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藤堂のシンガポール建築考

2015年7月6日

メタボリック・シンガポール ~シンガポールにおけるメタボリズム運動~

 1960年代のシンガポールは、建築家クリストファー・アレグザンダーの言葉を引用すれば「われわれは世界を、小さなガラスとコンクリートの箱にだけ人が住んでいるような所にしてしまうのではないか」と、警笛を鳴らしたような状態に陥っていた。つまりそれは、モダニズム建築の終着点であった。

 

シンガポールにおける、モダニズム建築の限界

 本来モダンとは、モード、すなわち雛型を量産する事である。建築においては「住むための機械」と定義され、黎明期に「住む」に重点が置かれていたのがモダニズムであった。しかし、戦後は世界的な住居不足となり、人の生活を度外視した「機械」としての量産に重点は移行していった。シンガポールではそれが顕著に表れた。生活の細部への配慮に欠けたHDB団地群が、白紙の大地を埋めていく。その様子は生活習慣をとみに変えたために患った、都市の新陳代謝異常とも言える。

 

建築界の日本人パイオニアたち

 同じ頃、日本では若き建築家たちが、生命の謝に学び、社会の変化や人口の増加に併せて有機的に成長する都市や建築の在り方を示した「メタボリズム/1960―都市への提案」を発表した。非白人により世界規模に波及した、初の建築論とも言われている。それはモダニズムの限界に対する批判であり、建築の新しい指針でもあった。この時のメンバーに丹下健三、黒川紀章、槇文彦らがいる。彼らのビジョンは、モダニズムの限界に達しつつあったシンガポールで結実する。
 
 丹下健三はメタボリズム運動の仕掛人のような人物で、シンガポールとは早い時期から繋がりを持っていた。1986年に完成した「南洋理工大学(NTU)」は、東京の都市開発で提案したメタボリズムの設計理念を建築規模で結実させた作品だ。平面を観ると分かりやすい。建物の中心に脊髄のような主軸が走っている。そこからウイングがあばらのように両側に伸びていく設計となっている。同年に設計された、ラッフルズ・プレイスにある高層ビル「ピッカリング・オペレーションズ・コンプレックス」も、コア(建築物の機能の中核となる階段やエレベーターなどを縦にまとめたもの)が四端に設けてあり、垂直方向への有機的拡張を許容している。
 
 黒川紀章は、メタボリズム運動の思想的中心人物だ。彼が設計した最も有名な作品は、1972年に東京銀座で完成したカプセル型のマンション「中銀カプセルタワービル」である。2つのコアに工場生産された居住カプセルが、葡萄の房の如く接続されている。このようなモジュール化されたパーツによる設計は、黒川の設計した観覧車「シンガポール・フライヤー」に発展した。
 
 槇文彦のメタボリズムに対する接し方は、丹下や黒川とは異なる。典型的なメタボリズム建築特有のメガストラクチャー(巨大構造体)を有した設計とは別の可能性を、槇は模索した。槇は世界中の集落から有機的な街の発達を学び、同じ型が連続しながらも時間的、形態的な変化を受容しつつ、繋がり、集合し、同時に地域的で人間的な都市建築空間としての「グループ・フォーム」を提案した。その思想は、同じ型の棟が勾配のある敷地の中で分散配置され、それらが巨大な円形の覆いで囲われた名建築「シンガポール・リパブリック・ポリテクニック」の設計から読み解くことができる。
 
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一見バラバラに配置された建物も、上空から撮影すると1つにまとまっているように見える技術専門学校
「リパブリック・ポリテクニック」。(写真提供:Singapore Institute of Architects, 2008)

 

新しい風が吹く、エネルギーに満ちた建築

 槇によると、「グループ・フォームで最も重要な要素は、シティ・コリドール(人の集える街路)やシティ・ルーム(人の集える広場)のような、“公共空間という媒体”の扱い方」だという。槇と同じく都市問題の研究をしていた設計集団TEAMX(私の師匠筋にあたる)や槇に感化されたSPUR(後のDPアーキテクツ)はその理念を引き継ぎ、1970年代初期に有機的な公共空間を有する「ピープルズ・パーク・コンプレックス」と「ゴールデンマイル・コンプレックス」で実現させる。この2作品は槇により「私が思想を組み立て、彼らが完成させた」と評される名作だ。両作品とも、内包された公共空間、吹き抜けや回廊により動脈硬化気味なシンガポールに新たな循環をもたらす、エネルギーの発生源を創設した。ちなみに、ゴールデンマイル・コンプレックスがあるビーチ・ロード沿いは、他にもメタボリズム建築の名作が並列している。私がシンガポール建築の最高傑作と考える、米国の建築家ポール・ルドルフが設計したメタボリズム的なオフィスビル「コンコース」もここにある。

 
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建設当時は画期的なデザインで話題を呼んだ、「ゴールデンマイル・コンプレックス」の断面図。
(写真提供:DP ARCHITECTS)

 
 今日、これらの作品を訪れても何が斬新なのか分かり辛いのは、有機的な公共空間がシンガポールの隅々にまで普及したからに他ならない。過去と決別し、人為的な開発を受容してきたシンガポールの症状は、また人為により超克するしかないのであろう。
 


文=藤堂高直(とうどう・たかなお)
シンガポールの設計事務所DPアーキテクツに所属する建築デザイナー。16歳で文字の読み書きが困難な学習障害の一種「ディスレクシア」と診断されるが、卓越した空間把握能力を発揮。2008年英国の建築大学AAスクールを卒業し建築家として開花。当地ではホテルや美術館などの設計に携わってきた。自らの半生を記した著書『DX型ディスレクシアな僕の人生』も出版。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.283(2015年07月06日発行)」に掲載されたものです。

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