AsiaX

[第4回]日本と違う、シンガポールの契約書

日常生活は数えきれない程の契約の連続です。バスやMRTに乗車する際の運送契約、ホーカーセンターで食事をする際の飲食物供給契約、スーパーで買い物をする際の生活用品の売買契約、自宅のコンドミニアムに関する賃貸借契約と、枚挙に暇がありません。ビジネスの場面では、業界を問わず取引の数だけ契約が存在すると言っても過言ではありません。こうした契約の中でも、特に重要な取り決めについては契約書を作成するのが一般的であり、契約書の作成・精査といった契約書関連業務は、裁判等の紛争解決業務と並ぶ弁護士の重要な業務の1つとなっています。では、シンガポールの契約と日本の契約とでは何が異なるのでしょうか。

 

1.シンガポールには「契約法」という法律がない?
日本では、国会の制定法が法律であり、過去の裁判所の判決(判例)は、一定の範囲で下級審の裁判所を拘束するものの、判例自体が法律であるとは考えられていません(=シビル・ロー)。これに対してシンガポールでは、かつて植民地支配をしていたイギリスの影響を受け、裁判所のこれまでの判例の集積が法律であると考えられています(=コモン・ロー)。国会の制定法も法律ではありますが、判例の集積が不十分であり法規範が整備されていない分野を補う役割等を担う側面があります。そのため、日本において契約に関する一般的なルールは、いわゆる「六法」の1つである民法に条文の形で規定されていますが、シンガポールには、契約に関する一般的なルールを定めた制定法はありません。契約法の教科書は、条文やその解釈論の代わりに契約に関する重要な法原則を判示した判例を項目毎に掲載しており、法体系の違いが如実に現れています。

 

2.契約に対する考え方の違い
日本では、契約=信頼関係の構築と考える傾向にあり、契約の締結段階にあれやこれやと詳細に要求を突きつけるのは、この信頼関係を傷つけるとして敬遠される傾向があるように思われます。そのため日本の契約書は、一般的にシンプルで分量が少なく、内容も抽象的なものが多く見られます。これに対しシンガポールの契約書は、あらゆる可能性を想定し、いかなる場合においても紛争を予防できるように規定すべきという発想があるため、契約書の分量は多く、内容も詳細かつ網羅的なものとなるのが一般的です。

3.契約に関するルールや規定内容の違い
①契約の成立条件の違い
日本では、当事者が特定の権利義務について合意することにより契約が成立しますが、シンガポールではこれに加え、当事者が互いに対価的な負担を負うことが契約の成立に必要となります(=約因〈Consideration〉)。そのため、一方が他方に対して、一方的に義務を負担する合意(贈与等)は原則として法的拘束力のある契約とは認められません。法体系の違いにより契約に関するルールが異なる代表例の1つです。
②契約書の解釈の違い
契約に対する考え方の違いは、契約書の文言解釈にも違いとなって現れています。日本では、契約書に明確に規定されていなくとも、規定の目的や趣旨に照らし、その意味を広く解釈する場合があります。この点、シンガポールの裁判所は、契約書の文言はできる限り文字通りに解釈し、その意味内容を広げることについては限定的に考えています。そのためシンガポールでは広い解釈を期待せず、契約書の文言を具体的かつ詳細に記載すべきといえます。

 

③契約書外の合意の取り扱い方
日本では「契約書には書いていないけれど、社長同士で約束しているから大丈夫」といった話を聞くことがあります。シンガポールでは、契約書により紛争予防に万全を期すという考え方により、最終的に契約書に記載されなかった合意等を、契約書の締結後になって主張することは原則としてできません(=口頭証拠排除原則〈Parol Evidence Rule〉)。日本でも「完全合意条項」という規定を契約書に盛り込むことが増えており、同様の考え方が根付いてきていますが、シンガポールでは合意した内容を契約書に全て盛り込むよう注意しなければなりません。

 

④誠実協議?
日本の契約書では、「誠実協議条項」という規定がよく用いられます。これは、万が一トラブルが起きた場合や取り決めていなかった事態が生じた場合、契約当事者間で誠実に協議して解決しましょう、という規定です。契約相手を信頼する日本人的な規定とよく言われますが、シンガポールの契約書では将来の紛争予防に役立つものではないため、ほとんど見ることはありません。

 

上記はシンガポールと日本の契約の違いに関するほんの一例です。こうしてみると法体系や、契約に対する考え方、また契約に関するルールや規定内容が日本とは違うという点を理解しておくことが、シンガポールにおいてよりよい契約関係を構築するための第一歩と言えそうです。