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熱帯綺羅

2017年2月20日

現在と過去をつなぐ日帰りの時間旅行 軍事遺跡が伝える「もうひとつのセントーサ」

シンガポール本島の南の沖合約1キロにあるセントーサ島は、ユニバーサル・スタジオやカジノ、水族館などで賑わう一大レジャースポット。しかしその明るいイメージとは裏腹に、第二次世界大戦中は日本との戦禍に巻き込まれた地でもありました。この国を代表するリゾートアイランドであり、日本人にとっても馴じみ深いセントーサ島の“別の顔”を歩いてみました。

 

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フォートシロソの対岸にあるプラウ・ブコム島の石油施設などの見張りも兵士の職務だった。

 

高速エレベーターと遊歩道で行ける遺跡

シンガポール本島のMRTハーバーフロント駅からモノレールでセントーサ島に渡り、水着姿の観光客とともに島内の巡回バスに乗車すること約10分。島西端のシロソ・ポイントで下車し、左の眼下に広がるビーチを横目に坂道を歩くと2年前に完成したばかりの高速エレベーター塔の入り口が見えてきます。そこから11階まで一気に上がり、遊歩道「シロソ砦スカイウォーク」へ。上から見えるセントーサ島の眺望は爽快で、この真新しい遊歩道の先に、この島で唯一保存されている沿岸の軍事遺跡「フォートシロソ(シロソ砦)」があるのかと想像すると不思議な感覚に陥ります。

 

意外なことに、セントーサ(マレー語で“静けさ”の意)という名称は1970年に一般公募で名付けられた比較的新しいもの。1840年代にマラリアが大発生して多くの島民が亡くなった出来事もあり、古くは「プラカンマティ(マレー語で“死者の彼方の島”の意)」と呼ばれていたといいます。シンガポール発展の素地を作ったといわれる英国のスタンフォード・ラッフルズ卿は1810年代、手つかずの漁村だったこの島がいずれシンガポール防衛の最前線になるといち早く着目していました。

 

実際、1869年のスエズ運河の開港に伴い貿易が活発になると、シンガポールの海の玄関口・ケッペル港への他国からの侵入を防ぐため、英国はセントーサ島内の数ヵ所に砦や砲台を築造しました。セラポン砦(現・セントーサゴルフクラブ近辺)やカノート砦(現・セントーサコーブ地区)などです。

 

その一つであったフォートシロソは1870年代後半からシロソ山を崩して建設され、1885年に完成すると英国人兵18人が砲兵中隊として駐屯し、7インチ砲3門と64ポンド砲2門が装備されました。1930年代以降になると要塞として6インチ連射砲や5つのサーチライト、指揮塔などが増備され、日本軍の軍艦との戦闘でも活躍することになります。

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