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熱帯綺羅

2009年5月18日

太平洋を渡ったクバヤの里帰り。

クバヤは、プラナカン(マレー半島で生まれ育った中国系移民の子孫)や、インドネシア人の女性が、スカート代わりのサロン(腰巻き布)の上に着る伝統衣裳のこと。テーラーメードで丁寧に仕立てられたプラナカンのクバヤには、そのアイデンティティー、時代の流行などが反映され、いまに興味深いストーリーを伝えてくれます。

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1920年代のものと鑑定された友人のクバヤ・ケラワン。サロンはピーターさん所蔵。

 

アメリカ人の友人から託された1枚のアンティーク・クバヤの由緒を知るために、カトンアンティークハウスのピーター・ウィー(Peter Wee)さんを訪ねました。そのクバヤは、友人の父が1970年代にカリフォルニアの骨董屋で買い求めたもので、価値あるものならアメリカで自分の手元に置くより、アジアの博物館やコレクターの方に譲りたいと、鑑定のために手渡されたものです。

そのクバヤを一目見たピーターさんは、そのカッティング、刺繍の施し方などから、「古いものですね。1920年代くらいにインドネシアで作られたものでしょう。」とまず一言。「刺繍が素晴らしい。ちょうどシンガーの足踏みミシンが普及し始めた頃のもののようです。前身頃のすそは、長く尖った三角形で、そこに網の目のようなホールカットと花々の刺繍が施してある。典型的なクバヤ・ケラワン(Kebaya Kerawang)といわれるスタイルです。」すらすらとピーターさんの見解が続きます。ババ(プラナカンの男性)であるピーターさんは、プラナカンの陶磁器、サロン・クバヤ、ビーズ細工のスリッパなどのアンティークコレクターとして知られ、プラナカン博物館や、ババハウスなどのコンサルタントでもあり、説得力も十分です。

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ピーターさん所蔵のクバヤ・スラムとサロン。

 

1900年代初頭のニョニャ(プラナカンの女性)は、バジュ・パンジャンというバティック生地で作った膝上丈の長めの上着を着ており、クバヤはその後に登場しました。プラナカン全盛期の20世紀前半にニョニャ達に愛され、時代とともにそのスタイルも変わっていきました。クバヤ・ケラワンは、クバヤの初期に多く見られ、近年のものは、すそがあまり長く尖っていないクバヤ・スラム(Kebaya Sulam)が主流だそう。綿ボイルの薄織の生地に、西洋の花々とその上に蝶が舞う刺繍が施された、少し色あせたような友人のクバヤ。西洋の花に蝶というモチーフは、西洋のものを好み、中国の文化を受け継いだ、プラナカンそのものの組み合せです。中には、バラや楽器、日本の芸者といったユニークなデザインのクバヤもあるそうです。薄い色使いも昔のプラナカンが好んだもので、現代のクバヤは、赤、青、黄色など、はっきりした色の布地のものが多く、縁取りの刺繍のスタイルも異なります。

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