華人の多いシンガポールでは、旧暦の新年であるチャイニーズニューイヤー、つまり旧正月が1年を通して最も大事な行事の一つ。街中が賑やかに旧正月の支度をする様子は誰しもが目にする風物詩だ。
今年、例年以上に注目を集めているのが、マレー半島を中心に暮らす華やかなりし文化をもつ「プラナカン」達。
先日最終回の放映で33.8%の視聴率を記録したメディアコープ制作のチャネル8のテレビドラマ『リトル・ニョニャ』の大ヒットで一気に火がついた。ドラマでは、忠実に再現された20世紀初頭のプラナカンの豪奢な生活ぶりを背景に、逆境に耐える薄幸の主人公が登場。今や、プラナカンで無くとも、鮮やかな色彩のプラナカン陶器を買い求めたり、旧正月の晴れ着に、カバヤとサロンのニョニャ(プラナカンの女性)ファッションを選んでいるという。少数派でありながら、一世を風靡し、歴史の中で形を変えながら現在に生きているプラナカンを旧正月にちなんでご紹介しよう。
ババ・タンとその家族(1912年)
男性や子供達は洋装、女性達はバジュパンジャンという長めの上着にサロンを纏うという典型的なニョニャのスタイル。(写真提供:ブリジット・トレーシー・タン)
プラナカン(Peranakan)とは、「その土地で生まれた子」という意味で、「商人としてマレー半島を行き来していた最も古い中国系移民の子孫達」である。
古い文献では、15世紀にマラッカに中国人がいたという記述がある。彼らの多くは、季節風に乗って中国からやって来た商人で、風向きが変わるまでの半年をこの地で暮らし、現地の女性(マレー系、インドネシア系など)との間に家族をもうけていった。
海峡華人ともよばれるマレー半島生まれの中国系移民の子孫らは、マレー半島にポルトガルやイギリスの植民地か形成されていく過程で、貿易や船舶のビジネスで財をなし、自ら男性をババ(Baba)、その妻や女性の家族をニョニャ(Nonya)と呼んだ。
ババやニョニャはプラナカン同士の婚姻に拘り、独自の社会を作り上げていった。
イギリスの植民地となった19世紀以降、中国から大量にやって来たシンケイと言われる労働者のグループとは異なる。
プラナカン達は、早くから英語やマレー語も堪能だったため、イギリス植民地政府の役人に登用され、ある種特権階級的な立場を活かして経済界でも名を馳せ、20世紀初頭をピークに華やかなプラナカン文化を紡ぎ出した。
一軒家のバンガローや瀟酒なショップハウスに暮らし、中国人としての伝統を重んじながらもマレーやヨーロッパの生活文化を融合させた独特の生活様式は、現代において失われつつあるが、彼らの暮らしを今に伝える博物館や文化財に指定されている建物を訪れることで垣間みることができる。
シンガポールでも歴史の古いアルメニアンストリートにあるプラナカン博物館は、福建人達が子弟のために建てた旧道南小学校の建物にある。アジア文明博物館(ACM)の分館として位置づけられ、2008年4月にオープンした。
プラナカンの歴史、その特徴が存分に現れる婚礼衣裳、家具や陶磁器、金にダイヤモンドをあしらったプラナカンジュエリー、ニョニャ達が作ったビーズ刺繍など、豪華で美しいコレクションは一見の価値あり。今後、貴重なプラナカンジュエリーなどの特別展なども随時開催される予定。
ニールロードにあるシンガポール国立大学博物館の分館「ババハウス」は、貿易事業で財をなしたプラナカンのウィー一族が1860年代から所有していたショップハウスで、プラナカンの生活様式や慣習を今につたえる貴重な文化財として2008年9月より一般公開されている。ピントゥ・パガーというスィングドアに迎えられ、その先に一歩踏み入るとタイムスリップしたようなプラナカンの世界が広がる。典型的な間口が狭く、奥行きの長い造りで、胡蝶貝をはめ込んだ中国式の黒檀の家具や祭壇、ビクトリア調の家具、床のタイルや家屋の壁には、ヨーロッパから輸入した花柄やリボンのモチーフのものが使われている。
2階には中国様式のベッドのある部屋、ヨーロピアンな天蓋付きベッドがある寝室、まさに東西の粋を集めたライフスタイルが興味深い。見学には必ず事前予約が必要。日本語によるガイドツアーも有り。
プラナカンの家に生まれ育ったババの一人として、プラナカン博物館のキュレーターであることを誇りに思っています、とランデルさんは笑顔で言う。
「海外からの観光客以上に、最近では多くのシンガポール人がプラナカンに注目しています。年配の世代は、自分がプラナカンでなくとも、あらゆる文化が融合したプラナカンの暮らしぶりを見ると、馴染みを覚え懐かしく思える要素をどこかに見いだしており、また若い世代で特にデザインを学ぶ学生達など、プラナカン独特の色合いやデザインに興味を持っています。劇場でプラナカンにちなんだ芝居が上演さりたり、テレビドラマになったりと、閉鎖的だったプラナカンの文化が大衆に開かれ、シンガポール人の中に自らの伝統文化の一つであるという意識が芽生え始めているようです」という。
目を奪われるようなパステル基調の鮮やかな色合いの陶磁器やビーズ刺繍はもとより、そのデザインやダイニングテーブルのセッティングなどを見てもとにかく賑やかな装飾を好む事は見て取れる。「プラナカンを一言で言うと、『penuh(満)』ですね。」とランデルさんはいう。とにかく賑やかに、多ければ多い程、幸せを呼ぶという発想なのだそう。
ランデルさんは博物館の中で特に気に入っている展示の一つとして、博物館に再現されたプラナカンの台所を挙げた。「例えば、中国式、マレー式、インド式の3種の石でできたすり鉢があり、ニョニャ達がそれぞれの良いところをいかに取り入れていたのかが良くわかる。それを独自の調理法で使用し、ユニークなニョニャ料理を作り上げたのです」と言う。「プラナカンの特徴であるカラフルで華やかなものに目が行きがちですが、生活習慣全体を見て彼らの気質を感じるという有機的な見方も是非して欲しい。その目に見えない部分にこそ、文化を象徴する興味深いものがあるからです」とつけ加えた。
ランデルさんは、この世代には珍しく、プラナカンの言語であるババマレー語を流暢に話す。「私は幸いにも大家族の台所でニョニャ達がババマレー語を話す環境で育ちました。現代生活でそんな環境が得難くなったことに比例して、ババマレー語を話す人口は減る一方ですね。」と言う。結婚相手も個人の自由で選ぶ時代で、12日間にも及んだ伝統的な婚礼儀式やババマレー語など、現代生活に合わない慣習は確かに淘汰されて行く。その反面で、カバヤやサロンなどの衣裳や、プラナカン料理など、現代風にアレンジをされながらも受け継がれて行く。文化は決して消滅することはなく、常に形を変えて継承されていくものだというランドルさんの言葉には説得力がある。
旧正月を控え、何か特別なことは?と尋ねると、「今は大そうじですね。家中の家具を磨くのはもちろん、キャビネットの中にある食器や陶器を全て取り出して、洗ったり、欠けているものを処分したりすることを日々手伝わされています。」という。本来家事はニョニャの仕事では、と問うと「現代のババですからね、男女平等です」と笑った。
旧正月の飾り付けをした祭壇。手前のテーブルクロスはヨーロッパのカーペット!
祖先の祭壇に供えられた料理
写真:丹保美紀
旧正月を祝うことは、先祖崇拝を重んじるプラナカン達にとっても大事な行事となる。旧正月に家族皆が集まる意味は、家に先祖の霊を招き入れ、食事を供するためだという。ニョニャ達が集まり、お供えの料理を作って祭壇前に並べる。その後トゥパンジャンといわれる長テーブルにも料理が並べられ、家族で食事をするが、なるべく賑やかに、大声で笑いながら過ごすのが習わしだという。新年が明け、親戚や友人を訪れる際、みかんだけではなく、以前はその家庭で自慢のお手製のケーキやお菓子を交換し合う習慣もあったという。
さくさくの香ばしいカップに切り干し大根風の煮込みが入った一品。その煮込みに使われるターニップ(甘いかぶ)をタケノコに見立ててスン(笋)と呼び、全てが順調に行くという「順利」の順(スン)と同じ音を持つ縁起物として正月に食べる。(レシピ提供:Kim Choo's Kitchen)
写真:旧正月にお馴染みの品々。Babi Pong Teh(豚バラ肉の煮込み、上)、Ikan Assam Manis(ニョニャ風フィッシュヘッドカレー、下)
プラナカンに縁のある店が軒を並べるイーストコーストロード沿いのショップハウスに、話題のプラナカンレストラン「Kim Choo's Kitchen」の本店がある。1945年に中華粽(ちまき)の店として始まり、ニョニャスイーツの販売、そして2003年からレストラン、後にプラナカンのファッションや小物を扱うブティックも始めた。同じショップハウスの中に全てが揃い、粽作りの様子が見学できたり、普段使いの小物が手に取れて、訪れる人は目にも口にも美味しいプラナカン体験をすることができる。
レストランを切り盛りする若きババで経営者のデズモンドさんは、日本に留学経験もあり、帰国後に祖母のレシピをメニューに仕立ててレストランを始めた。ババである叔父、プラナカンの家庭の厨房で長く勤めていたという潮州人のシェフの二人が台所で腕をふるい、素材にもこだわった品々は、世代を超えて愛される本格的なニョニャ料理だ。
109/111 East Coast Road, Singapore 428800/01
Tel:6741-2125
65 Airport Boulevard Singapore Changi Airport Terminal3, Singapore 819663
Departure/Transit Lounge North Terminal3 Mezzanine
Tel:6247-5580
著者:イワサキチエ、丹保美紀
出版:産業編集センター
(ISBN: 978-4-86311-002-1)
プラナカンのその歴史、文化はとても奥深い。その膨大な情報を噛み砕いてA5サイズの本にすっぽりおさめ、プラナカンの粋を存分に伝えてくれる美しい写真で彩られた良書。
英語の文献も少なく、外からでは限られた情報しか得られない中、著者の二人は、プラナカンの足あとを辿るべく、プラナカンに縁のあるマレー半島の都市を自ら訪れ、今を生きるプラナカンの社会に飛び込んで情報収集や写真撮影を行った。
「華やかな中にも、プラナカンは『壁の穴の文化』と言われる程、どちらかというと特権階級的で閉鎖的なところも多いんですよ」いう著者の丹保さん。何度も足を運んだ後、顔見知りになって初めてそっと教えてもらえたことも多々あったという。
丹保さんとプラナカンとの出会いは、ニョニャ料理。モスクワでの留学を経てパートナーとシンガポールにやって来た丹保さんが最初に感動したものだったそう。「中華料理に使われる食材、豚肉などをマレー料理にあわせる新鮮さに驚きました。マレー料理と同じような物でも、中国人のマメさと器用さを受け継いでいる分、味わいが深く、美味でもあって」と語る。そこから知れば知る程奥深いプラナカンの世界に引き込まれていったと言う。
現在、フリーランスでコーディネーターやライターとして活躍中の丹保さんは、シンガポール・プラナカン協会の会員でもある。今後もユニークな視点でプラナカン事情を発信してくれるだろう。
プラナカン通の丹保さんおすすめの旧正月のニョニャ菓子をご紹介しよう。写真は、丹保さんとイワサキさんがよく通う中華菓子老舗の「大同餅家」のもの。
ハチミツやスパイスと煮込んだパイナップルジャムが、イギリスのショートブレッド風の生地とマッチした焼き菓子。ユーラシアンの人が広めたのだとか。花形の生地にジャムを丸く載せてあるものを多く目にするが、写真の大同餅家のものは、ジャムの鮮度を保つためにすっぽりと生地で包み込んでいる。パイナップル(黄梨)が縁起物として重宝されるのは、幸運を呼ぶという意味の「旺来」の「旺」の字の発音が「黄」と同じだからだそう。
ブランダとはオランダのことで、オランダの焼き菓子ゴーフルに由来があり、それにココナッツ風味をきかせたもので、別名ラブレター。そのロマンチックなネーミングは、薄く焼き上げてくるりと巻いた形がラブレターに似ている、あるいは、その筒の中に手紙を忍ばせて相手に渡した、などと言われている。
ココナツ風味の卵ボーロ、といった口溶けのよい焼き菓子。ココナッツ、葛粉、サゴ粉などを練り合わせて。正月になると縁起物の形に焼き上げられる。ちなみに、バンキッは「萬吉」と漢字で書き、幸運にたくさん恵まれますようにという意味がある。
(参照:『マレー半島 美しきプラナカンの世界』)
35 Mosque Street Singapore 059513
Tel:6223-2905
営業時間:月~土曜日 8:30〜18:30
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