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「部下育成」は業績を上げることだけが目的ではない

最近私はいろいろな会社にお伺いをしていて、非常に寂しいと感じることがあります。それは、部下を育てるという行為を、業績を上げる(自分の責任を果たす)ことの役割と捉えている方がいらっしゃるということです。

 

スペースも限られている関係上詳細なことはここでお話しをできませんので、私の『上司学』について書いている著書『だから、部下がついてこない!』や『あたりまえだけどなかなかできない上司のルール』を読んでいただいているという前提でお話をしてしまいますが、部下を育成するという行為は、社会にたくさんの優秀な人材を輩出していく連鎖を引き起こす、世直し行為です。このことから考えていただければおわかりになるように、業績を上げるという責任を果たすだけの役割では決してありません。

 

部下を持つということは、その人間の人生にも責任を持つということです。そのぐらいの覚悟がない人が部下を持ってしまったら、あまりにもその部下がかわいそうでなりません。上司はあくまで「部下の幸せの支援者」であり、「部下の人生の支援者」であるということを忘れないでください。

 

先日『あたりまえだけどなかなかできない上司のルール』をお読みいただいた方から、「……『私が上司でよかった』と言われるような、そんな上司になりたいと思います。また、部下にとっての師匠と思われるような人間になりたいです。将来、部下が同じような立場になったとき、『昔の上司だった私ならどうするだろう』と問題解決の手段として師と仰がれるような人間です。そういうことが受け継がれていくことが、会社の発展にもつながると思います」という感想をいただきました。

 

もちろん、自らが魅力的な素晴らしい人間になることが何よりも大切ですが、決して自分が必要な存在になってはいけません。上司の究極の仕事は、自立した部下、自立した組織形成です。ですから、部下に依存させてはいけませんが、「この人の部下でよかった」「この人の部下でいたからこそ自分が成長できた」と言われるような上司が世の中に増えたら、もっと社会もよくなると思いませんか?