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2017年4月7日

チャイナタウン

19世紀の中華系移民が形成

シンガポールには、すでに14世紀から中華系移民のコミュニティがあったとされているが、チャイナタウンとしての歴史の始まりは19世紀にまで遡る。シンガポールを創設したトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が1819年、島を統治しやすいよう、ヨーロッパ系や中華系など民族ごとに居住区画を分けることを決めたのが、チャイナタウンとしての歴史の始まりだ。

 

チャイナタウンの基礎を築いたのは、中国の福建省などから船でやってきた中華系の移民。19世紀半ばのチャイナタウンにはアヘン中毒の住民が多くいるなどクリーンなイメージとは程遠かった。また当時の中華系移民の多くは貧しく、サゴ・レーン付近には1960年代頃まで、貧しい人たちが最期を迎えるためのホスピス、いわゆる「死の家」があったという。さらにサゴストリートなどには、1930年代にかけて「からゆきさん」と呼ばれる日本人女性がいる売春宿・娼館があり、シンガポールにおける日本人の歴史の一端にも触れられる。

 

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写真提供:チャイナタウン・ヘリテージセンター

チャイナタウンの歴史を伝える「チャイナタウン・ヘリテージセンター」は、1950年代のショップハウスの内部を再現しており、当時の華人がどのような生活をしていたのかを知ることができる。2階の展示スペースには多くの部屋が並び、狭い部屋で大人数の家族が暮らしていたことが分かる。こうしたところからも、当時の暮らしの厳しさが伺える。

 

その後、シンガポールの華人組織である「Clan Association」が、チャイナタウンにおける生活水準の向上に向け、無償の医療・教育活動などを行うようになり、その発展の礎を築いていった。

 

古いショップハウスが多く残る

シンガポールの発展とともに周辺エリアを含め、チャイナタウンも大きく変わっていく。人口の増加に伴い、チャイナタウンの外に移り住む華人も増えていったという。その後1970年代頃からHDBの建設も進み居住スペースが増えていった。

 

一方では、シンガポール都市再開発庁(URA)の方針で、文化的価値のある古い建物を保存するため、古いショップハウスが多く残されているのも特徴だ。チャイナタウン・ヘリテージセンターでガイドを務めるクリントンさんは「新しいビルの建設が進む一方で古い建物も残り、それらが共存しているところは、シンガポールのチャイナタウンの魅力のひとつです」と話す。

 

新たなMRTの駅を建設中、交通の利便性はさらに向上

さらにシンガポールでは、オーチャードやマリーナベイを経由し、東部のスンガイ・べドックと北部のウッドランズ・ノースをつなぐ「トムソン・イーストコースト線」の建設が進められており、チャイナタウン南部にマックスウェル駅が新たに建設される予定だ。シンガポールでは6番目となるこの路線、完工は2024年を予定しており、開通により交通の利便性もこれまで以上に高まると予想される。

 

チャイナタウンのおすすめスポット
隠れた名所、プラナカン文化を再現した「Baba House」

20世紀前半のシンガポールのプラナカン文化を再現した、隠れたチャイナタウンの名所が、街の外れにある「BabaHouse」だ。

 

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チャイナタウン中心部から50階建ての超高層型HDBである「ピナクル」を越えて少し歩くと、目の前にその青い建物が現れる。2008年にオープンしたこのギャラリーは、当時のリビングルームやベッドルームなどを再現しており、建物を保有していた裕福な中華系プラナカンの生活の様子を知ることができる。シンガポール国立大学が管理しているこの建物、入場料は無料だが保存状態を良好に保つため見学するには予約が必要。シティホール近くにあるプラナカン博物館とはまた違った角度からプラナカン文化に触れることができるだろう。

予約用電話番号:(65)6227-5731 Eメール:babahouse@nus.edu.sg
詳細はこちらから http://cfa.nus.edu.sg/visit/nus-baba-house
157 NEIL ROAD SINGAPORE 088883

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.320(2017年4月1日発行)」に掲載されたものです。写真提供:チャイナタウン・ヘリテージセンター

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