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熱帯綺羅

2010年5月17日

やきもののルーツ「龍窯」との邂逅

ある日、友人との会話の中で「シンガポールにも登り窯がある」と偶然聞きました。そもそもシンガポールで陶器が生産されていることさえ知らなかったことから、ぜひ見てみたいとさっそく訪ねてみることにしました。

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ジャラン・バハル・クレイ・スタジオの龍窯。数日前に火を入れたところで、窯の焚き口から灰をかき出す作業を行っていた

 

訪れたのは、シンガポール西部のジュロン地区、南洋理工大学(NTU)のキャンパスに程近いジャラン・バハル・クレイ・スタジオ(Jalan Bahar Clay Studio)。なだらかな傾斜に沿うように全長43メートルの窯がありました。その長い形や窯焚きの際に煙が出る様から、山を登る龍になぞらえて「龍窯(りゅうよう)」と呼ばれる窯です。英語ではドラゴン・キルン(dragon kiln)。日本で現在も見られる連房式の「登り窯」や、古墳時代から江戸時代以前まで主流であった「穴窯」のルーツでもあります。龍窯の歴史は古く、中国江西省の遺跡で発見された龍窯は3000年以上前の殷代後期のものとされます。

シンガポールに龍窯による製陶技術が持ち込まれたのは1900年代に入った頃。中国からの移民によってもたらされました。1960年代頃までは、マレーシアやジュロン地区に多かったゴム農園で使用される陶製カップの需要が高く、最盛期には2週間に1度は窯焚きが行われていました。やがて合成ゴムの登場により1960年代後半には天然ゴムの生産が減少、シンガポールの製陶業も影響を受けて徐々に衰退していきました。1970年代、人々の生活が豊かになるにつれて花びんの需要が高まり、製陶業も一時期盛り返しましたが、マレーシア、中国、台湾などから低価格の商品が市場に流入、ジュロン地区の都市再開発とも重なって製陶業者の多くは廃業を余儀なくされました。

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焚き口の煉瓦を外して中を覗いてみると、オレンジ色の美しい炎がゆらめいて幻想的

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スタジオの周囲は自然豊か。後方の小路は、クリーンテック・パーク開発作業に携わる人たちの通り道になっている

 

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