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2017年9月29日

ゲイラン

カタカナで「ゲイラン」とインターネット検索してみる。出てくる日本語記事は、歓楽街に関するものばかり。しかしシンガポール人に尋ねれば、美味しい店がたくさんあるエリアなのだと言う。1920年代に建てられたショップハウスが軒を連ね、下町風情が残る場所。この景観を守りたい、空気感が好き、という理由で、近年、若年層が店やギャラリーを構える動きを見せる同地区を歩いてみた。

 

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ゲイランの歴史は古い。が、決して最初から歓楽街だったわけではない。19世紀初頭の地形図に、その名はすでに存在していたという。「geylang」とは一説ではマレー語の「geylanggan=捻る、つぶれる」に語源があるとされる。というのも一帯にはココナッツ農園が多く、マレー系民族が生活していたことから、彼らがカレーを作る際にココナッツの実を取り出し、ミルクを抽出する過程の様子からきているのでは、と考えられているのだとか。マレー半島の地名は植物に由来するものが多く、「gelang=食用蔓性植物」に由来するという説も。つまり、一帯は農地だった。

 

トーマス・ラッフルズが上陸して英国統治下に入った1819年以降、ゲイラン・リバーは貿易用の水路となり、川沿いに暮らしていたマレー系民族は島の内部に住まいを移さざるをえなくなる。貿易活性化に伴って産業が急速に発展し、労働力として中華系、インド系民族の流入も増え、一帯は農園から自動車の修理工場や造船のための木材供給所などへと変わっていった。マレー系、中華系、インド系と多数の民族が集まるようになり、そう広くないエリア内にもかかわらず、中国式寺院やモスクなど異なる宗派の宗教寺院が集中的に建てられ、現在もその姿を保っていることは興味深い。ゲイラン・ロード沿いでひと際目立つマスジッド・カディジャ(写真❶)も、その1つ。1840年代から約100年の間に増えた移民がローカルの慣習に馴染めるようにと、同エリアにはショップハウスが建築された。維持していくことが困難で、徐々に姿を消しているが、Lorong24Aには通りの両面に立派なショップハウスを今なお見ることができる。

 

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❶マスジッド・カディジャ

多民族が居住していたといっても、彼らはゲイラン・リバーを境に東西に分かれて暮らしていた。東側の中心は、マレー系民族。それを証明するように、エリア東部のゲイラン・セライ・マーケット・アンド・フードセンター(写真❷)には現在もマレー系屋台が多く、彼らのコミュニティ広場にもなっている。ちなみにこの建物はマレーシアの高床式建築にちなんだ、カンポン式。通風のために設けられた上部の透かしが、建物内から見るととても美しい。

 

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❷ゲイラン・セライ・マーケット・アンド・フードセンター

 

一方、西側を拠点にしたのは中華系。こちらには1930年にウェンブリー・シネマという劇場が創設されたり、1936年にハッピー・ワールド・アミューズメント・パーク(のちのゲイワールド)が造られたりと、エンターテインメント地区として名を馳せるようになった。前者は1939年にフォーマー・クイーンズ・シアター(写真❸)へと名を改めており、現在は劇場としては機能していないものの、アール・デコ建築としてファサードは当時の姿が残されている。

 

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❸フォーマー・クイーンズ・シアター
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