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熱帯綺羅

2011年5月2日

炭火焼きの香ばしい香りと煙、サテを食べようサテ・ホーカーの集合体「サテ・クラブ」

「サテを食べたい?じゃあ、サテ・クラブに行こう」とシンガポール人の友人は得意顔。

連れて行かれたのは、MRTラッフルズ・プレイス駅近くの大きなホーカーセンター、ラオ・パサ・フェスティバル・マーケットでした。オフィス街の真ん中にもかかわらず、夕方になると車の侵入を遮断した道路の上で次々と屋台が開き、炭に火が入ります。ずらりとテーブルや椅子が並んで、瞬く間にオープンエアーの活気あるサテ通りになります。シンガポールで「クラブ」というと、会員制のクラブのようなイメージがあるものの、無論洒落たクラブハウスなどはなく、サテの屋台が集まるところを伝統的にサテ・クラブ、と呼んでいるのです。

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つけ汁がしみ込んだジューシーなサテを焼き上げる、焼き方の腕に熟練の技あり。刷毛で油をかけながら焼くので、ヤシの葉のうちわで扇ぐと勢い良く火の手が上がる。

 

街の発展とサテ・クラブの変遷

最も古いサテ・クラブといえば、1940年代後半にビーチロードのはずれにあったバスターミナルのサテ・クラブ。当時は、数々行き交うバスを横目に排気ガスと食べ物の匂いが混じるという、あまり環境の良い所ではなかったものの、待ち合いの乗客で商売も繁盛していたとか。交通事故など安全面の問題から営業が認められなくなり、50年代後半にドビーゴートやプリンセップストリートの辺りに移動するなど転々として、ようやく1970年頃、エスプラネード公園(現在のザ・エスプラネード界隈)に落ち着きました。砂浜近くの大きな木の陰に、夕方になると多数のサテ屋台が集まり、シンガポール人を始め、大勢の観光客も訪れました。1995年にザ・エスプラネードの建設のために立ち退きとなる際には28ものサテ屋台があったそう。その後、クラーク・キー、ニュートン・サーカス、ゲイランに移るなど、それぞれが散り散りになっていったのです。現在のラオ・パサのサテ・クラブは、2005年から営業が始まりました。

ピーナツソースを目の前に、ホーカーの焼き方がサテを焼くのをじっと見つめ、香ばしい香りと煙りに包まれながらじっと待つ。そして、夕闇の星空の下で焼きたてのサテを家族皆で食べるというレガシーは、現在もここに受け継がれています。昔話を語ってくれたサテ屋台の女主人は、「うちのピーナツソースは、父親譲りの秘伝のレシピで50年変わらない味なのよ」と教えてくれました。そんな話の横で、「エスプラネード公園の当時は、10本セットもなくて、目の前にどかっとサテがあってね、自分が食べた分の竹串の数を数えて勘定してもらったんだ。自分は悪ガキだったから、浜辺にその竹串をわざと捨てたりしたこともあったな」と耳打ちし、友人は笑います。

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ラオ・パサ・フェスティバルマーケット横にあるサテ・クラブの光景。ラオ・パサの中でオーダーした食べ物もにぎやかにテーブルに並ぶ。

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サテに欠かせないのがこのピーナッツソース。サテにたっぷり絡ませて頂くと美味。屋台や店ごとにその風味は少しづつ異なる。

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