングーン通り)などはライトアップされて華やかになる。
◆タイプーサム
毎年1月~2月ごろ、インドの一部地域やマレーシアでも行われる祭り。若さや力の象徴であり悪を打ち破る神スブラマニアムに祈りを捧げるため体に針や串を刺して忠誠を誓い、スリ・スリニヴァサ・ペルマル寺院からスリ・タンダユタパニ寺院までの3キロを歩く。信者はこの時に神の化身となり、トランス状態で見た目ほど痛みも感じないという。
〈寺院〉
◆スリ・マリアマン寺院
チャイナタウンにある、1827年に完成したシンガポールで最も古いヒンドゥー教寺院。病気を治癒する女神マリアマンが祀られている。チャイナタウンの一角にあるが、19世紀ごろまでこの付近にはたくさんのインド人が住んでいた名残である。
住所:244 South Bridge Road, Singapore 058793
◆スリ・スリニヴァサ・ペルマル寺院
MRTファーラー・パーク駅近くにある、繁栄神ヴィシュヌを祀った寺院で、1978年に国の重要記念建築物として指定された。9層のゴープラム(石造の楼門)や、ヴィシュヌが地上に現れる際に変身するという10の化身(=アヴァターラ)の彫刻などが施されている。
住所:397 Serangoon Road, Singapore 218123
〈レストラン〉
◆アンナラクシュミ
北・南インドの伝統的なベジタリアン料理店。好みのものを好きなだけ食べて、自分の気持ち分の金額を払うというシステムを導入。金~日曜・祝日はビュッフェ形式、それ以外はアラカルトとして注文。
www.annalakshmi.com.sg
◆コマラ・ビラス
1947年に設立された、北・南インドスタイルのベジタリアン料理店。ライスやインド風パンのチャパティーメニューが中心。2軒先には穀物や果物などを混ぜて作ったハルヴァなどのお菓子を提供する系列店がある。
http://komalavilas.com.sg
〈施設〉
◆ヒンドゥー・センター
シンガポールのヒンドゥー教徒によるNGO団体が運営するカルチャーセンター。ヒンドゥー教の基礎クラスだけでなく、サンスクリット語、ヴェーダ占星術、ヴェーダ・ヨガについてなども学べるクラスを開講している。授業はすべて英語で行われ、日本人の受講生も歓迎している。