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熱帯綺羅

2017年11月24日

ローカルフードの代名詞、チリクラブの初代の味を探る

「シンガポールといえばチリクラブ」と言われるほど、日本でもすっかり有名になったチリクラブ。米国ニュース専門放送局『CNN』の「世界の美食トップ50」調査で今年も堂々の35位を獲得し、世界的にも名を知られるようになりました。発祥については諸説ありますが、元祖のひとつと呼ばれるチリクラブの、その生い立ちについて掘り下げましょう。

 

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チリクラブは大体1キロ前後から100グラム単位でオーダー(時価)。現在はスリランカのストーンクラブやアラスカクラブなど種類も選べる。

 

「蒸し蟹には飽きた」
父の一言から始まったレシピ開発

時代は今から約70年前、1950年前後に遡ります。当時イーストコースト・ベドックの海岸沿いに住んでいたローランドさんと両親は、休みの日になると丘を越えてビーチへ行き、海辺の浅瀬でカニを捕って来ては蒸して食べていたそうです。といっても、当時のシンガポールの砂浜で捕れるカニは400グラムほどの小ぶりのもの。美味しい食べ物に目がない父親が「蒸しただけのカニには飽きた。何か味をつけてくれないか」と言い出します。そこで母親のCher Yam Tiam(徐炎珍)さんは塩やコショウをまぶしてみるなど、工夫をいろいろこらし始め、ある日、ケチャップとチリで味付けしたところ、父親が大絶賛。大のお気に入りの味になったそうです。また、それを近所の人にも配ったところ評判となり、店を構えて売ってはどうかと勧められたのだとか。

 

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キッチンの様子。真ん中に立つのはローランドさんの父、その左手で料理をしているのが母。右の赤いズボン姿が弟子入りしたローランドさん。親子3人が写る貴重な写真。(写真提供: ローランドさん)
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514イーストコーストロードのビーチ沿いで始めたお店。目印の灯油ランプが灯され、多くの客で賑わう店内。(写真提供: ローランドさん)

こうして1950年、昔は砂浜だった現在のTemasek Secondary Schoolがある場所で、母親がチリクラブを売り始めます。店といっても砂浜にプッシュカートとテーブルが2つ、そして椅子を並べただけの簡素なもの。店名はなく、灯油ランプが灯っているのが開店中の目印でした。父親は役所勤めで当時の法律上、店の手伝いが許されていなかったため、切り盛りはすべて母親の仕事。店のライセンスが取れておらず、取り締まりの対象となり、一生懸命作ったせっかくのチリクラブを没収されたり、罰金を科せられたりと開店当初は苦労をしたそうです。それでもあきらめることなく少しずつ場所を移動しながら店の営業を細々と続け、6年経った1956年、ライセンスを取得し、514 East Coast Road、現在Tong Gardensが建つ辺りに店を構えました。椰子の木がそびえ立つ砂浜のビーチに店を構えたことから、父親が店名を「Palm Beach」と命名。「スコールが降ると、店の客が雨をしのぐために食べ物の皿と飲み物を持って屋根のある所に集まり、誰も文句を言うことなく、のんびりと食事と会話を楽しんでいました。本当にいい思い出です」とローランドさん。店の経営も順調で夫婦で店を切り盛りするようになり、ローランドさんも店を継ぐために修行に入ります。

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