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「このあたりの者でござる」 ―狂言の英智をジャンルや国境を越えて発信

狂言師野村萬斎(のむら まんさい)

「シンガポール国際芸術祭(Singapore International Festival of Arts)2014」の注目イベントとして8月28、29日、狂言師で人間国宝の野村万作と野村萬斎の両氏が、今年7月に再オープンしたばかりのビクトリアコンサートホール&シアターで狂言の舞台を披露した。演目は狂言『棒縛』と奉納のための神事を演じる『三番叟(さんばそう)』の二本立て。劇場にはこの日のために本格的な檜の能舞台が設えられ、両日満席の公演となり好評を博した。これまでニューヨークやパリなど欧米でも数多く公演の機会を持ち、日本を代表する狂言師の1人として伝統芸能を世界に披露している野村萬斎氏に話を聞いた。

―来星公演が実現したご縁について教えてください。

今回の国際芸術祭の芸術監督を務める(俳優で演出家の)オン・ケンセンさんの招きです。昨年、今回と同じ写真家の杉本博さんが舞台美術を担当した『三番叟』をニューヨークのグッゲンハイム美術館で上演した際にお会いしたり、日・ASEAN友好協力40周年記念のシンポジウムで同じくパネラーを務めたりとご縁がありました。それがきっかけとなり、もともと彼は能の方々とも交流があって日本文化の造詣も深いので、話はトントンと進みました。

―海外で狂言を伝えていくことの意義とは何でしょうか。

ひとつは、お互いの文化を意識して、同じである部分と違う部分を認識すること。狂言の演劇性には、人間は生きているとその日常に滑稽な事がある、人間はある意味で皆同じであるというメッセージ、また人間だけで生きているのではなく自然や動物と共存しているといった他者へのまなざしがある。神や自然といった人間以上の存在、森羅万象に対する畏怖があった中世の時代の考え方ですが、現代性と古典性みたいなことが両方バランスよく見られます。普遍的な思想ながら、表現方法は日本の古典に由来する訳で、その特殊性が面白くまた珍しく映る、ひいては日本人のアイデンティティを見る。つまり、共通性とアイデンティティの違いを目の当たりにするのです。それがある種、文化交流の意義。違うものばかりを押し付けることもないし、全く同じだったら見せる必要もないんです。

―例えば、具体的に狂言のどの辺りにそれが現れているのでしょうか。

狂言の演目で最初に発するセリフで「このあたりの者でござる」という言葉に尽きると思いますね。シンガポールに来ても「このあたりの者でござる」と言う。そのセリフの主語は、英語に訳せば「I」なんですが、我々からすれば「We」に近い。お客さんを含めて私たちはこの辺りの者ですよね、という共通理解から始まるという精神は、狂言がいつの時代のどこに暮らす人にも通ずる、普遍的なものを表現してきたことを示す言葉だからです。
能は亡霊が出て来ますが、狂言は常に過去形ではなくて、生きている人間を映す鏡。主人の留守中に盗み酒をするという演目『棒縛』では、道徳的には悪いに決まってるんだけど、ちょっと飲みたい、昼から酒を飲めば気持ちいいよな、という理性とは違う部分にスポットを当てて、皆さんの代りにやってあげるというかね、そういう人間共通のカタルシスに面白みを感じてくれたらと思います。もちろん単に滑稽なだけでなく、芸に裏打ちされた力の抜けた笑い、それは高等技術だと自分は思いますが、そういうところを見て欲しい。

―『三番叟』は奉納のための神事、外国の方には特に理解が難しいのでは。

神事ですからセリフにもほとんど意味はなく、(観客は)ただ感じてくれればいい。そこにある躍動感というのは、いわばお祭りと一緒。カーニバル、サンバなどのようにリズムに身を任せて気持ちよくなってくれれば。荘重な趣きの中、神への儀式という重みを持って始まるのですが、見ているうちに一種のエクスタシーというか、高みに到達するのが祭りごとの気持ちよさで、悦に入るとかピピッとくる感覚が日常から離れさせてくれる、それが神事でもあります。
身を任せるうちに眠くなるのも一種生理的なところに訴えているから。何もわかりませんでした、という方もいますが、私に言わせれば逆に何をわかろうとしたんですかと(笑)。

―今回のシンガポール公演で印象に残ったことは。

オン・ケンセンさんが父の『三番叟』を見て非常に喜んでくれたのがうれしかった。私が『三番叟』を演じる時は技の切れや肉体的な躍動感で見せようと思いますが、そういう若さだけではない芸の境地を見せるというのが伝統芸能のアイデンティティなんですね。つまり、若者ほどは肉体の切れはなくとも技の充実感、大きな世界観を持っているという意味ではまさしく世阿弥がいう「老木(おいき)の花」、苔むした古木に1、2輪梅の花などが咲く、それが最上位の幽玄であるというのが世阿弥の境地なわけです。それを日本の美学とすれば、父の『三番叟』がまさしくそのものとオンさんが言いました。私の(演技)は、もう少し盛りで花の数も多いよとなれば、外国の方にはわかりやすいかもしれませんが、凝縮感や世界観はあそこまで出せない。両者の舞台を見て頂ければ、芸とは何ぞやということがわかって頂けるでしょう。14歳の私の息子もあと5年もすれば『三番叟』をやりますよ。その未熟であろうが青いくらいの若き桜、そして壮年期の桜、老境に入った花をそれぞれ見る、伝統芸能の楽しみ方のひとつです。

―狂言のみに留まらず、シェイクスピアの舞台を演じたり映画出演をされたりと活動の幅が広いです。

狂言自体の表現はとても深いものですが、狂言との共通部分を超えているものが他のジャンルにはありますからね。時に新しく実験的なジャンルにも挑戦しなければ。また海外に出て自分に揺さぶりをかけることで自分の存在を知る。時に人は旅行すべきだ、同じ組織の中で煮詰まっているよりは外へ出ろともいいますが、同じコミュニティから離れることで考え方が変わることがありますよね。人間として、表現者として、バランス感覚を持って生きていく上である種必要不可欠なことではないかと私は思います。外に出るときも安売りするのではなくて、狂言師としてのプライドと責任感を持ちつつ、同時にビギナー、挑戦者として教えを乞うつもりで、そういう気持ちでやっています。もちろん、その地に留まって何かを極めていくという方もいるわけで、その人のスタイルがあっていい。
(私が出演した)映画『陰陽師』を知る方がシンガポールに案外多かったですね。そんなきっかけでも構わないので、映像や子供番組などを通して、狂言は狂言のためのものではなく、人間そして社会のためのものである、そこをアピールしたい。能・狂言は2001年に世界遺産(無形文化遺産)となっているだけあって、深い考え方やテクニックがある。狂言にある英智をいろんな意味で活用して発信していく、それが私の使命になっていると思う。ですから、それが海外での文化交流だったり、現代劇をつくること、映像に出ること、教育の場などで発揮できればと思います。

―今後の主な活動について教えてください

来年は中島敦原作の『山月記・名人伝』を作り直す予定で、そんな新作を持って来星したい。漢字や漢文の要素が多く、シンガポールは華人も多いですから、共感を持ってもらえるかと思います。また、2020年開催の東京オリンピックに向けて、事前の文化プログラムにアイディアを提供するという役目を負っておりまして、いろいろ具体的なプログラムを考えていかなければいけないなと。

―シンガポール在住の方へのメッセージをお願いします。

(人間は)皆同じ、一方で日本人としてのアイデンティティを持って楽しく生きて頂きたい。