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熱帯綺羅

2019年1月28日

「カワイイ!」だけじゃない、プラナカン。その正体は、「アイデア」と「編集力」を持ち合わせたイノベーティブ集団。

旧正月など特別な行事の時の食事会に使用されたテーブルウェア

インスタ映えする「プラナカン」が人気です。さて、「プラナカン」って何でしょう?パステルカラーの家、雑貨や食事?「プラナカン」の定義は、15世紀後半からマレーシアやシンガポールに渡ってきた中国系移民の子孫、マレー語で『この地で生まれた子』を意味します。プラナカンは現地の女性と結婚し、中国やマレー文化と、東南アジアを支配していたヨーロッパ文化も取り入れた独自の生活スタイルを発展させました。1900年前後にプラナカン文化は最盛期を迎えますが、第二次世界大戦下、日本軍の侵攻により、プラナカンの黄金時代は終焉を迎え、その存在は見えにくくなっていきました。

 

『クレイジー・リッチ!』で描かれていたプラナカンライフスタイル

映画『クレイジー・リッチ!(Crazy Rich Asians)』が、大ヒットし世界中で話題を呼びました。ストーリーのカギは、「プラナカン」。全編を通して、彼らの家族観や宗教観、行事を重んずる生活が描かれています。プラナカン女性「ニョニャ」が台所で料理するシーンや、盛大に行われる結婚式のシーンには、彼らのもっとも特徴的なライフスタイルが描かれています。

 

ニョニャが1日の大半を過ごす台所。壁上部には祭壇が祀られ、彼女達のおしゃべりを聞いている
プラナカンの結婚式は12日間続く。その間、花嫁の家に備えられる新郎新婦のベッド

 

旧正月が近づいてくると、華人の多いシンガポールは町全体がランタンでライトアップされ、活気づいてきます。家々には門にランタン、出入り口に春の二行連句、金や繁栄を象徴するキンカンの木に赤いリボンと特別に装飾されます。通称ローヘイ「魚生(イューシェン)」という刺身サラダやパイナップルタルトなど、特別な食事で家族とお祝いする準備に忙しくなります。旧正月は家に先祖の霊を招き入れ、食事を供する意味でも、先祖を重んじる彼らにとって大事な行事なのです。ニョニャ達が集まり、お供えの豪華な料理を祭壇前とテーブルに並べ、賑やかに、大声で笑いながら過ごすのが習わし。親戚や友人を訪れる際は、みかんの他に、昔は家庭の自慢の手作りケーキやお菓子を交換しあう習慣もあったそうです。

 

リー・クアンユー氏の「涙の会見」

シンガポール建国の父、リー・クアンユー氏は曽祖父の代にマレー半島に移住し、英語教育を受けた海峡華僑のエリートでした。しかし、クアンユー氏は、「プラナカンの出自」に触れることは生前一度もありませんでした。建国直後の国会質疑の際、きっぱりと「私をプラナカンと呼んで欲しくない」と否定したそうです。なぜでしょう?
これを理解するには、ナショナルミュージアムにある、リー・クアンユー氏の「涙の会見」VTRをぜひ、見ていただきたいのです。彼がどんな気持ちでマレーシアから独立を決意したのか、中華系、インド系、マレー系が混在するシンガポール国民が、「マラヤの民」として一体となり、建国するのだという強い意志が働いていたことがわかります。
しかし、『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』(太田泰彦著)によると、2008年に「プラナカン博物館」のオープニングセレモニーで、リー・シェンロン首相は自身がプラナカンであることを公言したとのこと。「建国から50年が経ち、シンガポールの抱える国家課題も大きく変わったことが理由だ」と著者の太田氏は推測しています。

 

著者は日本経済新聞社の太田泰彦氏。2018年6月発行

 

リー・シェンロン首相は、スピーチの中で「プラナカンは、異文化、異教徒が出会って育まれた個性的なエスニックグループであり、個性的なコミュニティであり、シンガポールに豊かな文化生活とアイデンティティを強めるものだ」と説きました。15世紀のプラナカンたちは自らを「この土地で生まれた子」と定義することで、同じ華人でも労働者階級と差別化しようとしていましたが、クアンユー首相の時代では一体化することが必要でした。そして、現代においては多様化こそが強みになると考えたに違いありません。経済発展し続ける現在のシンガポールにとって次なる課題は、「豊かな文化力」だと強調し、その情報発信の場として、プラナカン博物館を位置づけたかったのでしょう。

 

「貪欲さ」と「大胆さ」、これがプラナカンの本質

プラナカンの文化の最大の特徴は、西はヨーロッパ、東は日本まで、さまざまな異国の品を買い、巧みに組み合わせ、“どこにもない文化”を育んだことにあります。彼らは、よいものを選ぶ美的感覚と消費力を持っていました。太田氏は、こうしたプラナカン文化の成り立ちこそが、「イノベーションの本質」だと分析しています。成功するイノベーションとは、まず「こうしたい」というアイデアや意思、確固たるニーズが先に存在し、その後、技術や設備、素材や原材料を世界中から探し出し組み合わせるということだと解釈しました。もしかしたら、今、日本人に欠けているのは、本来あったはずの、最初のアイデアや強い意志、つまりイノベーションの原動力なのかもしれません。

 

カトン地区のプラナカンショップハウス。観光客が大勢、写真を取っている

 

プラナカンの伝統文化を作り上げた当時の美のイノベーターたちは、こうしたいという「貪欲さ」と「大胆さ」をあわせ持っていたようです。プラナカンは決して、過去のものでも、単なる伝統的なしきたりの中で生活する家族でもないのです。将来に向けても存在し続けるイノベーティブ集団だったのです。
プラナカンについて少し興味が沸いてきましたか?ぜひ、プラナカン博物館、ナショナルミュージアムで、現代に息づくプラナカンの歴史と文化を体験してみませんか?もしかしたら、あなたの中のプラナカンの感性が呼び覚まされるかもしれません。

 

プラナカン博物館。1912年に学校として建築された壮麗な建物

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.342(2019年2月1日発行)」に掲載されたものです。取材・写真 / AsiaX編集部

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